河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

フルトヴェングラーな夜

2007-03-16 21:06:00 | 音楽

フルトヴェングラーが死んでから20年後に、日本フルトヴェングラー協会なるものにはいってみたが、当時はそれまでに聴いたことがない発掘物新譜が年に2回ほど頒布されており、河童の皿耳もだいぶ潤ったものだ。

当時、協会そのものが発足まもないということもあり、熱のある会だったようだ。

河童会員番号はその当時でもすでに3桁。

たくさんのファンがいたのだろう。

会員番号はそのあとたしか一度リナンバーされているので、現在までにそれなりの長い歴史を持っているということになる。

ただ、今は、燃え尽きた火のタネを探しているといった感じで、おんなじものを趣向を変えて出しているだけ。

これは協会に限ったことではなく、市販ものも新たなものはない。

今の観点は、音がいい、悪い、といったところに耳目が集まってしまいもうそろそろ収束の時期なのかもしれない。

そもそも音楽の演奏表現の機微、比較、などそれ自体が一般の時代の流れから葬り去られる時代なのかもしれない。

時代はいつも同じということはなく、自分はいつまでたっても歴史の空気を感じない現実のなかにいるので時代感覚を歴史の目で見ることはできないが、ヴィルトゥオーゾ、匠、の時代は尻つぼみとなり、音楽そのものは消化していくものにすぎなくなってしまった。

だからこそひたすら聴きまくり、音なり言葉なりを残す、といった逆説的な意味合いでの必要性はあるかもしれないが、最初から終焉にむけた思い出作りをしているといえなくもない。

フルトヴェングラー・ファンをやめろというつもりはない。しかし、処分して、発見するものもある。

全てを聴きたいがためのコレクターという存在はありがたいものだ。

フルトヴェングラーの場合、1954年に死んでしまっているので、その時点でそれ以上音源が増えないわけであり、作業の範囲の特定が楽であり、比較的コンパクトにコレクト出来る。

死んでしまった匠が残したものの収集はこのように比較的イージーであるのでたくさんのファンがいろいろと収集できる楽しみがある。

指揮者冥利に尽きる、とフルヴェンが思っているかどうかは知らないが、本人は68才などで死なずもっと振りたかったはずだ。耳さえよければ。

ということで、ニューヨーク・フィルハーモニック1924-1925年シーズンに、39才の絶好調ベルリン男フルトヴェングラーが登場した。

アメリカ初登場。

うーん。目に浮かぶ。

やや禿げ上がった頭、細身で長身の指揮者が、ぞんざいに指揮棒をもち、颯爽とポーディアムに流れ込んできた。

しかし、その割には、誰かさんみたいに勢いに任せて棒をすぐ振り始めるということはしない。

ゆっくりと一呼吸二呼吸おき、棒をもった腕をさりげなくやや右上方から左下方にかけてななめ45度でクネクネと振り回した。左手はその右手に下向きにクロスした。

聴くほうは音楽の起点がどこにあるのか明瞭にはわからないまま呆然としている。

しかしニューヨーク・フィルのほうは既に練習を幾度か重ねているので概ね理解できるというわけだ。

それに、ニキッシュの後を継いたベルリン・フィルの高名な指揮者の前で無様な音はだせない。

双方の緊張感が漂う中、はちきれそうな空気の頂点で最初の音がカーネギー・ホールを揺らした。

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このシーズンの同組み合わせの定期は10回。

曲目もドイツものを中心に、比較的節操もなくバラバラとやられた。最終日の最後の曲がベト5というのがフルヴェンらしいといえばいえる。

やはりドイツ音楽の最高峰はこの曲、という一途な思いが彼の生涯において通奏低音のように鳴り響いていた。

ストラヴィンスキーの春の祭典も振っている。彼はこの曲をわりと振っていたわけだから、ニューヨーク・フィル相手に振っても不思議はない。

しかし、ただでさえわかりにくい指揮でこの変拍子のハルサイをこのオケ相手にどんな感じで振ったのだろうか。興味のあるところではある。

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この翌シーズンと翌々シーズンも同オケを振っているフルヴェンだが、最初のシーズン10回と違い、回数がかなり多くなっている。それについてはまた別の機会に書こうと思う。

おわり

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227- フルトヴェングラーのニューヨーク・フィル定期 1924-1925シーズン

2007-03-15 21:21:00 | フルトヴェングラー

フルトヴェングラーは脂がのりきっていたときに、ニューヨーク・フィルの定期を3シーズン振った。

1924-1925シーズン(ニューヨーク・フィル83年目)                    
1925-1926シーズン(ニューヨーク・フィル84年目)                    
1926-1927シーズン(ニューヨーク・フィル85年目)                    

最初のシーズン1924-1925シーズンはこんな感じ。    
                    
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮                    
ニューヨーク・フィルハーモニック                    
                
CH:カーネギー・ホール                    
BAM:ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック                    
             
