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赤いハンカチ

ものを書く前に、計画的に考えてみるということを私は、殆どしたことがない・・・小林秀雄

春爛漫の息子なれ

2003年05月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
次男は数え二十歳の男前。お上のお達しによれば数年後には廃校になることが決まっている夜のガッコの3年生。年度末に作られる文集に次なる文章が載せられていた。親バカちゃんりん再掲許せ。

「モンティバイソン」と言うイギリスのコメディ番組がある。この番組の「ギャグ」は、はっきり言って自分にはまったく笑えない。アメリカのホームドラマなどによくあるが、番組中に笑う場面が出るとドラマとは関係なく笑い声が聞こえるが、視聴者側の笑いをさそっているのだろう。「モンティパイソン」にも同じシチュエーションがある。だから自分がこの番組をみていた時は、テレビだけが笑っていた。やはり異国の番組だけにそのギャグセンスと呼ばれるものが理解できないほどクセの強い物となっているのだろうか。かならずしもイングリッシュコメディーが日本人の体質に合わないわけではないらしい。

同国には「ミスター・ビーン」と呼ばれるコメディーがある。こっちはとても受け入れられいるし、ロワード・アトキンソン(主演・ビーン役)のファンも少なくない。2つの番組を比較すると、次のような違いを見つける事ができた。ミスター・ビーンの中では、主人公であるビーンが非常識な行動をとり周りの人とのギャップの違いをあからさまにし、そこから笑いを作りだす。この番組内の関係が日本の漫才のボケとツッコミの聞係にてらし合わせられる。つまり非常識なビーンがボケ役であり周りのおそらくは常識人がツッコミ役である。

モンティパイソンの場合を漫才で説明すれば、出てくる人間の全てがポケ役にあたるのだろう。そう考えるとかなり型やぶりなギャグだ。自分は好きではないが、「モンティパイソン」の大好きな友達が一人いる。仮りにm君とする。m君は録画した「モンティパイソン」のビデオを持っている。一本に6時間近く入っている超大作であった。そのm君に「奇人達の晩餐会」というフレンチコメディー映画を見てもらった事がある。この映画もポケとツッコミの役がらがはっきりと別れている。

自分は、この作品がけっこう気に入っていたが、m君には気にいらなかったらしい。感想に一言「スゲーおもしろい」と皮肉まじりに言った。どうやら途中までしか見なかったようだった。ギャグセンスの違いだろうか。それともギャグに関しては目の肥えたm君にとっては型やぷりな「モンティパイソン」の方が新鮮でおもしろ味を感じるのかもしれない。ギャグにもそれぞれのスタイルがある。だから「モンティパイソン」や「ミスター・ビーン」などの一個人に関して笑える物と笑えない物が出てくるんだと思う。

「ミスター・ビーン」役のロワード・アトキンソンは、番組内のビーンからは想像もできないほどまじめな感じのする男性である。その人の素顔を見たときはどちらがどちらを演じているのかと思うほどである。自分はその人の演技力に驚きを覚えずにはいられなかった。またその番組の構成のしかたも一年に何本しかできないというスローペースであり関係者が総動員で練り上げていく。「モンティパイソン」にいたっても同じ事だと思う。そうした中でそれぞれの「ギャグ」のスタイルが長い時間の内に、いくつも組みたてられてゆく。

最後にチャプリンの事を少しだけ書く。チャップリンは子どもの頃から舞台に立っていた。よく独特のアドリブでお客を笑わす。人を笑わす事が好きでなければそんな事は思いつかないと思う。そんなチャップリンの芸風にロワード・アトキンソンのスタイルが似ている。余談・テレビタレントのえなりかずきさんは、チャップリンを最も尊敬しているらしい。また映画評論家の淀川長治さんがチャップリンの熱狂的な大ファンであったことは有名である。さらに余談だが、この作文の題名に意味は特にない。ただ人の感性が五つにかぎったものでないと思ってつけてみた。ギャグセンスなども五つだけではないと思った。


