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赤いハンカチ

ものを書く前に、計画的に考えてみるということを私は、殆どしたことがない・・・小林秀雄

父と子

2006年06月24日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
梅坂史郎さんが詩の形で以下のように書いている。梅坂さんについては私はいまだかつて一度も褒めたことはないと思うが、下の一文には率直に共感したことを伝えておきたい。

バイトで働いている子どもを待っている
いまだ帰らず
深夜は時間を空間に分解し
感受性を時空のかなたに覆いこむ


私も昨日らい息子のことについて長々と書いたが、梅坂さんも私の息子と同じ年頃の子どもさんがいるように聞いた覚えがある。常にお子さんのことを気になされている心優しい父親の万感の思いがつたわってくる。つくづく思うに、家族というものは、良いものだとか、面倒なものだとか、物差しを当てた上での白黒はつけがたいのではないだろうか。親子の関係には、悲しい宿命のようなものがあるらしい。街で写真を撮りながら感じるのだが、とくに母と幼い子どものツーショットには、どうしても哀愁と言うか、ある種もの悲しい感覚がかぶさってくることを、いかんともしがたいのである。親子の関係にまつわる感情は、夫婦がそうであるように、決して単純なものではない。いわく言いがたい歯がゆい気持ちに襲われることもある。これを安易に公言してしまうと、やれ自慢していると言われ、やれ卑下しすぎだといわれ、どっちにせよ誤解されてしまう場合が多いのである。社交辞令風に言うなら、次のようになるだろう。「えっ、私の息子なんて、お宅様に比べれば馬鹿なものですよ。はっはっはっは」「なんのとりえもありませんよ。家でぶらぶらしていますよ。ニッチもさっちもいきませんよ。はっはっはっはっ」等々である。こうした言葉の特徴は、モノの贈答の際の礼儀に同じようにひどく日本的なものにも感じるが、外国のことを知らない以上、なんとも言えないのである。やはり梅坂さんのように「詩」にでも書いてみるのが真意が伝わる最もよい方法なのかもしれない。我が子のことを、何の疑問もなくへらへらと自慢できるような親も、反対に本気で自分の子どもが成り立ち行かない馬鹿な息子だと思っているような親も、滅多にいないのである。いくつになっても、我が子は我が子であり、とーちゃんはとーちゃんである。この強い絆からもたらされた宿命には、誰も逆らえない。決して自由になれない。子どもとの関係が幸とでるのか不幸とでるのかは、二人はもちろんその他の人間も、誰も知らないのである。子どものことは考えれば考えるほど、不思議な気持ちに満たされて、言葉を失うばかりである。
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▼「日の丸」不起立教師との一問一答

2005年11月07日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
何度も言いますが、わが国の現行民主主義の基本と仕組みだけは守って行動する必要がある。やれ小泉は嫌だ。やれ石原都知事が気に入らない 等々とうとうと不平不満。ならば、別人を立候補させ選挙において雌雄を決する以外に方法は ないでしょう。あなたが立候補されて見たらどうですか。それほどまでに、彼らのことが憎くて憎くて夜も眠れないというなら選挙に出馬して戦ってみる以外に気持ちが癒される道はない。選挙が嫌なら 、爆弾を仕掛けて、やっつけちまうか、さもなければ心療内科にでも通ってみる ほかないでしょう。そこまで感情的になっているなら・・・。行動しなさい。行動して始めて、あなたの上の言葉が、心からのものか、またはデマじみた、たんなる口先だけのことなのかが分かるのです。

テレビメディアも、翼賛新聞も、戦争加担するだけのものは退場してもらう。こうしたメディアに載せられる民度は、改めてもらう。こうした日本の国民のためにならないものばかりがあふれかえっている今の情勢に、真に危機感をんもつ政党が現れるよう、私たちは日々努力しなければならない。

上に同じ。政党が現れるようにって、あなたの考えに合致するような政党など、金輪際、現れるわけがない。あなたが政党を作らないで誰が作る。あなたは満足しないでしょうや。どうして自分で立たないのだ。終始、人頼みだ。さもなければ年がら年中、不平不満の大アラシ。いったい、何を、どうしたいと言うのか。いっさいが、あなたの空想なのですよ。ないものねだりの甘えん坊なのですよ。自分の頭に沸き起こった空想は、自分で処理するべきだ。空想とはいえ、そうしたものもやはり、お上や国家、公権力になんとか処理してもらわねば満足しないのか。

かもめさんは、自らがどういうたたかいをしているか、表明してからものを言うべきです。

わたしがどういうたたかいをしているのかって、聞くまでもないこと。新聞もやめました。TVもできるだけ見ないようにしているところです。読書は苦手です。なんにも知らない無学な輩が私です。竹ヤリでも無料で配給してくれるなら、わたすも「たたかい」に参加できますかいな。それにしても足腰が弱ってきましたので、途中で、ぶっ倒れるかも知れません。足でまといがよいところです。ああ、面目ない。年は取りたくないものだ。そろそろ隠居を考えているところです。