1925年1月3日 アメリカ初登場                    
--------------------------------------                    
1922nd    1925/1/3    Sat    8:30 PM    CH    
    シュトラウス ドン・ファン                
    ハイドン チェロ協奏曲作品101                
       チェロ、パブロ・カザルス                
    ブラームス 交響曲第1番                
--------------------------------------                    
1923rd    1925/1/4    Sun    3:15 PM    BAM    
    同1922nd                
--------------------------------------                    
1927th    1925/1/11    Sun    3:15 PM    CH    
    ウェーバー 魔弾の射手、序曲                
    ベートーヴェン 交響曲第7番                
    ワーグナー トリスタンとイゾルデ                
             前奏曲と愛の死                
    ワーグナー マイスタージンガー、前奏曲                
--------------------------------------                    
1928th    1925/1/15    Thur    8:30 PM    CH    
    ヘンデル コンチェルト・グロッソ作品6-10                
    シューマン ピアノ協奏曲                
       ピアノ、オルガ・シュルツ                
    チャイコフスキー 交響曲第5番                
--------------------------------------                    
1929th    1925/1/16    Fri    2:30 PM    CH    
    ヘンデル コンチェルト・グロッソ作品6-10                
    シューマン ピアノ協奏曲                
       ピアノ、オルガ・シュルツ                
    チャイコフスキー 交響曲第5番                
--------------------------------------                    
1931st    1925/1/18    Sun    3:15 PM    CH    
    ヘンデル コンチェルト・グロッソ作品6-10                
    シュトラウス ティル                
    ブラームス 交響曲第1番                
--------------------------------------                    
1932nd    1925/1/22    Thur    8:30 PM    CH    
    ベルリオーズ ベンヴェヌート・チェリーニ、序曲                
    シューマン 交響曲第4番                
    ストラヴィンスキー 春の祭典                
--------------------------------------                    
1933rd    1925/1/23    Fri    2:30 PM    CH    
    同1932nd                
--------------------------------------                    
1934th    1925/1/25    Sun    3:15 PM    CH    
    メンデルスゾーン フィンガルの洞窟、序曲                
    シュトラウス ドン・ファン                
    チャイコフスキー 交響曲第5番                
--------------------------------------                    
1936th    1925/1/30    Fri    8:30 PM    CH    
    ハイドン 交響曲第94番 驚愕                
    シュトラウス 死と変容                
    ベートーヴェン 交響曲第5番                
--------------------------------------                    


1989ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演 1989-25

2007-03-14 20:57:00 | 音楽

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このときの来日公演は聴いていない。

いろいろ理由はあるが、あえて言えば、愛着がありすぎて、外国(日本)でトチッたりしたら、なにか、自分も一緒に恥じる、みたいな一体感をこっちが勝手に持っていたからか。

あぶなかしい演奏なんかするはずもないのに、聴く方の自意識過剰。

ズービンの棒は何回見ただろうか、300回ぐらいかな。

それにしても、だ。

なんだ、この1989年来日の時のぶざまなプログラムは!

演奏ではない。プログラム、パンフのことだ。

破けたように見えるが破けてはいない。もともとこのような表紙だ。

それに、上部にはなにやら赤い半月が見える。まさか、日の丸の下半分ではあんめぇ。。

それに、サイズがでかすぎる。地図帳じゃないんだからこんなでかいプログラムを帰りに持たせられてもじゃまになるだけ。

バッド・デザイン賞があれば間違いなく優勝。

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1989年のニューヨーク・フィルハーモニック来日公演は、99日から14日までたった5回だけ行われた。

99() フェスティバル・ホール(大阪)

910() 白鳥センチュリー・プラザ(名古屋)

912() サントリー・ホール(東京)

913() サントリー・ホール(東京)

914() サントリー・ホール(東京)

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ズービン・メータ指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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プログラムは、英雄の生涯、田園、シェヘラザードなどを中心にして、ミドリのヴァイオリンでドヴォコンがはいっている。

日付的には9月後半から始まる定期公演に先立ってのもの。

長丁場のシーズンが始まる前の肩慣らしというわけだ。

このときの演奏は現場でみなくてもだいたいわかる。

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225- たなざらしにするな ハンス・シュミット=イッセルシュテットのベト全

2007-03-13 20:50:59 | 音楽



2001年に火事で瓦礫になったゾッフェンザールはたしかにいいサウンドのホールだった。燃える前に聴いておいてよかった。
ハンスのベト全はたしかここで録音されたはずだ。柔らかいホール・サウンド。ウィーン・フィルのピュアモルトのようなコクのあるサウンド。デッカの少し固め強調の録音。それに、サンダーバードのパーカーさん似のハンスの剛毅な棒。
これらがうまくミックスブレンドされた演奏。
エロイカ冒頭の打撃音をボリュームをあげて聴くとき、ゾッフェンザールのオンステージの輪郭が目の前にあらわれてくるような素晴らしい立ち上がりだ。