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▼父親としての私

2003年02月25日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
私の場合、自分が「どういう父親」かを語るのが、ネットでの商売のようになっちまっておりますから、いくらでもお話したいのですが、今日は昼間、ほっつき歩いていたせいか、いささかお疲れです。

一つ気がつくことは、父親も息子達も互いに中古品であるという認識を共有しているものかと思われます。決して新品製品がごとく輝いているものではないということです。かなりサビ付いているという自己認識にしておいたほうが、気持ちが楽です。

かろうじて今のところ、父も子も心臓と手足が動いていますから他にはなんの心配もないのです。それにしても息子から私を見たときには、役に立たないオヤジだとか、多少の不足感というものがあるかもしれませんが、よくは知りません。自分が錆び付いているぐらいですから、息子とはいえ、人のサビ付きを指摘しても、恨まれるだけです。

サビ付きはともかく、長い間、人格に及ぶような話はしたことがありません。いずれにしても中古品なのですからいつ壊れても、文句の持って行き所というものがありませんし、いざとなったときは、自分でこらえるより仕方もござんせん。

<488字>
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ゆうメイトのアルバイト

2003年01月04日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
次男の年賀状配達、いわゆる「ゆうメイト」のアルバイトも明日が最終日。もちろん無遅刻無欠勤である。始まったのが暮れの25日からだったが休みは明けて2日の一回だけだった。ここまで、よくがんばった。なにしろ一日中、赤い自転車を漕いでいるというのが仕事だから、そうとう腰に負担がきているようで家の中でも腰を曲げて歩いている姿がおかしくてならない。
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ゆうメイトのみなさん 

2003年01月01日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
午後になり河原に出てみた。男の子がタコを上げていた。夕方、次男が年賀状配達アルバイトから帰ってきた。今朝は、配達に出かける前に局内で局員と「ゆうメイト」と呼ばれているアルバイトの諸君らが一同に会してクス玉を割って祝ったという。その際、局長から「ゆうメイト」の諸君に次のようなありがたいお言葉をいただいたそうである。

ゆうメイトの皆さん、あけましておめでとうございます。いよいよ、本日は年賀状の元旦配達日です。地域の皆さまも年賀状の到着を心待ちにしています。是非、笑顔と元気で明るい挨拶とともにお届けしてください。本日、T郵便局区内のお客さまにお届けする年賀状は約470万通で、一世帯あたりでは約55通という通数になります。メイトの皆さん、これまでのご協力に深く感謝申し上げるとともに、これからも相当数の年賀状を取り扱うことと思いますが、最後までご協力をお願いします。ところで、皆さんのアルバイトの期間も残り少なくなってきましたが、このアルバイトを通して、社会の仕組み、仕事の大切さ、職場のルールやマナーなどを学んでいただく社会勉強になれば幸いです。皆さんが社会に出た時、郵便物が社会に果たしている役割や任務などに理解を深めていただき、より身近な存在になっていただけたことと思いますが、今後ともご支援をお願いします。あと僅かなアルバイト期間は、交通事故と健康に十分気を付けてください。最後になりましたが、皆さん方のために毎日暖かく送り出していただいたご家族の方にも、よろしくお伝えください。
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郵便局のアルバイト

2002年12月26日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

息子は郵便局でアルバイトをはじめたのだった。年が明けると同時にいよいよ年賀状配達の本番である。父は、息子の働いているところをぜひ写真に撮りたいと、時間を見計らい配達を任されている町の一画に出向いてカメラを持って待ち伏ていたわけでは決してなかった。父はやや頬を紅潮させて、あくまで散歩の途中で偶然に出くわしたと弁明するのであった。それはともかく、息子は父の背中から「もう一回り!」などと威勢のよいことを言いながら自転車を止めることもなく走り過ぎていった。18歳と八ヶ月。お上のお達しによれば数年後には廃校が決まっている夜のガッコの2年生。滅多にみられない我が子の「勇姿」がそこにあった。シャッターを押しながら父は胸が熱くなるのを覚えた。以上、今日はNHKの「プロジェクトX」風にまとめてみた。
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▼親子の縁

