河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

238- シモン・ボッカネグラ ホール・オペラ 1990-1

2007-03-26 20:07:00 | オペラ



 

1988年1989年とバブル期にあって、リカーが先か音楽が先かという微妙な命題に悩まされながらも、悩んだ時はリカー、悩まない時は演奏会、という順序で物事に優先度をつけてゴアーズを続けておりました。
1990年はどうだったかというと、まだまだコンサート来日バブルがひたすら続いておりました。

だいたい12月1月2月頃は、来日団体は少なめ。オーケストラは自国での定期に余念がない時期だし、ソリストも当然稼ぎ時。だから日本では、日本の演奏団体をおとなしく聴くことになる。来日する演奏家演奏団体が全て素晴らしいわけではなく、むしろこの時期、のこのこ来るのはかえって変かもしれない。

ということで聴く方も、この時期悩まなくてもリカーに走り、2月頃から耳の試運転を始めた。
1990年の最初に聴いたのがこれ。

1990年2月6日(火) サントリー・ホール

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ

ロベルト・パテルノストロ 指揮 東京交響楽団
二期会合唱団

シモン・ボッカネグラ  レナート・ブルソン
マリア  マリアーナ・ニコレスコ
ヤコボ・フィエコ  ロベルト・スカンディウッツィ
ガブリエレ・アドルノ  ジュゼッペ・サバティーニ

マリア役はダニエラ・デッシーの代役。ひと頃、サバティーニのお嫁さんになってその後ディヴォースしたデッシーはこの頃はまだシングルだったと思うが、急病、とかで来日できなかった。
コントラバスよりも歌の方が合っていると思われるサバティーニのやや細めで遠くまで突き刺すような光輝くテノールはパヴァロッティを思い起こす。

というわけでシモン・ボッカネグラであるが、なんでサントリー・ホールでオペラが出来るの?という感じであったが、今では、ホールオペラ、という名目のもと、猫も杓子も、ホールオペラである。簡単な装置でなりゆきの服装で、早い話が安上がりで出来る。そのオペラを見たことがない人はイメージをもっていないため、少々辛い。
初めてみるオペラがホールオペラの人にとって、これがオペラか、などと思われてしまったら、これまたとんでもない。オペラ常連の人は比較的イメージの湧かせ方を知っているからいいものの、それが、シモン、では、これまた上演数が限られているし。
いろいろと困難があるから逆にホールオペラで割とイージーに出来る、という部分もある。後ろ向きの折衷案のような気がしないこともないが、シモンだから、与えられたものはとりあえず食べてみよう。

このイヴェントは、サントリーホール・オペラコンサート・シリーズということで、モーツァルトのオペラ・アリア・コンサートが、1月21日と27日に行われ、続いて2月3日と6日にシモンが上演された。
日本でのシモン・ボッカネグラと言えば、1981年9月1日に上野で上演され生中継されたクラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座による公演が脳裏から離れない。あれと同じものは無理としても、その後の何度かのシモンを経験してみて、渋くブルーで黒青いサウンドな舞台のイメージ、そして世間離れしたストーリー展開など、わかりやすいものではないということは身をもって体験している。
このオペラはプロローグの25分間が非常に魅力的で緊張感をはらんだ音楽であり、そこでぐっと惹きつけられる。ただ、その後の第1幕が四半世紀後の時代に移ってしまうため、その瞬間、聴く方観る方もいきなり軌道修正しあれやこれや考えなければならず、糸がもつれていく。
また、最後の局面でシモンが毒を飲むがなかなか死なない。死ぬ間際の一瞬の走馬灯を一幕かけて観ているような錯覚に陥る。日本人はこのてのことは得意だ。抵抗感なく受け入れることができるのではないだろうか。
とはいっても音楽的にはプロローグの緊張した響きが圧倒的だ。このオペラ全体がドラマティックなものであり、ヴェルディの作品全部がそうではないか、と言われればそうかもしれないが、その中においても特に素晴らしい緊張音楽。

タイトルロールのブルソンは当時、日本で大受けで、なにをやっても拍手の嵐だったような記憶があるが、はずれる時もある。あのバリトンで一本調子でピッチが狂ったままだと、聴き手の耳が変なのかな、などと余計な心配までしまうこともあった。しかし、後半までには必ず矯正してくる。
それに比べれば、サバティーニは自信のかたまり、というか譜面のオタマジャクシの位置は、自分の声のピッチに合わせるべきだ、といってもいいような自信のかたまりのような声で歌っていた。
舞台の一点から細いレーザー光線のように突き刺す張りのあるテノールは、絶好調時代のパヴァロッティと少しダブったりもした。才能だけが素のままむき出しになっているような感じであった。

サントリーホールで上演されるホールオペラは、痛し痒しではあるが、ひとついいのは、ワインヤードの後方座席に合唱団が陣取り、客を置けなくすることである。観客の絶対数は少なくなってしまうが、なんとなく気持ちが落ち着く。自分があんなところには一生座りたくない、と思っているからかもしれない。
おわり


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