根津公子さんに言及するなら、まず、日の丸君が代問題に、あなたはどう考えているのかということをのべてからにしてください。

ああ、あれね。あれであってもあれでなくても、どっちでもかまわん。国旗国歌などあってもなくてもどうでもええんだ。ほったらものを拝んでいるよりイモでも食っていたほうが腹の足しになる。そういえば今年春に次男坊が定時制高校を卒業したわさ。卒業式には、わたしも晴れて出席したものだ。君が代斉唱ちゅうものがあったな。私は歌詞を覚えていないので、よう、歌えなかった。もちろん起立をして、口をパカパカ開けて、歌っているふりをしてみただよ。あの歌詞も古色蒼然としているにゃ。なにを歌っているのかさーぱりだモナ。ええんでないのけ。英語の歌詞でないのが、勿怪の幸いだ。このように旗とか歌などは、実にいい加減な態度にしておけばええんだわさ。色が駄目だ、歌詞の意味が駄目だと言っていんじゃ、死ぬにも死に切れなく納豆。切もない。ほったら重箱の隅をつつきまわして揚げ足をとって運動だとほざいて自己満足しているような教師は、そもそもが能無しなんだ弁当箱は。根津殿にも、長壁氏から伝えておいてケロ。根津様もだいぶアホになっちまったようで、いい加減に老後のことでもかんがえて、いっそ隠居でもしてみたらどうかと、オラが申していたとな。

自らの姿勢は明らかにしないで、人の論評ばかりするのが右翼のやり方のようです。

やはりそうだったのか。昔から聞いて知っていた。右翼ってのは馬鹿ばっかだとにゃ。左翼も馬鹿だし、右翼はそれ以上の馬鹿なのけ?中には頭のよい舎弟衆もいるのだろうがにゃ。それにしても、 右も左も、そろいもそろってタダ飯食いの馬鹿ばっかでは世も末だわい。

かもめさんたちは、小泉のおこぼれをもらうためには、こどもや国民命を踏みつけにするのですかね。

はて、この文章の意味がよく分かりません。だいたい「かもめさんたち」という呼びかけが誤っている。私は一匹狼ですよ。ネットでは誰とでも仲良くし、また誰とでもケンカすることで有名です。小泉であれ大泉であれ悪い奴なら許しません。あなたの言う小泉とは現首相のことでしょうが、わたしが、彼からおこぼれをもらっているとは、どういうことか。ま、首相が国民のためを思って尽くすのは当たり前の話ですよね。個人的には付き合いはありませんよ。それに私が、どうしてこどもや国民を踏みつけにできるでしょうや。私は、名もなき貧しい初老男にすぎません。今や足腰が弱くなり、子どもと相撲をとっても負けてしまうほどです。

公権力が、学校現場=教育現場をアラシに来ているのですよ。

ま、アラシと見れば見えるのかも知れませんが、公権力が公教育上にある、学校や教育を統括したり管理運営をするのは当たり前の話ですよ。公権力から学校を切り離したほうがよいのですか。それは国民個々の自由の範囲といえるでしょう。私の場合など、二人の息子が二人とも、まともに義務学校には通わなかったのですから、保護者としての私も含めて、教育において、公権力の指図は受けなかったと自負しているところです。公権力が嫌なら、そんな場所から逃げてしまえばよいのです。その自由は保障されているでしょう。だからと言って、公権力が学校教育を見放すということに、あなたは納得できますか。あなたのように、なにがなんでも公権力と学校、教育、労働等々をつなげておきたいのではありませんか。根津さんもそうだ。どうして、そこまで非人間的だと思われる公権力にぶら下がっていなければ、暮らしも仕事も不可能なのか、人生が満足しないのか。私には、その点が実に不思議ですね。私が思うに、あなたの場合など、根っからの社会主義者なのだと推察しているところです。

本来、教師として「子どもを教え子を戦場に送らない」ため、体を張るのは教育者として当然です。 

理念としてなら、それはそれで立派に通用するでしょうが。ひたすら教条だけを守っているというもの時代錯誤のように感じますね。実践課題としてなら、それは徴兵制への危惧ということなのであり、杞憂にすぎませんよ。アジテーションでしょうや。戦後教育の出発にあたって教師たちが誓ったスローガンだったと思いますが、今や古色蒼然たる教条にしかすぎませんよ。自分の家の息子の話にだけに収めておくべきでしょう。どうして、そうも戦争戦争と危機感を煽りつけるのでしょうや。年がら年中、戦争戦争とうるさくてしょうがねぇ。

かもめさん、あなたのいうことは、侵略者のいうことです。例えば、米国がイラクに強奪に来て、「気にらなければ、イラクから出て行けばいいでしょう」というようなものです。

根津さんに対する、私の言い方がですか。日の丸君が代問題以降、利口な教師は、さっさと学校などからは、去っていった後の祭りでしょう。どうして学校を民営化しないのでしょうねぇ。それほど公からの指図が嫌なら、学校など閉鎖しちまうか、さっさと民営化すればよいだろうに。根津さんにしても、公務員という特権にしがみついているだけのようにしか見えません。君が代日の丸に反対など、子どもの教育にはなんの関係もないはずです。

アイヌでも沖縄でもそうですが、そもそも、先住民の土地を侵略し、植民地にすることが間違い。

いまさら、あなたがそんなことを申しても、しかたもないんじゃなかろうか。単純なセンチメンタルですよ。考えてもごらんなさい。あなたも私も、そうした過去の歴史を前提として、この列島に生まれてきたのでしょう。われわれの血の中にアイヌの血も沖縄も血も入っているというように、私は考えている。