2002年11月12日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 息子たちも私も風邪を引いてしまった。居間のゴミ箱はハナをかんだテッシュペーパーの山。寝たり起きたり体温を計ったり、朝からずっと3人して鼻水すする音が絶え間ない。昼過ぎに3人が集まっていたので、オイ、左手をテーブルに出して比べてみようぜと呼びかけた。そこでシャッターを切った。写真上が長男24歳の手。下左が数え55の私。下右は次男18歳。さすが親子である。骨格がよく似ているように思えた。

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あいつぐ定時制高校の閉鎖

2002年07月16日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
次男の学校から手紙が来ていた。正確にはPTAの会長さんより保護者各位に出された手紙で、来る何日に臨時総会を予定したので参加されたしと書いてある。議題は一つ。次男の通う定時制高校は都立である。都知事・石原慎太郎どんの学校再編計画によって、この学校は数年後「お取りつぶし」になるらしい。ここは保護者一丸となって、知事室に乗り込むなり抵抗運動に打って出ようというわけか・・・。

でもないらしい。手紙を開封して失望を禁じ得なかった。みんなで集まって、ちょこっと意見をとりまとめ、ゆくゆく都あてに要望書を提出したいと、随分のんきなことを言っている。して、その話し合いのための臨時総会を開くむね・・・かくかくしかじか。株主総会でもあるまいに。まるで、他人事である。リーダーシップというものがあまりに欠けている。総会を開いたからといって、意見がまとまるものなのか。いままでのPTAのやり方を見れば、問題提起も結論もすべて学校教師が作っているという内情がある。教師の作った文案を保護者を集めて事後承認するだけなのだ。だから株主総会のようだと言う。教育の現場にしては、保護者の存在はまるで「教育的」ではない。対話もなければ討論もない。総じて話をしようとしないのである。それにしても、この手紙だが、この先学校がどうなるかというかつてない重大問題にしてはあまりに危機感がなさすぎる。招請状はよいのだが、まるで「自分たち」の意見が一行も見あたらない。やーめた。いつものように、しゃんしゃんしゃんで終わるのが目に見える。

学校がなくなるを逆説で語ってみれば、意外に、その時こそ子どもたちの自律の契機となるかもしれない。定時制高校というだけあって生徒の中には、すでに社会人であり成人である方たちが幾人もいる。なによりも彼らの意見をよく聞くことだ。まずは生徒、教師のせっぱつまった立場を尊重せよ。彼らが、別にせっぱつまっているわけではない、というなら、これ以上なにを詮索しても始まらないではないか。こうして頭の巡りの悪い私も、主役を演じるべき彼らに比べれば保護者の出る幕はずっと先の話で、当分やって来そうにもない、という結論にいたったわけである。

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アカプルコが咲いた

2002年07月05日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
アカプルコと言うのだそうな。どこから見ても色が違うだけで私には「百合」一般としか見えないのだが。これでも、昨夜はまだ蕾(つぼみ)だった。開きはじめたのは早朝5時ごろだったか。撮影したのは9時。少々加工して、ここにアップしたのは午後3時。植木類は先日養護学校からいただいてきたナスにしてもそうなのだが、我が家のベランダ育ちでは、咲いたり実をつけたりするまでに至らないで枯れていく場合のほうが多い。次男が大きな球根をバイト先から持ち帰ってきたのは、5月の連休後のことだった。店主からいただいたと言ったきり、幾日か食卓の端に転がっていたものを仕方なく私が植え付けておいたのだ。球根の大きさに比べて、鉢が小さすぎると、何も手を出さなかった妻から非難を浴びた。もちろん、再び植え替えることはしなかった。次男のバイトは週4日、地元の新聞販売店で明日の朝刊に差し込む幾枚もの広告チラシを一つにまとめる作業だと聞いていた。日によって労働時間が違う。やはり広告は週末に殺到するらしく、金曜日はなかなか帰ってこなかった。家にいる専業主夫としては、登校時間が気になって仕方なかった。昼夜逆転したままバイトに行って帰ってくる日などもあり、学校を休んだことも幾度かあった。それでもバイトだけは無遅刻無欠勤。頭が下がった。彼は、夏も最中に個人的な計画を持っていた。だから最初から2ヶ月だけの短期バイトにしたという。6月も半ばにさしかかって、いよいよ明日でおしまいというところで、店主から、せめて月末までいてくれないかと懇願されたという。それを振り切って、自分の公約を守った。夏に予定されている某検定試験を受験するのだという。そのためにベンキョしたいのだと聞かされては、ますます頭が下がるのみ。昨夜も遅くまでベンキョに励んでいたようだ。今日も昼頃起きてきてベランダに目をやりながら、「おう、咲いたか」となかなか男っぽい口振りなのである。