ということで、このベト全も買って聴いてのお楽しみ、だが、例によってちょっとだけのぞき聴してみる。

エロイカは断然素晴らしい。
ハンスの一途な棒がこの曲にはふさわしい、いいものであり、しかしそれはウィーン・フィルという前提があってのものだ。ということがこの良質のサウンドのオーケストラの音を聴けば一耳瞭然だ。
ハンスの棒はどの曲もほぼ一直線。
バシーン、バシーン、とくる。強めのピリオド奏法のような感じで、音を揺らすことなく強く、くる。
1番2番は少し硬直し過ぎに感じるかもしれない。いずれにしてもクリアだ。
といっても、ハンスの場合、表現が過度に振幅することはないので安心だ。ウィーン・フィルも心得たものだろう。
7番のバランス。8番は録音が少し豊穣すぎるかもしれない。
また、これも全般に言えることだが、内声部が豊か。というとなにがなんだかよくわからないが、中音の楽器がよく聴こえる。ヴィオラ、チェロ、あたりがものすごくよく歌っているのが耳に取るようによく聴こえてくる。不思議なサウンドだ。少しばかり硬い録音でありながら、柔らかい音楽がしなるように溢れ出る。
このベト全もたなざらしにしてはいけない。

データはこんな感じ。
ベートーヴェン
交響曲第1番 1968年5月録音
交響曲第2番 1968年9月録音
交響曲第3番 1965年11月録音
交響曲第4番 1966年10月録音
交響曲第5番 1968年9月録音
交響曲第6番 1967年4月録音
交響曲第7番 1969年6月録音
交響曲第8番 1968年9月録音
交響曲第9番 1965年12月録音

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィル

これはバラ売りで、5枚で全部そろう。
「源音復活 DECCAオリジナル・マスターテープ使用」
と書いてある。
このうえないサウンドということになる。
でも、ジャケットは最低。
DECCA  BEST 100 The Special
と勝手に書いてだいなしにしている。
ベスト100なんて書くなよ。
ただでさえ売れないクラシックをさらに売れなくしているだけ。
デッカの企画さん、もう少し頭ひねって考えてね。
ついでに転覆ジャケットもみますか。
ダメジャケ


ということで、良質のCDなのにわりと粗末で丁寧さがないのが玉にキズ。
それにもう一つ。
ジャケット裏の録音データ。

「1966年10月、1968年9月 ウィーン」
と書いてある。だけ。
日付もわからなければ、ホールもわからない。
粗末だ。
それに昔ながらの、古い日付を先に書く慣習。
CDなので日付の後にインデックスを打っているので、かろうじてわかるが、2番が1968年9月、4番が1966年10月だ。タスキ掛け状態のデータ。
インデックスがない録音データも世間一般には存在する。この紛らわしさ。
ソニーを見習えよ。
あすこのデータ開示は時代の流れに乗ってかどうか、やたらとオープンですっきりしている。
ということで多少のジャケ不満、データ不満はあるが、内容はたなざらしするような代物ではないのだ。
おわり


ロイヤル・フィル2 1989-24

2007-03-12 21:17:00 | 音楽

2_28

1989年来日したロイヤル・フィルは15回公演を行った。

東京ではオーチャード・ホールで3回行われた。

1120日と121日に聴いてみた。

1120日については昨日書いたので今日はこれ。

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1989121()7

オーチャード・ホール

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モーツァルト ピアノ協奏曲第27

マーラー 交響曲第1

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ウラディミール・アシュケナージ指揮&ピアノ

ロイヤル・フィル

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弾き振りはベートーヴェンよりこちらのモーツァルトのほうが表現がこなれていて、オタマジャクシをやつして弾く演奏も惰性ではなく、慣れ、のように聴こえ、演奏自体は安心感を持って聴くことが出来た。

ただ、その先がない。実演ではあまり聴くことのない27番を聴いた、という感覚が残っただけで空疎。

マーラーは細かい部分でオケの不揃いがあるが、これは演奏団体の能力限界に起因するものではなく指揮指示能力によるものではないか。あまり熱のない演奏である。音はでかいが。

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アシュケナージはたしか1990年代初めの頃、レコ芸インタビューに答えて、オペラのような贅肉だらけの音楽は意味のないもの、だから振らない、と断言しており、彼の演奏の中身とは関係のないところで評価を下げたことがあった。今でも贅肉音楽は振らないようなので一貫した姿勢なのであろう。

アシュケナージの頭の中はわからないが、そのスタンスに不満をいっても始まらず、そのようなスタンスの人間が表現するものを聴きたければ聴くし聴きたくなければ聴かない。

音楽に熱の高低を求めるようなタイプの指揮者ではなく、アイスランド響とのカリニコフなどかなりいい。スクリャービン、ストラヴィスキーなども比較的よく、最近継続しているNHK交響楽団とのチャイコフスキーなど、音楽に妙な起伏を求めない音圧的バランスに優れた棒など聴くべきところは少なからずあることも事実だ。

ズービン・メータの棒、ウィーン・フィルの伴奏で弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲全集など素晴らしい限りだ。肉厚と熱無し、の、ぶつかり合いがなんともミステリアスだ。

これからアシュケナージがどのような変遷をしていくのかわからないが、いまのところはN響という身近なところにいるわけであり、それなりに注目を継続すべき指揮者ではある。