過去のそうした蛮行をひとまず、反省して一から、今の状況を修正しながら未来を生きること。共生を考えることがまともな人間のやることです。

過去とは、どこまでを指すのでしょうや。まさか秀吉の朝鮮出兵まで、反省させられたり責任を取れといわれも、なんともはぁ、生まれてきて、すんませんってな調子ですな。自虐史観とは、よく言ったものです。あなたのような考え方を指すなら、ぴったりです。年がら年中、反省反省また反省の日々を送りましょうか。ああ、ワンカップ。

教育基本法・憲法改悪の先取りを、つまり、戦争国家へのシナリオが今、着々と実行されているということを、どうして、隠すのでしょうか、右翼の方々は。

それは右翼の人にお聞きください。あたしゃ、これでも若い頃は共産党員でしたから。いまでもマルクスは大好きだす。先日、資本論を引っ張り出して、序文だけでしたが読んでみればいつでも感動すますね。あれは。どうでやんしょう、わたすも左翼だと自認しているのですが、あなたに認めていただければ鬼に金棒です。かと言って、再入党はお断りだす。アカハタ配りは、ごめんこうむりまする。自転車がぼっこわれているものですからね。歩いて配れといわれたひには目も当てられません。ああ、まいった、まいった。

それに、選挙の結果は、小泉政権への支持率は半分以下でした。プロパガンダと小選挙区制のトリックが効いたまやかしのもの。

選挙の結果に納得できないのなら、どうぞ、過激派にでもテロでもやってみなされ。あなたの理屈でいえば、それっきゃ、あるまい。それで、どこに爆弾を仕掛けるかが問題ですが私の家のまわりにさえ、仕掛けるようなことをしなければ、私のほうからサツに密告はいたしません。あなたも議会制民主主義には満足できないお人のようですな。選挙の結果など、ものともしないという考えでは、あなたに残された道は過激派のテロリズムしかないだろうね。ま、見解の相違だから私は誰がテロに走ろうと、自分が襲われたりしない限り、逆上したりすることもなく、泰然とかまえていられるけれどね。しかしなんだな。銀河殿といい、千坂ちゃまといい、国民の下した選挙結果に不満だとは、国民の気持ちを否定していることだからねぇ。お三方の先行きが危ぶまれる。ああ、難儀だ、難儀だ。

さて、あなたは学校が職場だが、日の丸君が代については、どうしているのだろうね。きちんと起立して大声張り上げて歌っているんじゃないのかね。君が代、日の丸を果敢に拒否して矢面に立っている根津公子さんの「不起立の戦いに共闘してくれ」というメッセージを、千坂君はどのように受け止め、かつ実践しているのかしら。根津さんについて、私は虚心から言うのだが、さっさとほったら学校は見限って、新しい教育現場なりに再就職するべきだよね。原理から言うなら、それに教師各自が教育者であるという誇りを持っているなら、学校にこだわるべきではないのだ。教育と学校は違う。教育の本当の姿をどこまでも求めるべきだろう。日の丸掲揚が、教育にあいふさわしくないと言うなら、どうしていつまでも、そんな非教育現場に、腰を落ち着かせているのだろうか。教育より食い扶持が先が、公務員としての地位にしがみつきたいのか。それでは教育者とは呼べる筋合いない。ただの賃金労働者に過ぎない。自分の力で、子どもたちを集め、小さな学習塾なりを開設し運営している方々のほうが、よほど教育者らしく見えてくる。

お上を相手に旗の色違いや歌詞の内容をめぐって、毎日ケンカばかりしているというのは、いささか傲慢が過ぎるだろう。旗の色など、どうでもいいではないか。ほったら有様では、心安らかに教壇にたつこともできなくなる。子どもたちに教えることもできなくなるべ。教育どころではなくなる弁当箱だ。ほったら学校は、ケツをまくっておん出てくればよい。根津さんは心得違いをしているようですよ。学校で教育をしたいのか、それとも政治運動をしたいのか。後者であるなら、とんでもない教師ということになる。子どもたちが迷惑するだけだ。君が代・日の丸を拒否するのは根津さんの勝手だが、自分の思想を明確に表現するための戦いに明け暮れているということと、教育は別物だろう。子どもたちと接する機会を自ら狭めてしまっては公教師たる本分が本末転倒していると思わざるを得ない。

<5888字>
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▼M主将の話

2005年10月02日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
中学生の時、部活に柔道を選んだ。部室に入っていくたびに、柔道着から発するツーンと鼻の奥が刺激されてくる強烈な臭いが脳裏をよぎる。最終授業が終わると同時に上級生が教室にやってくる。下級生が部活をさぼらないように見回りしているのである。廊下のあたりから鋭い視線を投げかけて「さぼったら許さないぞ」とにらみをきかせてくる。これはなかなか恐かった。

入部当初はもっぱら上級生の練習台にされていた。ひたすら投げ飛ばされるだけ。体格にもずいぶん差があり「高背負い」などを連続してかけられ幾度となく畳にたたきつけられていると、やはり練習も時にはさぼりたくもなるし、部を辞めたくもなってくる。今は禁止されていると聞くけど体育館を一周する「ウサギ飛び」がきつかった。2年生になると少しはワザなども覚えてきたのか、柔道が面白くなってきた。