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▼「スカートの中の劇場」 上野千鶴子

2002年04月24日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

本日午後3時半。某私鉄ターミナル駅の改札口前。春ですね。娘たちの白いおみあしが艶(なま)めかしい。タバコを吸う手つきまでなかなか板に付いている。通りすがりのオジサンも一応、これでも男だし・・・・変な気持ちにさせられる。ガッコ帰りなのだろう、いずれもれっきとした制服を着てござる。この子は中学生か高校生か。二人の息子たちが異様なほど抵抗した「ガッコ」と「制服」。それが彼女たちを見ていると少し分かってくる。もちろん息子は男。現在どこまで欲望が肥大している状態なのかは、ほとんどよく知らない。知らぬが花ということもある。どこでなにをやっているものなるや。もしかしたら、今だ男と女の区別がよく分からず、その境界線上でふらふらしているということもあり得る話だ。だが、こればかりは人に教えてもらって納得しても、どうなるものでもない。なにもかも、子ども個々が苦労し、内面に少しづつ蓄積させてきた結果と外からやってくる導体との偶然の関係にゆだねる他はない。さて昨今では女を「女」にさせる過程は、男を作るよりガッコではよほどうまく行くようだ。「制服」こそガッコだ、と断言していた風俗学者がいたが、なるほどと思う。「女の子」たちにとって、ガッコと制服こそ「女」になるための最適最上のツールだったとは、私も世間を知らな過ぎた。女子生徒はスカートをはくのが空気のように当たり前だと認識していたのだが、こうしたところもよおく考えてみれば、面白い問題にぶつかるものだ。そういえば男女差別なしのズボンをはかせているという話は公立小学校などをのぞけば聞いたことがない。女性学の上野千鶴子氏の『スカートの中の劇場』という本を読んだことがあるが、改めて納得した次第。「女の子」にはスカートをはかせてみて、世渡りの「劇場」も方法も男と違うことを、まずは思い知らせてやるのだろう。「体に覚えさせる」というのが、何事もてっとり早いとでも考えているのだろう。これぞガッコ教育と言わずして、他にガッコの価値など探しても見つかるものでない。それはともかくこうも毎日、駅周辺に現れては他ならぬガッコ制服のスカートを「劇場」にして、あからさまに「女」修行を始めるものだから、目のやり場がなくなり困ってしまう、オジサンの立場も考慮してほしいのだよ。ガッコさん。

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金髪先生冤罪事件 

2002年03月26日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
今日は千葉地方裁判所において「Y先生事件」またの名を「金髪先生えん罪事件」の判決が出る日である。所属学校の校長をして「ひき逃げ」し、よって「傷害」を与えたとして起訴され半年以上も拘留された千葉県四街道市南小学校に勤務していたYさんに罪の有無をめぐって判決が下ろされる。けれど無罪だったら、どうするのだろう。教育委員会、警察ご一統方々は。なんせ起訴されたと同時に懲戒免職である。起訴、逮捕が間違っていたというなら、Yさんを学校に戻さなければならないのが真っ当な考えだが、彼らにそれができるかどうかだ。間違っていたことを潔く認める人間ほど信用にたることはない。彼らの場合、自分が間違っていたとは死んでも言わないのが常なる習性のようだから。

