少なくても私にはネットに文章を書き込むさいなども、あなたが言うように、まったく「根拠なし」でゼロから文章を構築できるような能も芸もありませんよ。なにがしかの根拠があるから書くのです。邪推という場合もあるが、できるだけ邪推は邪推だと断った上で書くようにはしているつもりです。あなたが非難する「モコモコさんへの書き込み」とは、私がしきりに彼をして「サツの犬」呼ばわりしているのがお気に召さないようですが、これも彼自身が掲示板の上で、警察に私の情報を持ち込み報奨金を得たと自慢たらたらに書いてきたのですから、サツの犬も同然ではありませんか。他でもない私が彼をしてそのように呼んでいるのです。以後、モコモコ何がしサツの犬と堂々と、実に楽しげに呼ばわらせていただいておるのでござります。ハマコーに対しては前言したように、やや挑発と恫喝が入っている。オフ会のおり、さんざん酔っ払ってズボンのチャックを開けっ放しにして便所から どこぞの美人さんと一緒に出てきたという光景を見たと強弁しているのは、言ってみれば、泥酔状態によくある私の幻想だったのかもしれませんにゃ。いまのところ私の説の当否については誰も判断を下しておりませんし、当の美人さんからは私のところにメールが寄せられて、そのような事実はありませんと、いい加減なことを言わないでくださいと、強く抗議されてしまいました。私の気のせいだったのかもしれませんよね。よくあることです。
いずれにしても私が何度も申してきたように名誉毀損であれ何であれ、当掲示板上にある文章をどうするかは管理人のあなたの判断にゆだねられている。あなたがどうにかする以外に、当否にいたる判断を誰が持ち込んだとしても、無益なことでしょう。投稿者は感情的に自分の言い分を訴えているだけなのです。管理人が判断しないかぎり、どこまで議論しても埒もあかない。あなたの好悪の感に基づく判断を信じて、あとは行為してみるだけでしょう。それでよいのだと思いますよ。削除、アク禁、開設、閉鎖という行為に及べるのは管理人殿ただ一人。管理人が当然の権限として持たされている行為に及ぶのは管理人の独断でよろしいわけですし、言ってみれば行為とは独断のことですから。独断がなければ実際行為はあらわしようもないわけで、その意味では行為とは独断そのもののことなのです。
私は何度か申しているように、私の記事が削除されようと、掲示板に顔を出さないように警告されようと実際にアクセス禁止になろうと不利益もありませんし拘泥もしません。どうぞ管理人さんの思うようにご自由に処理なされませ。警察に訴えるということも立派な「行為」です。時と場合によっては大笑いですが。行為というものは、そういうものです。多くの場合、本人は大真面目で取り掛からなければ行為とは申せませんが、行為の多くが他人から見ると実に滑稽に見えてくるものです。行為こそ政治であり、社会運動に転化しますから反論者がかならず出てくるものです。あなたが米国大統領ブッシュの政治行為を笑っておられるようにです。
それから、私がつくづく申したいことは掲示板でもジャーナリズムでも文学もそうですが、文章から人の内面を探り、善悪のレッテルを貼ったり、特定の傾向を決め付けるということは、原理的には非常に困難なことであり、処断にいたる「行為」こそ公の仕事となるのでしょうが、私は自分でもそうだが、個人としては、そうした話の方向や方法は、できるだけ避けたいと思いますね。文学的でも掲示板的でもない。怒声と不毛な論理ばかりが掲示板に横溢してしまうような気がします。よほど私の漫才風造語(例:サツの犬)のほうが、執着と桎梏ばかりがまかり通り、そろそろ息苦しくなり始めている掲示板共同体の中に、ある種のさわやかな風を入れているだろうという自負があるのです。
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いずれにしても私が何度も申してきたように名誉毀損であれ何であれ、当掲示板上にある文章をどうするかは管理人のあなたの判断にゆだねられている。あなたがどうにかする以外に、当否にいたる判断を誰が持ち込んだとしても、無益なことでしょう。投稿者は感情的に自分の言い分を訴えているだけなのです。管理人が判断しないかぎり、どこまで議論しても埒もあかない。あなたの好悪の感に基づく判断を信じて、あとは行為してみるだけでしょう。それでよいのだと思いますよ。削除、アク禁、開設、閉鎖という行為に及べるのは管理人殿ただ一人。管理人が当然の権限として持たされている行為に及ぶのは管理人の独断でよろしいわけですし、言ってみれば行為とは独断のことですから。独断がなければ実際行為はあらわしようもないわけで、その意味では行為とは独断そのもののことなのです。
私は何度か申しているように、私の記事が削除されようと、掲示板に顔を出さないように警告されようと実際にアクセス禁止になろうと不利益もありませんし拘泥もしません。どうぞ管理人さんの思うようにご自由に処理なされませ。警察に訴えるということも立派な「行為」です。時と場合によっては大笑いですが。行為というものは、そういうものです。多くの場合、本人は大真面目で取り掛からなければ行為とは申せませんが、行為の多くが他人から見ると実に滑稽に見えてくるものです。行為こそ政治であり、社会運動に転化しますから反論者がかならず出てくるものです。あなたが米国大統領ブッシュの政治行為を笑っておられるようにです。
それから、私がつくづく申したいことは掲示板でもジャーナリズムでも文学もそうですが、文章から人の内面を探り、善悪のレッテルを貼ったり、特定の傾向を決め付けるということは、原理的には非常に困難なことであり、処断にいたる「行為」こそ公の仕事となるのでしょうが、私は自分でもそうだが、個人としては、そうした話の方向や方法は、できるだけ避けたいと思いますね。文学的でも掲示板的でもない。怒声と不毛な論理ばかりが掲示板に横溢してしまうような気がします。よほど私の漫才風造語(例:サツの犬)のほうが、執着と桎梏ばかりがまかり通り、そろそろ息苦しくなり始めている掲示板共同体の中に、ある種のさわやかな風を入れているだろうという自負があるのです。
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