ある日、3つほどあった中学校を合同した大会が警察署の道場で開かれた。その時のルールが「勝ち抜き戦」でポイント制などまだ普及していない当時だったから一本、あるいは「あわせて一本」のどちらかがとるまで試合は続く。もちろん子どものことだから、長くても5分とかからず決着がつく。身長の低い順に並ばされて1,2番目が最初に対戦する。勝った者が3、4番目と対戦していく。私はかなり小柄だったから参加選手20人ぐらいのうち3番目だった。体格が同じ位の者なら少しは自信があって、時には投げ飛ばすことができた。この日は続けて4者を勝ち上がっていった。5人目に登場してきたのが主将Mである。

Mは身長は高くないのだが肥満体で体重は私の比ではない。それにわが柔道部中、もっともワザの切れ味のよい3年生だった。なんのことはなかった。彼の得意技「体落とし」で投げ飛ばされたのは組み合ってすぐのこと。こうしてMは次々と5人に勝ち上がり6人目に当たった他校の3年生の寝技に破れた。勝ち上がった人数による表彰で、5人に勝ったMが優勝し、望外のことだったが4人に勝った私が準優勝したのでる。どう考えても公平なルールとは思えず釈然としないまま警察署長から賞状を渡された。人様から表彰された経験は後にも先もこれ一度。たった一枚の表彰状だし捨てたはずもないのだが、どこにもぐっているのか見たこともない。

Mについては意外な後日談がある。Mが卒業まぎわ私の2年生も終わろうかという時期に開かれた「学芸会」のおりのこと。音楽が専科の美しい女性教師に伴われて舞台の袖からMが現れてきたのである。そこでMは臆することなく堂々と彼女のピアノ伴奏によって二曲ほど独唱したのだ。中田喜直の「雪の降る街を」。それからもう一曲。体格から連想されるように「低音の魅力」がすばらしかった。いつもは荒々しいM主将にこんな才能があったのかと、不可解な緊張感におそわれその感情をまったく自分で納得も説明もできないもどかしさに私は面食らった。そしてMの甘い歌声に、なぜか自分が舞台に立たされているような羞恥にとらわれ思わず下を向いて赤面した。

思春期だった。Mの歌唱力をねたんで陰口をたたくようなことはしなかったが、しばらく私はすっかりMと音楽教師との特殊な関係を邪推して、これが頭から離れずに一人懊悩していた。二人っきりでいつ練習していたのか。Mは素振りにも見せなかった。それにしても、Mの歌声は今でも耳について離れない。

ゆぅきのふぅるまぁちを~ ゆぅきのふぅるまぁちを~ あぁしおぉとだぁけぇが おいかぁけてくぅる

Mが卒業してしまうと、部活動もつまらなくなり足が向かなくなった。3年になってからは学校にいくのも嫌になり、一週間続けて休むようなこともたびたびあった。同じ中学校に通っていた2歳下の弟が学校から帰ってくるとまっさきに私に苦言を呈した。

「アニキの先生から毎日どうしたどうしたってオレが聞かれるんだから。やだよ。明日は学校に行ってくれよ」

「生返事ばかりしていて、きっと次の日も休んじゃうんだから」と、弟が情けなさそうに言う。
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「新しい歴史教科書」と大田原市

2005年07月14日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
大田原市は県北部にあって人口5万前後の、滅多に話題にもならない、小さな町です。近代交通網たる東北新幹線やら東北高速自動車道路などからは東に外れたところにあるためか、これが幸いして、昔ながらの城下町と広々とした田畑や牧場などによって自然の環境と人々の暮らしが守られてきたのです。とてもよいところです。日本のどこにでもある農村です。田舎です。那須与一を輩出したところです。毎年秋には、与一祭りが開催されます。大田原市には私の親類がおりまして、子どものころからよく訪ねた町なので、愛着が深いのです。

県立大田原高校の前身は栃木県下でも5番目ぐらいに設置された旧制中学校とのことで、県下有数の進学校で、大高(だいこう)と呼ばれ親しまれておるのです。南に宇高(うたか 県立宇都宮高校)があれば、北には大高がある。それが頭のよさでは天下に呼び名も高い、栃木県下の誉れたる受験体制のあらかた仕様にござります。大高は、先年創立百周年を祝ったところとのこと。私事ですが、今や昔のことなれば隣町の中学生だった、わたしも頭がよければ地元の農学校に甘んじることなく大高(だいこう)に進みたかったと思うのも後の祭りです。中学校の旧友からたった一人だけ、大高に合格し、やっとクラスの面目がたもてたような次第です。その彼は、大高を卒業し晴れて東工大に進んだと耳にしました。かように小さな町ですが、県下北部では文化、教育の拠点であり、線路やら道路にずたずたにされて、今や見る影もない私の育った町とは違って伝統と自然を守って今日にいたる見識にみちた市民によってささえられているのでござります。

このたびの教科書採択においても、教委をはじめ市民のみなさんには、それなりの考えがあってのことに違いありません。銀河殿が言うように、これをもって「つくろう会」教科書を国定教科書になさしめようとか、青少年を国粋主義者に仕立てる魂胆などは、あるはずもないのであり、ささなことを大げさに言い挙げて扇動するのはもってのほかでござ候や。銀河さまの言こそ、自由な教科書採択の権限を与えられた地方機関に対する強圧なのであり、それこそ民主主義に反する言動ではないでしょうか。教科書を選定する権限を持たされているひとつの機関が、その権限を施行して、ある一冊を採択したという過程に、なんの不当がござ候。本に記述された文言のイデオロギーにこだわるあなたの個人的な杞憂にすぎないと思いましたよ。