私も第一回の公判より幾度か公判を傍聴してきたが、法廷での話を聞けば聞くほど「公」の象徴である学校という場が実はウソにまみれていることを痛感させられるばかりだった。「平気でウソをつくひとたち」とか言う本が売れたそうだが、まさに学校には「平気でウソをつく」人間どもが吹き溜まっている。校長しかり、PTAと名付けられ徒党している保護者集団しかり。高位高所から高見の見物をこいている教育委員会。ちょっと世間から外れた言動を行う人間をつけねらっている警察。みなして平然とウソをついて恥じることがない。そういう人種たちが子どもの前にたって何事を「教え」ようと言うのか。今回の事件は、ウソによるデッチ上げであったことは最初から明々白々であった。公安警察に教唆されてまったくケガもしていない校長がいくつかの証拠物をねつ造し訴えた。Yさんを学校から放てきする目的で。市民運動に打ち込む教師をつけねらっていた警察と校長の利害が一致したのだろう。早急に事件がデッチ上げられ、当人は逮捕された。裁判所がこれにお墨付きを与えてきたという構造だった。

お笑いなのは、こうした場合いつも、その怪異な存在が隠される、衆愚ゴロツキの存在である。南小学校PTA各位の立ち回りこそ、今回の事件の華といえば言えるだろう。一昨年、彼らはこともあろうに、Y教諭を学校から追い出そうと署名活動をおっぱじめたってんだから。これは前代未聞の話だった。それほどお上に対して衆愚が強くなったなどとは文明開化以来100数十年このかた聞いたこともない。105世帯のうち100世帯が署名したとな。署名は教育委員会への陳情ということか。すでに2年前からこうして衆愚と権力が共謀して、あげつらう材料がないかと人様のケツの穴をのぞくように、虎視眈々とYさんを狙っていたわけだ。実際、警察に尾行までされていたことが明らかになっている。さて前回の公判で、検察は懲役14ヶ月の実刑を求刑してきた。本日は、裁判官がこれをどう言い換えるのかが聞き所だが、楽観はできない。裁判官が被告を色眼鏡で見ていることは明らかだからだ。Yさんはまたの名を「金髪先生」と呼ばれているように、白髪隠しのために金髪に染めていた、少なくても逮捕時点では。不当な理由で8ヶ月も保釈が認められず拘留されてきた間に頭髪は元の木阿弥。やっと保釈されたのが先月である。娑婆にでて、さっそく金髪に染めたのは、さすが金髪先生だ。

前回の公判には金髪で出席したのだが、「どうしてまた金髪にしたのか」などと裁判官が嫌みをいってきたとのこと。彼らが、いかに人を見る目がないか。時には市井の無知蒙昧よりいっそうひどい無自覚性をさらすことになる。姿・形で人権を説明するバカはおるまい。またするべきでない。姿と権利を繋げて考えるほうがよほど違法行為ではないか。こうした御仁が黒い法衣をまとって裁判やっていてござるわけだから。泣けてもくるさ。金髪だと有罪に近いとでも言うのだろうか。実にいいかげんな法曹ご一同かということが、こうしたなにげない一言からも伺えるのだ。しかして一個の人権と世間の秩序をはかりにかけた場合、人権を剥奪しても秩序を守りたいとするのが彼らだろう。秩序を守るためなら、人一人がごとき平気で路頭にまよわし、権利を蹂躙する。その道筋をつけるため「平気でウソをつく」。だとするならば、彼らが後生大事に守りたがっている、その「秩序」の実体とはいかなるものかと問いたくもなるが、一言のもとに片づければ、これまた幻想なのである。正確に言うなら国家という幻想である。