おわり

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ロイヤル・フィル1 1989-23

2007-03-11 21:00:00 | 音楽

1989年の1112月にロイヤル・フィルが来日した。

国内で15回公演と、だいぶ多い回数をこなした。

最近は演奏団体の来日公演回数はかなり少ないが昔は多い団体もあった。

ただ、演奏回数が多い団体は当時の東欧の外貨稼ぎか、もしくは1.5流以下の団体のような感じであり、どうも演奏の前にそのような印象が出来上がってしまう。

このときの指揮者はピアノよりも指揮が好きそうに見えるアシュケナージ。弾き振りである。

最近もそのような指揮者が多いが、好き、と、見事、というのは必ずしも一致しているわけではない。

この来日公演は、19891116日から122日まで15回公演。

出来たばかりのオーチャード・ホールでは3回行われた。

そのうちの2回に出かけてみた。

最初がこれ。

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19891120()7

オーチャード・ホール

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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3

シュトラウス 英雄の生涯

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ウラディミール・アシュケナージ指揮&ピアノ

ロイヤル・フィル

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ロイヤル・フィルの英雄の生涯と言えば、昔、セラフィム・レーベルからでたレコードを思い出す。

何が描かれていたか忘れたが、薄いブルーのジャケットで、指揮はもちろんトーマス・ビーチャム。

セラフィムはエンジェル・レコードのレーベルであり、1970年代はやったいわゆる廉価盤である。

それまで何度か発売されているのだろうが、とりあえずはその安さに惹かれて買ったわけだ。

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トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル

1972年頃発売 価格1,000

SERAPHIM AA-5085

A面2143

B面2150

1958年録音

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ビーチャムの作ったオーケストラなので何をしてもいいわけだが、そのわりには素晴らしい演奏のレコードだった。

オーナー会社の社長みたいなもんだが、だいたいは社長の我儘をきいていれば給料を自然にもらえる。我儘きき代が給料のようなものだが、ときとして素晴らしい内容のことも、たまには、ある。

ビーチャムは、たまには以上に、良い指揮をした。

金ででも買える才能豊かな演奏家がいるということは、ないよりましというわけだ。

技術も個性も豊かな人間100人というのは、今のあたりさわりのない会社の社員1000人に匹敵するハンドリングのしづらさがあると思うが、そこらへん、ビーチャムのふところの深さはカネをしまう場所だけではなかったということだろう。

デニス・ブレインがビーチャムのふところをみていたかどうかは知らないが、音だけ聴いているとこころゆくまで鳴らしきっているようだ。

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ということで、アシュケナージの棒によるヘルデン・レーベンはどうであったか。

ロイヤル・フィルのやや肉厚な音は、ペーヴメントのように敷きつめられているわけではなく、聴こえてくる透明感と言うのは、何か足りなくて、もしくは、うどんのように太すぎて隙間がある、みたいな割と大雑把な鳴りであった。

演奏団体の能力は高いがアンサンブルに関心が少ないようにも見受けられる。

どうしてもビーチャムのレコードのサウンドが聴こえてきてしまい、勇壮なホルン、こまやかなヴァイオリンの表現、などくらべてしまう。

出来たばかりのオーチャード・ホールでのサウンドはちょっとガチャガチャしており、大きいショーウィンドウにひびがはいり一気に割れたような、透明な割れたガラスのような、感じで、それが良いのかどうか判然としないが、イギリスのこのロイヤル・フィルには合っているように聴こえた。

アシュケナージの指揮自体はとりたててどうのこうのいうものではなく、バレンボイムなどとは比べものにならない。心情の発露がないのである。

前半の弾き振りは、軽い。

この3番の暗黒のような第1楽章。曲がこれだけ第12主題をだしてくれてほとんどのものを見せてくれてからようやくピアノが出てくる、その紆余曲折が表現出来ていない。

全てのものをもっとよく噛み砕いて自分のものとしてからでも棒に熱中しても晩くはないのではないか。

とそのときは思った。

おわり

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どれみかっぱ

2007-03-10 22:34:54 | 音楽

2jpg

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ドはドゥナエフスキーのド

レはレオンカバレロ

ミはミヨーのミ

ファはファッシュのファ

ソはそんなときにも

ラはライヒャのラ

シはシチェドリン

ドレミファソラシド

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どんなときにも

グレンファークラス

ミはミルトンダフ

ファはブキャナンズのブ

そんなときには

ラッパ飲みして

しんでれら

どうしたらいいんだろう

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MAXIMUM CITY THE BIOGRAPHY OF NEW YORK

2007-03-09 20:33:00 | 本と雑誌

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華金は出歩かず一人静かに本を読む。

本の紹介です。

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MAXIMUM CITY

THE BIOGRAPHY OF NEW YORK

無限都市ニューヨーク伝

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著者:マイケル・パイ MICHEL PYE

訳者:安岡 真

1991年発売

1996.3.1国内初版

文芸春秋

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650ページ!!!!