大田原市は人口5万前後とは前言しましたが、その教科書が使用される市立中学校は7校、生徒数は1700名余りです。数が少ないことは、どうでもよいが、1700名の教科書がいささか、あなたの考えに沿わない本を習っているからといって、それがどうしたと言うのですか。さらに、下の記事では、あなたご自身がその本からいかがわしいと思われた記述のいくつかを引用されておられるが、それを見た限りでも、別に反社会的、反歴史的および反民主主義のなにが弁証できるでしょうや。かなりまっとうなひとつの常識を述べているように思いましたよ。そうした記述のどこが反動的なりや。仮に少々、反動的記述があったとしても、それを読んだ青少年が国粋主義者になるかどうかは、また別の問題でしょう。本の一冊を読んだぐらいで心酔したり傾倒してしまうなら、教育問題など出てくる根拠もない。これまで騒々しかった教育問題は一挙に解決です。現実は、むしろ反対だからこそ問題にされてきたのではありませんか。教科書もまともに読まない子どもたちに四苦八苦しているのではないですか。誰がそうしたことを心痛してきたのですか。わたしは、そんなことも大人たちの一面的鑑賞に過ぎないと思ってきましたし、そもそも学校制度などに、どのような将来社会の希望が語れましょう か。 語ることは自由ですが、語れば語るほど、自らの嗜好やイデオロギーが丸裸になるばかりです。それと他人の子どもの行く末は別でしょう。自分の価値観や世界観を伝えられる手段をふるえる対象は、せいぜい我が子どもだけなのです。他人の子どもにあれを読むな、これを読めと指図する権限なり資格が、あなたにはあるのですか。

仮に、本を読まないという嘆かわしい現実的一面があるなら、教育は教科書の問題などに矮小化できる問題ではないでしょう。教科書は教材の一種に過ぎないのであり、いうなれば、ひたすら教師の資質の向上こそ求められてしかるべきではないのでしょうか。もちろん教師の資質など、実に、また保護者なりの個人的な主観の範囲なのですから、私にはどうでもよいことですがね。青少年が学ぶべき、本の性質など・・・それもたった一冊の・・・・社会的政治的には、なにひとつ重要な問題にはなり得ないということを見ておくのも市民たる見識ではないでしょうか。ほっときなされ、大田原市民も大田原の青少年もそこまで馬鹿ではないのです。

同じことは、先日、つくる会教科書を採択した杉並区役場の前に集った反対派のおかあちゃんたちが手にしていた横断幕に書かれていたスローガンにも言えるのだ。そこにも似たような成熟にいたらず、もがいている人々の不平不満が書き並べられていた。すなわち「つくる会」の教科書が採択されては、まるでこの世の最後だと言わんばかり。明日にでも戦争が始まると扇動している。テキストと政治における未成熟の現れにほかならない。地方ごとの教科書採択を許さず、教科書の文言に口出ししている彼らこそ、全国統一教科書を求めている張本人なのだ。これは新しい歴史観なりを教科書に書き記して、子どもたちを教化しようと計る「つくる会」諸君の馬鹿さ加減に、未成熟という点では、つりあっているのだ。

教科書自体が、教育における現場性のなにを証明できるであろう。教科書が、それ自体として教育のなにを実現できるのかという問題がある。教科書といっても一冊の図書にすぎない。一冊の図書に学術や史観のいかなる真性を表現することが可能なのかという根本的な疑問を看過したままでは、話がつまらなくなる一方なのだ。文部科学省の検定をクリアして後、現場に出回っている図書、それがわが国で採用されている教科書の現実的姿である。教科書と呼ばれる以上、一定の学術的言辞が並べられているのは、その通りだろうが、ようするに執筆者や版元の意向からすれば、検定された後、書き直され刷り上った本は、今や毒にも薬にもならない、当たり障りのない内容となってしまうのは自明のことだ。文部科学省に文句を言っても始まらない。これに文句をつけたのは、われわれが知るところ、いまは昔、例の家永教授ただ一人である。検定に対する彼の抵抗(裁判闘争)は学者魂がそうさせたに違いない。家永三郎教授こそ歴史学者の鑑である。
 
さて、私は、「つくる会」教科書の検定前の本と、検定を終え採択にかけられた実物の双方を、比べてみたわけではないので憶測の域を出ないのだが、かなりの部分で削除、書き直しの指図を受け、その後、ようやく認定された代物だと思っている。つくる会教科書を執筆した当人らの検定に対する文句は聞こえない。なぜ、それで満足してしまうのか。彼らの主張する独特の史観なりは、このたびの教科書に存分に表現されているのだろうか。さんざんに人の手によっていじくり回された結果、毒にも薬にもならないような文言を並べて甘んじている学者根性というものが、私には馬鹿の一種に見えてくるのだ。だいたい義務学校で使われる教科書ごときに学術研究のなにが書ける。私が馬鹿だと言うのは、すっかりお上の検定に満足している彼らの、実に志の低い歴史観のことである。<3147字>
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千鳥が淵の桜かな

