岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「金精さま」をさがして・・・

2018-04-09 09:59:43 | いなか暮し

 「殿、ここが美女ヶ原と申すところでございます。(現、花巻市矢沢、大日向と呼ばれる一帯)」
 「これが寝小便を治してくれると言う神様か、余も時折、お漏らしするから拝んで行こう」とは言わなかったと思うが・・・・

  土沢から西進、駒板から矢沢船場を示す石塔。
         「右はやさわ船場道・湯の沢道」、文政年間に建てられているのでお殿様の眼にとまった筈。

 元治元年4月3日、乗馬十余騎、従者100人余を引き連れた、南部利剛(としひさ)公は、日詰、大迫、土沢を経て矢沢船場(花巻市)へ向かう途中、この場で小休止した。
 妻の神と呼ばれる一角に、住民がお詣りする金精さまがあった・・・・。
 それから百数十年を経て、その道は、山肌を削り、拡幅整備されたが、その頃から金精さまの、行方が分からなくなってしまった。
 つい最近になって、盗難を恐れて、金精さまを隠したと言う人が現れたが、どこに隠したか忘れてしまったと言う。


 昔々、「小学生になってもお漏らしが止まらない」、と祖母と孫の二人、、「寝小便が治りますように」と拝んだ。
 その少年は以来、70余年寝小便がピタリと止まったと言う、霊験あらたかな金精さまである。

 その金精さまが行方不明 「探し出して然るべきところにお祀りしよう」 と決めた。
 なだらかな美女ヶ原に比べて、道を挟んで金精さまの祀られていた一帯は急斜面の続く山に入る。
 北側急斜面に雪の残る3月、雪解けの進んだ南側一帯の捜索、更に雪融後に北側斜面も探したが見つからない。
 小ぶりの金精さまと言えど、石で造られた重い像は、そう遠くまで運んで隠したとは思えない。
 3度目、捜索範囲を広げて、探し回ったが見つからない。
 道路工事の後にも、椎茸の原木を取る人たちも入った跡があるから、隠していた金精さまを見つけて、持帰ったのはその人たちかも知れない。
 美女ヶ原から下り、 矢沢船場に向かう途中、視界が広がる所に
「小松原の山の神さん」と呼ばれる古い石碑群がある。お殿様も手を合わせたに違いない。


 もしかして、持帰った金精さまは、どこかで丁重にお祀りされて、その地で寝小便を治してくれているかもしれない。

 まもなく木々には葉が茂り、捜索は難しくなるので、又、秋が来て木々の葉が落ちた頃に探してみよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする