こんにちは。ネットに書き込むのは二週間ぶりです。先週、ちょっとした事故がありました。ネット回線が壊れてしまった。パソコンの置いてある居間の壁面まで回線がきており、ジャックからは有線でアダプターまで通し、パソコンにつないでいるのですが、その壁面のジャックを足で蹴飛ばして壊してしまったのです。少し曲がった程度だったのですが、つながらなくなってしまった。それで回線保有業者に頼んで修理に来てもらった。壊したのは23日の深夜、次の日、電話で事情を説明し、修理に来てもらい直るまでに四日もかかってしまいました。なにか、ネットと距離ができてしまったのか、掲示板に書き込むような気持ちにもなれず、二週間ほどたってしまったというわけです。この間、回線ばかりでなく、パソコン周りのシステムについて、次々とアラが目立ってきて、回線が回復してからというもの、連日、ヤフオクめぐりで物欲解消、衝動買いに終始していたような按配でした。ヤフオクで買ったものは、以下のとおり。
シーリングライト(居間の証明器具)、パソコン用内蔵ハードディスク(20G)、キーボード(ハッピーなんとかのブランド品、いつかやすまるさんから教えていただいたIBMのスペースセーバーも何点か出ていて欲しかったのですが、見る見る値が上げったしまい、手が出なかった次第)、子供部屋用のカーテン、息子が使っているパソコン用に液晶モニター、無線LANアダプター、プリンターの4色インク3組・・・計2万円ほど散財した。インクを除いてすべて中古です。そんなことをしている間にも、今度は私が使っているパソコンのモニターがおかしくなってしまった。色が表示しなくなっているのです。そこでまたまたヤフオクの画面とにらめっこの最中というわけ。液晶にするか、かなり安くなっているブラウン管にするか。悩みどころ、というよりもはや金がない。難ありジャンク品を探しているところなり。予算は、そうさなぁ、5000円までしか出せない。
さて、あなたは次のように書いている。「コンピュータが人間以上の知能を持てば完全主義者になりそうです」。私は、これは逆だと思いますね。コンピュータの進化はそうでしょうが、わたしが懸念するのは人間そのものが限りなく数値化されて自他共に、それで良しとするような、人間になってしまうのではないかということです。ようするにコンピュータが人間のように進化するのではなく、人間がコンピュータのようになってしまう。なにもかも数値で理解しなければならない生き物です。感情は二の次三の次。できれば感情や私情なんていう反社会的なものはまっさらのゼロ状態にしておきたい。感情の入る余地はない。まさに人間それ自体が科学の塊です。それが恐ろしいことだと思うわけです。現在の教育は、あんがいにそういうことをやっている。「数理」について理解し、納得し、はては、あらゆるものを数値化して、よしとする思想と手段を子供たちに与えている。人間より社会が大事だと思い込む「私」を作る。この場合の社会とは限りなく数値化された社会に相違ない。これを目指す。それが現代の教育ですよ。コンピュータは、どんなに進化しても「自分」を持ちません。物質をどこまで組み立てても、それは「私」にはなりません。人間自身が誰からも公明正大に計量可能な物質そのものに、なってしまいそうで怖いのです。
シーリングライト(居間の証明器具)、パソコン用内蔵ハードディスク(20G)、キーボード(ハッピーなんとかのブランド品、いつかやすまるさんから教えていただいたIBMのスペースセーバーも何点か出ていて欲しかったのですが、見る見る値が上げったしまい、手が出なかった次第)、子供部屋用のカーテン、息子が使っているパソコン用に液晶モニター、無線LANアダプター、プリンターの4色インク3組・・・計2万円ほど散財した。インクを除いてすべて中古です。そんなことをしている間にも、今度は私が使っているパソコンのモニターがおかしくなってしまった。色が表示しなくなっているのです。そこでまたまたヤフオクの画面とにらめっこの最中というわけ。液晶にするか、かなり安くなっているブラウン管にするか。悩みどころ、というよりもはや金がない。難ありジャンク品を探しているところなり。予算は、そうさなぁ、5000円までしか出せない。
さて、あなたは次のように書いている。「コンピュータが人間以上の知能を持てば完全主義者になりそうです」。私は、これは逆だと思いますね。コンピュータの進化はそうでしょうが、わたしが懸念するのは人間そのものが限りなく数値化されて自他共に、それで良しとするような、人間になってしまうのではないかということです。ようするにコンピュータが人間のように進化するのではなく、人間がコンピュータのようになってしまう。なにもかも数値で理解しなければならない生き物です。感情は二の次三の次。できれば感情や私情なんていう反社会的なものはまっさらのゼロ状態にしておきたい。感情の入る余地はない。まさに人間それ自体が科学の塊です。それが恐ろしいことだと思うわけです。現在の教育は、あんがいにそういうことをやっている。「数理」について理解し、納得し、はては、あらゆるものを数値化して、よしとする思想と手段を子供たちに与えている。人間より社会が大事だと思い込む「私」を作る。この場合の社会とは限りなく数値化された社会に相違ない。これを目指す。それが現代の教育ですよ。コンピュータは、どんなに進化しても「自分」を持ちません。物質をどこまで組み立てても、それは「私」にはなりません。人間自身が誰からも公明正大に計量可能な物質そのものに、なってしまいそうで怖いのです。