2005年04月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
昨日、次男の大学入学式が、武道館にて挙行されたのである。武道館と聞いただけで、数千人単位の馬の骨たちが、集いに集い、むせ返っている様が予想され、もうそれだけで行く気がしなくなってしまった。私としては、入学式もさりながら武道館周囲の満開の桜を見に行きたかったのである。桜の名所として名高い千鳥が淵も靖国神社も武道館のすぐそばである。いろいろ迷った挙句の果て私は欠席することにした。そこで妻に、いつも使っている愛用のデジカメを手渡し息子の晴れ姿とともに、あそこらへんの桜を撮ってきてくれとお願いしておいた。二人が帰宅したのは、夕方だった。開口一番、あまりの人出に妻も息子ものぼせ上がってしまったらしく、デジカメの存在を忘れてしまい、結局一枚の写真も撮らなかったと言う。
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「大森貝塚」 モース

2005年03月20日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
大井町から池上通りを大森まで歩く。途中、「大森貝塚遺跡庭園(品川区立)」に入り見てまわる。大森貝塚が動物学者モース博士によって発見されたのは明治10年のことである。できたてほやほやの東京大学の教官として赴任するためにアメリカくんだりより、横浜港についたモース博士が、次の日、これまたできたてほやほやの鉄道に乗って横浜から新橋に向かっていた途中のことだった。車窓から大森付近でむき出しになって放置されている貝殻の山を見つけたのであった。着任そうそうモースは、ただちに発掘作業にとりかかった。すると貝殻に混じって人骨、土器などが大量に見つかり、ここが約3000年前の縄文後期の遺跡であることを証明したのであった。それまで日本の歴史は「古事記」に記されていた以上の大昔のことは誰一人として知らなかったのである。モースによる「大森貝塚」の発見は、まさにわが国の近代科学と学問のあけぼのを象徴する出来事であった。モース博士が37歳のときである。
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息子の卒業式

2005年03月05日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

次男の某都立高校定時制の卒業式に列席させていただいた。当日、配布された卒業文集に次のような息子のエッセイが載っていた。

数学とは物事を抽象的にとらえた一つの概念である。だから恋愛も数学で解決できる。カタストフィー理論とか呼ばれているらしい。人が一生を生きる間に一時も数学をしない事などありえませんが、なんとも味気ない感じがします。長く数学に親しんだ人でさえ、こんの事を言った人がいる。「これほど高貴で、これほど魅力に富み、またこれほど人類の役に立つ学問があろうか。数学のほかに」(フランクリン)。これは大うそだ。フランクリンが自分の意思を後世の数学者につがせるためについた大うそである。

自分の思うところ、数学とは高貴なものであり、魅力につつまれ、他に類をみないほど人類の役に立ってきた。たしかに人生の4分の1ほども数学と面とむかってくればいままで見えなかったものも見えてくるらしい。だが逆に今まで自分にとって不動だと思っていたものがぐらついて見えなくなってくることもある。私は数学をばかにしていた時がある。勉強は今も好きではないが、以前は、もっと嫌いだった。数学を勉強しだしたきっかけには情けない理由がある。その理由を、「数学は好きですか?」とたずねられた時、思わず、好きですと答えてしまった私には言えない事なのだ。数学は好きなのか、本当のところ嫌いなのか、ただ必死にしがみついているだけような感じがするだけだ。難しいと設問を独自に、だがとてもエレガントとはいえない方法で解いた、その時にやっと好きだと実感できる。何日も何日も一つの問題に取り組み、結局解くことが出来ないとき、気持ちが暗くなる。そんな時、本当に好きかどうかと問われれば自分はなんと答えるか。やはり好きだと言うしかないような気がする。必死にやっていることなら、他人には何も言えない。数学が高貴で、魅力に富み、人の役に立つと言ったフランクリンはうそつきです。なぜなら、数学が好きだと実感しているときの自分が、そう思うからです。「不完全性定理」と呼ばれているものがある。公理系の無矛盾性の証明は、その公理系の内部ではできないというものである。

要は、自分で自分を評価することはできないということ。この定理をゲーテルが打ち立てた時、同時代の多くの数学者が絶望しました。高貴である数学が人を絶望させたのです。魅力に富むといわれた数学は、その魅力のうちに絶望した人を取り込むことができなかったし、人類の役に立ってきた数学は一個人の数学者から希望を奪い去ることもありうるということです。頭のよいフランクリンは、きっと自分の数学好きを言葉として表し、人類のそれにすり替えたのかもしれない。私は数学が好きだと実感するときが、とてもうれしい。数学をやっているうちに、それまで知っていた多くの数学者に似ているような錯覚をするからかもしれません。多くの数学者は数学を研究しながら死んでいった。戦争や貧困、病気が原因で死ぬ者がほとんどだったが、どんな状況でも数学をやめる事はなかった。そんな生き様にあこがれずにはいられない。だが、その数学者は疑問を感じなかったのだろうか。高貴であるとか魅力に富むといったことに。一つ分かることはフランクリン同様に数学が好きでやらずにいられなかったということだ。それでいて、数学はそうした真摯な人たちをとりこにしてしまうのだろうか。そういう数学者にしかみせない魅力があるから高貴だと言うわけだろうか。こうなると訳がわからなくなる。でも、とりあえず自分はそれでよいと思っている。そのフランクリンの言葉にだまされるぐらいまで真摯になって生きてみたい。


