北帰行の仲間とはぐれたのか、三郎堤に残った白鳥が一羽
近くの水鳥は友達と一緒なのに・・・明日は良く晴れそう、元気に飛び立ち、仲間に追いつけ。
終戦直後の混乱期、列車の乗車券が自由に買えない時期があったらしい。
釜石線の、ある小さな駅に子供をおぶった57、8歳くらいの女の人が来た。
「駅長さん、この子は激しい熱で苦しんでいます、病院に連れていきたいので、切符を売ってください」
「いや、今日の割り当ての切符は、売り切れたので、売ることはできないんです」
「この子は孫です、共立病院の佐藤先生に見て貰って助けたいんです、お願いします・・」
「決まりがあって、今日は、もう切符を売ることが出来ないんです」
意を決したおばあちゃんは話し始めた。
「この孫は、どうしても死なすわけにはいかないんです。
この子が生まれる、数か月前にに私の次男が戦死しました、この子の叔父です、そして、この子が生まれた次の年、一才の誕生の1週前に、この子の父親、私の長男は、29才で病死しました・・・・・
それから間もなくして、この子を残して、母親は里に帰ってしまいました。再婚したとの噂も聞きました・・・・
幼い孫を抱えて、年寄り二人で農家をしています・・・
この孫だけは、どうしても死なすわけにはいかないんです、どうぞ花巻までの切符を売って下さい、お願いします・・・・・」
「・・・・・そうですか、私の責任で切符は売ってあげましょう。早く診て貰って下さい。」
共立病院の佐藤先生は、その子の父親の最後を看取ってくれた先生で、若くして亡くなった父親をよく覚えてくれていた。
「亡くなる直前まで、幼子の将来を案じていました。確か数え30で亡くなったと覚えています・・・・」
「この子は、必ず元気に、しましょう」
みんなのおかげで、元気になったその子は、長じて偉くなれば、めでたしめでたしになるはずだったが、根っからの勉強嫌いがたたり、大きな大きな回り道を繰り返したが、たどりついた老後は、家族に恵まれて幸福な老後を送ったそうな・・・・どんどはれ!