\3,786

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ニューヨークの歴史からクラックまで途方もない内容がモザイク的に展開していく。

断片の積み重ねがストーリーのうねりを作っていく。

結果事実としての歴史や当時の書物をかき集めて、それらを積み重ねて一つの本が出来上がった。

ユニークでヘヴィーな内容。

ある程度前提がないとわかりづらい。

特に歴史については勉強が必要。

本文自体が参考文献のような感じ。

ただし、どこに何が記述されているか調べるのは大変。

付箋必帯。

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10ページの関連年表つき。

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アマゾンを覗く人はここで。

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0220- インバル フランクフルト 悲劇的 1989-22

2007-03-08 21:42:00 | コンサート・オペラ




1989年フランクフルト放送交響楽団来日公演の千秋楽はこの曲。

1989年11月19日(日) 7:00pm  サントリーホール

マーラー  交響曲第6番 悲劇的

強烈なサウンドで頭の皮がめくり返るような曲であるが、この写真のようにベルトに腕時計をぶら下げて、髪を振り乱し、汗だくになって、両手を広げて振る姿が、この曲にふさわしいものかどうかいまひとつ不可解な点もなくはない。
これだけ破天荒でトンデモ曲でありながら、気がつくとやはりソナタ形式。ジョージ・セルもその意味では録音を残して当然と言えるかもしれない。

インバルの方針は今までとなんら変わるところがない。
心配なのはこの曲の場合、最後までオケがもつか、といった体力的なもの。
歌が入っていないぶん、楽曲には集中しやすいが、そのかわり風変りな楽器が多々はいっているので、指示系統がただでさえ多いのに、さらに多くなる。やはり複雑系の曲だ。
この曲の場合、第4楽章のように曲自体が厚みを要求する箇所があり、各パートが必然的な強奏をしなければならない。その部分での乱れがあったりなかったりで、ここらへんがセッション録音との違いが少しばかりでる。
しかし、それを補って余りあるのが第3楽章アンダンテの清らかな美しさである。インバルはこのての音楽は大変得意。ロマンティックに流されそうで、調子が外れていくようなホルンのメロディーの表現など、彼の棒で聴くとあぶなかっしさが本来表現のなかに組み込まれているようで妙な安心感がある。
インバルは曲の構造がオーソドックで古典的なものは苦手ではなく、あんまり関心がないというか、土壌みたいなものであり、その上で面白い曲を振りたいといったところか。
ブルックナー全集というのは、土壌のようなものであり規模の大きいソナタ形式を鳴らす、といったこころもち。ベートーヴェンまで遡ってしまうと、ソナタ形式が音楽、のようになってしまいその骨組みだけを振るのは難しいことなのだろう。
ブルックナー全集、マーラー全集、両方とも入れてしまうあたりこだわりはあまりないし、むしろ当然のような気がする。
というわけで、この年、前半にベルリン放送交響楽団と来日し7番夜の歌を振り、こうやってフランクフルト放送交響楽団と2番復活、4番、6番悲劇的を振り終え、だいたいのことはやり終えて帰路についた。
おわり


0219- インバル フランクフルト 復活 1989-21

2007-03-07 21:47:00 | コンサート・オペラ


1989年インバルは2度来日した。
1度目は、インバル ベルリン 夜の歌
2度目は、長い常任指揮活動が締めくくりに近づきつつあるフランクフルト放送交響楽団との来日である。
インバルとフランクフルトはこの年、11月8日から19日まで9回公演を行った。
持ってきたプログラムはマーラーの2番、4番、6番である。
4番の時はハイドンのロンドンが前半で演奏されているが、基本的にマーラー・プログラムである。
9回公演のうち最後の2回を聴いた。

1989年11月18日(土)  7:00pm サントリー・ホール

マーラー 交響曲第2番 復活

ソプラノ、アーリン・オージェ
メゾ、ヤルト・ヴァン・ネス
東京オラトリオ研究会

エリアフ・インバル 指揮 フランクフルト放送交響楽団

サントリー・ホールというのは音響が巨大な曲では、音が押しつぶされてしまいピュアな鳴りがしない。各楽器の音像の焦点が一つになるのが、このホールの中ではなくもう少し先の方にあるような気がする。だからホールのなかにおいては2階の奥が一番音が良いのではないだろうか。音像の焦点集結地点に一番近い。

フランクフルトの音というのは、無理押しごり押しの音ではなく、清らかで澄んでいて濁りなし。ピッチが正確であり、ブラスの強音でも下がらない。
フォルテシモは強奏しなくてもピッチが合えば響き渡るというのを彼らの本拠地での常日頃の演奏で身につけている。
アルテ・オーパーのサウンドの良さは録音でも確かめることができる。
1985年にアルテ・オーパーで、2本のマイクで収録されたマーラーの4番がDENONから発売されたとき、素晴らしい臨場感と揺れる空気までとらえたホール感に驚いたものだ。
初回国内発売はPCMデジタル録音で\3,300というものであったが、当時それに見合う価格であると思ったものだ。
ヘッセン放送との共同製作であり、ヘッセン放送と聞いただけで1970年代にNHK-FMから流された同指揮者とオケの組み合わせによる数々の良好サウンドの放送を思い出す。