息子は先生方の覚えめでたく某夜間大学に推薦入学が決まっている。まずは卒業おめでとう。入学した当初は4年間も通いきれるのかと、いささかの不安がありましたが、ほとんど欠席することもなくたいした事件に遭遇することもなく、むしろ予想以上の楽しい充実した学校生活をおくることができたようで保護者としては喜びにたえないところです。ですが、よい学校でよかったと思うのも、すべて偶然のなさるわざと思うより他には言いようもありません。かならずしも息子自身が率先して探しだし、自ら進んで入学した学校というわけでもなかったのです。小学校以来の地元の仲良しのクラスメイトが息子より一年早く、その定時制に通っておりまして、その彼に誘われてよく分からないままに、ともかく入学してみたというのが実際でした。定時制にも一応入学試験がありますから、入試当日の朝、どうもまごまごしているような、息子に彼から電話がはいり、たたき起こされ、結局その日のお供を彼が買ってでてくれたほどだったのです。彼がいなかったら、入学することもなく定時制はおろか高校とは無縁だったかもしれません。
 
ところで定時制高校にも、いろいろあるようで、息子の入った学校は交通に恵まれた都心にありましたから、毎年さびしくない程度の生徒さんがそこそこ入学してくるよい条件があったのでしょう。上の息子の時も定時制高校に入ったのですが、この学校の場合は、入学してきた生徒さんも指で数えられるほど小数で、長男も嫌になってそうそうにやめてしまいました。実際、多くの定時制が後者のような状態だと聞いています。次男の入った学校はその点、幾分かは学校らしく活発な雰囲気があり、恵まれていたのです。行政は定時制高校の廃止を進めておりまして、その理由にニーズが少なすぎるという事情を持ち出しますが、まさにその通りだろうと納得してしまいます。次男の学校も三年後には廃校が決まっています。数年前からPTAは定時制を守れというスローガンを掲げて早々と廃校反対運動に立ち上がり、集会に誘う通知などが届きますが、私はいまさら反対しても、どうにもならないような気がして、そうした会合には出席しないでおります。定時制を存続させることと、教育の本道はまた別のことだと思うからです。定時制があれば子どもたちが救われると思うのは親の都合から出てくる勝手な論理に過ぎないような気がするからです。
 
事実、次男の学校でも次男にとっては非の打ち所のないほど、よい学校でしたが、一緒に入学したクラスメイトのうちの何人かは一年生が終わることには、すっかり登校しなくなっていたのです。恵まれたよい学校と思うのも、たまたまわが子にマッチしていたことを示すばかりで、とてもそうは思えず通いきれない子どもが出てくるのは、どのような学校でも同じことです。したがって4年間通いきれたという幸いも、あくまで偶然の賜物であり、息子の場合は幸運だったと思うより他になく、わが子の姿を見て、なにかそれらしい理屈や学校教育論が想起されるようなこともないのです。理屈を語っても、それは親バカの自慢話に過ぎなくなるでしょう。でも、私の本音は、やはりうれしかったの一言につきます。以前は当掲示板のみなさんがご存知のように口を開くたびに学校をこきおろすばかりでしたが、今は息子のおかげで、学校というものは、なかなか楽しい所で子どもたちにとって有意義なところかもしれないと考え直したところです。以前は私も、「学校は廃れても教育は残る」とわめいていた理屈も、最近はどうも逆のような気がしてなりません。そこで「教育は胡散臭いものだが、学校にはそこそこ真実がある」とでも、言い直しておこうと思います。

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▼不合格通知

2004年11月17日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 今日は朝から晴れた。息子宛に速達が届いた。先日、AO入試を受けた大学からのものだった。合否を知らせる通知である。残念ながら不合格ということだった。息子は小一時間、無言のまま頭を抱えていた。
 「甘いものじゃなかったね。でも、やれるところまではやったのだから。たいしたものだった。気持ちを切り替えて次の学校の入試を目指せよ」と私が声をかけても返事がなかった。
 午後から4歳下の弟に会う。近くの児童公園で酒を酌み交わしつつ歓談していると雨が降ってきたので別れた。われら兄弟の話題は、おのずと半年前に急逝してしまった妹のことに及ぶ。弟は、あれ以来、気持ちの張りが保てなく、しばしば空虚な感じに襲われると言うので、それは俺も同じだと答えた。

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AO入試に挑んだ息子

2004年11月05日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

次男は明日、某私立大学のAO(アドミッション・オフィス)入試の2次試験を受ける。中味は、すでに提出していたレポートをめぐる口頭試問風面接とのこと。次男にとっては、そのレポートこそ事実上の入学試験と言っても過言ではない。レポートを作成する息子を親の私はもちろんはたで見ていただけだが、問題に立ち向かって格闘していた、そのときの彼の姿が当分の間、脳裏に焼きついて離れないだろう。このレポートは1次試験合格通知に同封されて届いた「設問」に答える解答集ということである。提出締め切り日は去る10日ほど前だった。息子は、提出締め切り直前の三日ほどはアルバイトを休み寝る間も惜しんで完全解答を目指して取りくんでいた。こうしてレポート用紙18枚に及ぶなかなか立派な解答集をホッチキスで綴じたのは、締め切り最終日の夜11時になっていた。それからタクシーを飛ばして郵便局に向かった。窓口に提出し、その日の消印を押してもらったのは11時半だった。郵便局まで私も次男に同行したのである。自宅までの帰り道は、のんびりと肩を並べて歩いてきた。息子は一つの大仕事をやり遂げた直後で気持ちが高揚していたようだ。彼の熱い幸福な感覚が私にも乗り移ってきた。私もいいものを見せてくれた息子に胸の中で感謝したのである。
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▼参議院選挙投票日

