岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

『三郎堤』

2006-03-17 19:13:45 | 田舎暮らし

  Cimg0855        地域の田んぼの水がめ、「三郎堤」は和泉三郎により作られたと言う伝説がある。あの平泉、藤原四代目 泰衡公の異母弟、三郎忠衡公である。1189年(文治5)泰衡公により討たれたと言う歴史はともかく「三郎堤」周辺には忠衡公碑、公を葬ったとされる槍塚、堤の落成に神楽を舞ったといわれる神楽場、首洗い場といった物騒な場所もある。

 この3月17日、「三郎堤」の氷が一気に溶けた。昨年暮れにいつもより早く全面凍結して、飛来した白鳥も、陸と地続きになったことを恐れて夜は近くの北上川で夜を過ごしていた。  十数年前の平成5年、あの大冷害の年、この池が凍結しないでしまった。最高気温が0℃以下の真冬日がなく、盛岡 雫石の世界アルペンが時期はずれの大雨、4月下旬に咲いた桜に積もるほどの雪が降った。異常に暖かい冬だった。そして夏、お盆に布団に包まって寝た。そして未曾有の大冷害、来年の米を作る種さえも確保できずに沖縄、石垣島で種を栽培し、食用の米を求めて米屋、スーパーに行列とマスコミをにぎわせた。

 この冬、昨年暮れには早々に「三郎堤」は全面凍結、そして3月17日には一気に溶けた。今年の豊凶を占う石鳥谷町の「たろし滝」も豊作を予言した。寒い冬の裏返しは暑い夏が予想される。「三郎堤」の氷の状態を見て今年は大豊作の年と思う。今年の秋は豊年満作を祝う鎮守のお祭り・・・・・とはいかない。お米のとれ過ぎも困るありがたい日本である。

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