フランクフルトのマーラー・サウンドはホールを変えた。と言えるような感じで、ホールにへばりついてきたものが洗い流されるような清らかな響きである。
また、オーケストラ自身、腰の重さというものがあまりなく、どちらかというと横への拡がりを感じさせてくれるものであった。ハーモニーが積み重なるのではなく、均質な音の強さを意識したバランス感覚で、どちらかというと現代の音楽の表現に近いようなものを感じとることができる。
復活の冒頭、地を揺らすようなコントラバスの響きも肩すかし風であり最初からいきなり力まかせでもない。楽器群単位の均質な響きバランスと、楽器間、アンサンブル間、の響きもバランスされており、明晰な音のあやを聴くことができ楽しむことができる。インバルが目指してきたことが実現していると思われる。
インバル自身の1970年代からの方向感の一貫性を感じとることができる。選曲はより大衆的になったが道は同じ。オーケストラやホール、聴衆とともに育ってきたインバルは自身がしたいことを、まわりから支持されるかたちで自然に実現してきた。
マーラーで、ある部分終結したような感があるが、フランクフルト放送交響楽団との名演の数々のあとも彼の軌跡は続く。個人的にはいわゆる現代音楽をもっと振ってほしいが、70歳こえて、もう無理か。

復活でインバルが切れ込みの鋭さを発揮するのは第5楽章。複数のリズム、テンポが同時進行するような複雑系での指示のクリアさは快感である。演奏している方も指示されているというよりも、確かめ合っている雰囲気で良好な音楽進行が続く。
フィナーレが一本の線のように鳴り渡る時、マーラーが自分の時代が来る、と言ったように、インバルにも来たのは紛れもない事実であったのだ。
おわり


昔話は昔噺で

2007-03-06 17:05:00 | 銀座にて

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昔の音楽の話を思い出すには、それにふさわしい場所があるかと思い、出かけてみた。

昔噺「銀座・ルパン」

あまりにも有名なところゆえ、なにをいま皿、と河童は考える。

しかし、流れというものがある。

おいしい食事のあとは、昔の銀座に浸るのも悪くはない。

西五番街、並木通り、みゆき通り、と覚えれば酔っていても着く。

.

銀座・ルパン、は、

バー・ルパン

と書いてある。

ドアを開けると地下へ向かう階段があるという、昔の雀荘を思い出すような作りのなか、階段をおりなかにはいる。

ウィスキーの具合はちらっと見ればだいたいわかる。

でも、河童の好きなウィスキー、ハード・リカーはあまりないようだ。

ここはそうゆう場所ではない。とわかった。

「お河童さま。ルパンはお河童さまのいくお店ではないですよー。」なるほど、ほかの店のバーテンダーは河童にはお勧めではない理由がわかった。毎晩シングルモルトで皿を濡らしている河童には栄養素、毒素が少し足りないようだ。

しかし、だ。

はいってしまった。

ルパンではルパンに従え、である。

最近の河童の飲み方はMこだわり派。

まず、ドライでないマティーニ

次に、シングルなモルト

〆は、オールドなマンハッタン

ということで3M攻撃。

どっちにしろ酔うまでのプロセスではあるが。。

.

夜も更けていたので、今日は1Mのみ。

ドライなマティーニを飲み干し、オリーヴは記念に置いてきた。

.

お店の作りがオールド・ファッションでいい感じであるが、ちょっと狭い、というか、調度品や椅子、テーブルの作りがひとまわり小さい。

すわっていて窮屈な感じがする。

昔の名士たちが小さかったのか、それとも、居心地を悪くし、客の回転を高める作戦か。

いずれにしても、いくようなときはイベント性を求められるような気がする。

おわり

.

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217- 上野のこけら落としにきたニューヨーク・フィルハーモニック

2007-03-05 21:08:00 | 音楽



 


東京文化会館の落成記念にお祭りが行われた。

1961年 東京世界音楽祭
4月17日-5月6日 東京文化会館

ニューヨーク・フィルも招かれた。
4月26日(水) 東京文化会館
5月5日(金) 東京文化会館
5月6日(土) 東京文化会館

昨日のブログで5月6日のプログラムを紹介したが、2時開演となっているのは、夜6時半からウィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団の演奏があるため。
海外の演奏団体もたくさん。このお祭りについてはまた別途。

ところで、当時の入場料金。
ニューヨーク・フィル
S\3,000
A\2,500
B\1,800
C\900
D\500

NHK交響楽団
S\800
A\600
B\400
C\200

隔世の感があるというよりも、別の国のレートのような金額である。
演奏会に頻繁に通うファンはよくわかると思うが、この値段を10倍すればちょうど今のチケット代そのものだ。お給料も10倍? 他の物価も10倍? それじゃ相対的にはなにもかわってないじゃありませんか。