2004年07月11日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
本日は参議院選挙投票日。夕方、この春二十歳になった息子と会場に向かった。息子にははじめての選挙であった。会場は息子が卒業した地元の小学校である。最近はいつもそうだが、前もって決めていた候補者がいなかったので、目の前に貼られてある候補者名簿一覧を見ながら、字を間違えないように慎重に候補者名を書き込んで投票を済ませた。会場に入る前に、息子にも、一覧表を見て候補者名を書き入れること、またどうしてもふさわしい候補者が思いつかない場合は白票のまま投票してもよいことなどを説明しておいた。
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夜のガッコの修学旅行

2004年06月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
定時制高校に通っている次男が3泊4日の修学旅行から帰ってきた。引率の先生方を含めても総勢20数名のこじんまりとした北海道旅行だった。今の時期、梅雨のない北海道は天気に恵まれ最高だったろうと問うと、それには返事も無く、ハイ、おみやげと言いながら、ザックの中から出してくれたのが上の写真のものだった。
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送辞を読む

2004年03月03日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
次男が通う夜のガッコでも、卒業式が間近となった。在校生を代表し次男が送辞を読むそうだ。一週間ほど前から、これにかかり切りで何度も推敲を重ねていた。草稿は昨夜ようやく完成し、学校で巻紙に清書してきたとのこと。それで家に持ち帰ってきた原稿用紙のほうを、読ませてもらったのである。

卒業生のみなさん。ご卒業おめでとうございます。毎年、この時期になると卒業生が去った後の○○高校を心に思い浮かべます。それは残されたものにとっては、不安で淋しいものです。私は別れが嫌いです。なごやかな時期が過ぎ、一つの時代が終わったような悲しい気持ちになるからです。

特に今年の卒業生の中には、私がこの学校に入学するきっかけを作ってくれた方もいるのです。私が最初に、この学校の校門をくぐったのは、その先輩に学校説明会に誘われたからでした。

クラスメイトと楽しそうに会話を交わしている先輩の姿を見て、私もこんな仲間を作りたいと強く感じ、それが○○高校定時制入学への動機となりました。三年間、私たちは先輩たちの学校生活を見続けてきました。先輩たちは、学業と仕事を両立させ、部活動に励み、行事の進行や生徒会活動などで、私たちの手本となって活躍されました。

卒業生の皆さんはお気づきではなかったかも知れませんが、私のように、たえず先輩方の何気ない行動の中に希望をさがし、それに勇気づけられた後輩も決してすくなくはなかったと思います。

今日の悲しみは今、始まったわけではありません。先輩たちとの出会いのときに、時計は動きはじめ、今日の別れを知っていたからこそ、これまでの時間の中で、私の中にも忘れることができないほど一日一日が確かに刻みこまれてきたように感じるのです。

別れは、新たな出会いの兆しだと、聞いたことがあります。卒業後、先輩たちは、それぞれの道を進まれるわけですが、新しい道で、また新しい出会いがあり、新しい人間関係の中で、様々な困難も、きっと惜しみなく協力しあい、互いに乗り越えていかれるでしょう。

卒業生のみなさん、今日のこの時まで、私たちから感謝の気持ちを言葉にあらわすことのないまま、とうとうお別れの日を迎えることになってしまいました。お別れをおしみつつ、みなさんへの感謝の気持ちをいっぱいに込め、お別れの言葉とさせてください。三年間、ありがとうございました。

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我が子は二十歳になりにけり

2004年01月12日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
昔から「成人の日」というものは1月15日に決まっていたのだが、いつの間にか第二月曜日というように変更されていて今年は、本日12日が「成人の日」のことなり。

実は、私の次男が今年の春に満二十歳を迎える。早いものでごわす。

本日、区民会館で行われる成人式への招待状が次男にも届いていて、当人も参加するつもりなのだそうだ。

着る物などは、どうするのかと思っていたら、昨夜のことだったが、夜遅く、6歳年上の長男がアルバイトから帰ってくると、さっそくスーツを貸してくれと頼みこんでいた。

今朝、私が起き出して居間に顔をだして行くと、次男はすでに兄から借りたスーツを着込み、神妙な顔つきで何度もネクタイを結び直していた。

彼のネクタイ姿は、私も始めて見る晴れ姿。

ところが、出かける寸前になってスーツ姿にふさわしい、ちょうどよい靴がないことが判明した。

長男の靴も私の靴も、彼には小さすぎた。

結局、いつものスニーカーを履いていくことにして、元気に玄関を出ていった。
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▼我が家の名人戦

2003年09月16日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

夜もふけ日も改まった頃、当年とって24か5になる長男(写真右)が帰宅してきた。わずかに頬に赤みがさしていた。仲間と酒を飲んきた形跡がなきにしもあらず。食卓でTVを見ていた当年19歳、お上のお達しによれば数年後には廃校が決まっている夜のガッコの3年生なる次男を相手に、何を思ったのか「名人戦」を申し込んだのである。戦い始まって間もなく長男の陣営に「香車」がないことが発覚した。消しゴムに「香」と書き、これを代用とする。以後、双方、しばしば長考に及び、決着がついたのは朝方だったと聞く。

 

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耳かき

2003年08月03日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
かみさんが、ひざに息子の頭をのせて耳かきをしていた。息子は当年とって19歳。お上のお達しによれば数年後には廃校が決まっている夜のガッコの、ええと、たしか3年生だったはず。
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