演奏は熱かった(たぶん)。少ない分だけ熱をいれて聴いていた。いや、少ないなんて思っていない。
聴けるものを聴くしかない。聴いてはじめて自分が飢えているのを感じ、そしてその瞬間、耳はスポンジとなる。ありとあらゆる音を全て吸収しなければならない。気持が熱くなる条件がそろっていた。
今はどうだろう。
「日常茶飯事」の演奏会。時間が空いたのでちょっといってみるか。コンサートばかりで飽きたので、明日はオペラでも観に行こうかしら。今日は別々のホールで同じオペラがあるみたい、どっちに行こうかしら。こんな時代だ。
おわり

 

 

 

 


216- 初来日のプログラム 2ヴァージョン ニューヨーク・フィルハーモニック

2007-03-04 21:17:00 | 音楽







 

ニューヨーク・フィルハーモニックの初来日は1961年。上野の東京文化会館、こけら落しにあわせてやってきた。
指揮者は、1958年に同オケ常任指揮者となったレナード・バーンスタインと1961年3月に副指揮者となった小沢征爾。
1枚目の写真のプログラムは、1961年東京世界音楽祭、の一環としてのプログラム。
2枚目の写真のプログラムは、他日用のもの。

2枚目の方はかなりダサイ。1枚目の写真が素晴らしい。
若きバーンスタインが聴衆の期待を背に浴び、ポーディアムでこぶしを前に突き出し、素人っぽくぎこちなく、しかし、熱く、指揮している姿が眼前に見えてくる。素晴らしい写真だ。

1961年初来日の公演詳細はまた別途、ということで演奏会場だけ書いてみるとこんな感じ。

4月26日(水) 東京文化会館○
4月27日(木) 東京都体育館
4月28日(金) 静岡市駿府会館
4月29日(土) 名古屋市公会堂
5月1日(月) 大阪産経会館
5月2日(火) 大阪府立体育館
5月4日(木) 神戸国際会館
5月5日(金) 東京文化会館○
5月6日(土) 東京文化会館○
5月7日(日) 日立小平記念会館

都合10回。演奏会場のあとに○印をしてある日は、東京世界音楽への出演。
シーズンの終わりをおそらく早めに切り上げて、上野のこけら落しにわざわざ来てくれた。バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックが絶好調のときである。

ジェイムズ・チェンバース、ウィリアム・バッキアーノ、ウィリアム・ベル、ハロルド・ゴンバーク、スタンリー・ドラッカー、ジョン・ウンマー、ペイジ・ブルック、....
クラクラするようなトップ奏者のもとみんな幸せだった。


ところで、上野の千秋楽はこんな感じ。

1961年5月6日(土) 2時 東京文化会館

アイヴス 答えぬ質問
アイヴス 交響曲第2番
ストラヴィンスキー 春の祭典

レナード・バーンスタイン 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

「答えぬ質問」というのは、今は「答えのない質問」と訳されている。(The Unanswered Question)
作曲から半世紀後の1951年にバーンスタインによって初演されたアイヴスの交響曲第2番をその10年後に日本で理想的な組み合わせで聴けるなんて。
操り人形のように左右両方の手足を伸ばしてバラバラに振るバーンスタインのハルサイもおそらく稀代の見もの。
既にマーラーのスペシャリストであったバーンスタインは、東京に来る前に3月30,31、4月1,2日の四日間定期でマーラーの3番を振っているが、東京にマーラーのプログラムは持ってきてない。当時3番はソリストの関係もあり無理と思われる。やれるとすれば1,4,5,6,7,9番あたり。9番ショックはもっとあとに受けることになる。
おわり。 


SACDサウンドで聴く新世界 ニューヨーク・フィルハーモニック

2007-03-03 22:06:00 | 音楽

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別の側面も併せ持つこの指揮者の写真のことは賛否両論あるかもしれないが、それはそれとして壮年時代のバーンスタインの絵をみたらやはりニューヨーク・フィルハーモニックのことが浮かばなければ最良の音楽ファンとは言えない。

この絵が貼りついているジャケットの新世界であるが、かなり素晴らしいサウンドだ。理由はSACDだからだ、と断言できる。

マックルーア監修による1962年の録音で、今から45年前のサウンド。

このSACD1999年という前世紀末の発売である。当時といっても8年前であるが、世にCDの後釜フォーマットとしてSACD(スーパー・オーディオCD)なるものが現出した。

CDプレイヤーが2万円とかで手にはいる時代に、SACDプレイヤー第一世代は異常な高価格(50万円~)であった。

2世代以降は8万円とか12万円という価格のものが出てきてかなり一般化した。SACDのソフトもそれなりに増えた。

バーンスタインのこの新世界SACDは第1世代時代に発売になったものであるが、いまだに継続発売されている。この時代、これだけもつのも珍しい。

同じソニーにロイヤル・エディッションというバーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックのコンビものがメインの100巻シリーズがあるが、あれはSBM(スーパービットマッピング)のものもあるが総じて、改善の音で聴かせるしろものではない。

新世界のサウンドはかなり悪く幻滅。そのイメージをひきずったままこのSACDを聴くとあまりのちがいにびっくりする。

力強いティンパニ、うなる低弦、前面に押し出される中声部楽器の充実感、水中で演奏しているようなヴァイオリンや木管のみずみずしさ。

奥行き感は1962年時代を感じさせるものの、それぞれの楽器群の定位する位置のクリアな存在感。中抜けではなく横に広がる音場構成。強音で空気が揺れる迫力。

演奏内容も、もともと推進力で圧倒的な演奏と定評のあるものであるが、さらにもう一段馬力が加わった嵐のような前進力だ。ドヴォルザークもきっと満足だろう。

演奏者たちのここでの心構えは、おそらく「日常茶飯事」。

「やつしている」やつしまくりだ。フィルハーモニックの技術力を忘れさせるような、ド迫力。

.

このSACDは第1世代時代のものであるためかどうか、SACDプレイヤーのみでの再生しかできない。

マルチフォーマット対応ではない。

ハイブリッドではない。

普通のCDプレイヤーではかからない。

そのせいか気のせいか、余計なフォーマットが詰め込まれてない分、SACDサウンドを満喫できる。

それと、おそらく「アナログ・オリジナルテープから、直接DSD方式でリマスタリングされたマスターを使用しています。」という理由が抜群サウンドのもう一つの理由だ。

いま一つ微妙な言い回しで、マスタリングされたマスターがどのような媒体なのか記述がないのが弱いが、世に再発を繰り返すCDはこれ以下の方法でコピー量産のデジタルコピー用メディアと思われるので、この文にあるアナログ・オリジナルテープというセリフにぐらっとくるファンも多いに違いない。

このSACD\3,500。高音質高価格を貫いている。

ソニーが昔の名盤を廉価盤でなかなかだそうとしない理由は納得はしないが戦略はわかる。

モノラルからステレオ時期にかけてとってきた戦略が実っているということだろう。

.それでこの同種のシリーズのSACDにはずれはない。バーンスタインのマーラー1番、ワルターもの、ブーレーズもの、セルもの、他全部当たりだ。

ブーレーズの水上の音楽などはニューヨーク・フィルハーモニックの素晴らしいサウンドを浴びるには絶好のもの。

見開きジャケで少し厚く、高さも普通のジャケとサイズが違うので店頭でもわりと目につきやすい。

廉価な二束三文のチープCDがおおはやりな昨今ではあるが、高いものにはそれなりの理由がある。伸びる触手。

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少し奇天烈 レコ芸

2007-03-02 21:51:00 | 音楽

音楽雑誌「レコード芸術」には、伝統的な「新譜月評」とは別に最近伸張著しい「海外盤試聴記」というのがある。

レコ芸3月号を例にとると、

「新譜月評」が70ページぐらい。

「海外盤試聴記」が30ページぐらい。

.

新譜月評は横に置いて。

海外盤試聴記は、国内未発売の海外盤を紹介する記事であり、先取り情報としては非常に有益である。

また、分野が多岐にわたっているため全く知らなかったような音楽も吸収できる。

それぞれ紹介ディスク試聴記の前半がだいたい情報的なことの紹介。

後半が感想、といった感じである。

たくさんの専門家たちがディスクを紹介している。

前半は非常に有益である。

それぞれの後半の感想はどうだろう。

.

「注目されるのはアーティキュレーションへの配慮、デュナミークにも濃やかに対応、弦楽のサウンドは通常の伝統的なオーケストラに比べてタイト、」

「アーティキュレーションをよく喋らせ、デュナミークにも細心の注意が張られ、」

「パラノイア的なまでに細かく実施されるアーティキュレーション」

「フィナーレもスリリングだが押しつけがましくない」

「技巧的な気ぶくれを排し、原曲の骨格を効率よく転じて声部整理を施した簡潔さ」

「フィナーレの劇的なアタックがいつになく激しい」

「シリアスであるけれど、思索の罠に陥ることなく、繊細な感性と詩情を、ナイーヴさや耽溺とは違った観点で自ずと豊麗に育んでいる」

.

なんだ、これは。

言いたいことはわかるが音楽と直結していない。

それに、

なんだ、このヴォキャは。

.

「新譜月評」に格上げはできん。

もう少しましな文章を書けや。

.

とにかくいろんな連中が書いている。

なかには完全にまともな人もいるが、朱に交われば赤黒くなる。

.

それぞれの紹介ディスクごとに、紹介者の名前と肩書が書いてあるが、多彩だ。

・音楽評論

・音楽学

・音楽学、音楽評論

・音楽ライター

・音楽批評

・インド古典文学

・コンサートホール学芸員

・フルート奏者

・文献学

・フランス文学

・ドイツ文学

・オペラ研究

.

みんな好きなことを好きに書いてるんだからいいじゃないか。と言われれば、言われなくても、どうでもいい。

わかりました。与えられたものを食べて生きてゆきます。

.

これらの文章よりまともな文を書けると思う人間は、内容の良し悪し、深い浅い、にかかわらず、そう感じた時点で読むのを放棄。

読んでもらえないということは文化の発展がのぞめないということ。

ひどすぎるぜ。

レコ芸のチェッカーマンたのむぜ。

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