今日は最悪な判決をまねいた悔しさよりも、醜悪な人間が法衣を着て人を裁くことの恐ろしさこそ、まざまざと知らしめられた思いである。Yさんは検察求刑通りの実刑1年2ヶ月の懲役刑である。長々と棒読みされるだけの判決理由を聞いているのは骨だったが、裁判官は被告や弁護人の話にまったく理解を示さず、警察と告訴した校長のいうことをすべて鵜呑みにして被告を断罪してきた。要するに校長がケガしたかしないかなど、最初からどうでもよいのらしい。なにより上司の言うことを聞かず、反発ばかりしているのが最大の罪だそうだ。保釈されたことを良いことに、ふたたび髪を染めたりするのは反省していない証拠だと真面目に言うのだから、ここでは傍聴人らから幾度めになるだろう、大きな失笑を買った。これでも分かるようにである。Yさんの態度が悪いのだというのだ。酌量の余地無し。悪質極まる事件であったとのこと。事件については、警察、校長サイドに都合の悪い、説明のつきにくい部分は、白を黒と言いくるめるに終始する。事件の核心はYさんが車で校長に衝突し、転倒させ傷害を負わせたか、その事実はあったのか無かったのか。起訴事実はこれだけなのだ。校長はあっちがいたい、こっちがいたい。救急車で医者に行き、診断書まであるではないか等々。これだけ聞けば、たしかにひき逃げ事件とも言えるだろう。だが、考えても見よ。なぜ幾度も衝突しなければならないのか。車にぶつけられても、また立ち上がり、車の前に立つアホがどこにいる。三度も衝突したのだという。ここに校長の大ウソと事実をねじ曲げてしまう強引な政治性が企まれている。通常の感覚では、一度車にぶつけられたなら、それで「満足」ではないか。恐くて再度車の前にたつのは「勇気」あることなのか、よほどアホかのどちらかだ。これを裁判官は「危険を省みず、堂々と校長の職務に邁進した」などと黒を白にしてしまうのである。

Yさんも証言しているように、校長は「当たり屋」を演じてYさんを貶めるために、デッチ上げ事件を自作自演したことは明白なのだ。私自身、何度も「支援ボード」の方にも書いたことだが、一度めの転びは予行演習。なんせ高橋校長は、元体操選手だったそうだ。ケガのしない転び方=受け身は専門なのである。下はコンクリートである。本人としても転んでみた感触を得ておきたかった。やってみなければケガは分からない。幾度も練習するに越したことなし。車の運転席からガラス越しに見ていたYさんは、「校長先生は、なにかふわっとゆっくり転んだようだ」と言っている。「校長はなにしているのか」と思ったそうだ。起きあがると、また車に体をよせて「下りろ」と命令してくる。と思って見ているとふたたび、転んだのである。校長は近くにいた教頭以下の教師に、カメラやビデオを用意するよう大声で命令してから、ふたたび車と「衝突」、後転した。さすがに予行演習の成果があった。十分にカメラを意識して、写り映えのするように、さらにケガのしないように上手に転んでみせたのである。救急車を呼んだのは警察の指示である。なんとサイレンが校庭に聞こえてきたのは一時間もたってからだった。さらに。どこの医者に行くかさえ、患者が指図している。ビデオでも見られるようにピンピンしている。意図通りの診断を得るために、知り合いの医者の元にわざわざ救急車を差し向けた。なにからなにまで計画的であり、警察の指図の通り動いているのだ。さらに診断書を書いてもらったのは、事件から一月もたってからだった。この診断書を提出したその日にYさんは起訴され、さらに懲戒免職処分通知を受けたわけだ。じつにあわただしい仕儀だが、警察、教委、校長等々の面々による謀議されていた背景が浮かび上がっている。三者三様になんという素早い対応か、だが、またつじつまの合わないことも多いのである。さらに数日もたたないうちにPTAがホームページを立ち上げるというおまけは滑稽だった。

こうした一連の動向の中に校長のケガの有無などふっとんでしまう事件の核心がある。今般の裁判官もまた、最後には自分がなにを裁いているのは、わけも分からなくなっていたらしい。まるで校長になりかわって言うことを聞かない教師を説教しているような、あるいは教委に代わって「いじめ」を買って出たかのごとき始末ではないか。だから三流の教育論、教師論になっちまうのだ。判決理由が全然筋が違ってきてしまうのである。Yさんはいかに教師としてふさわしくないか。いかに「不適格」か。検察官が当人の私事にわたるまであげつらい、なんとか教師としては能力不足でありふさわしくないことを口を極めて証明しようとしていたことを思い出す。今日判決を下した小池裁判長は、実は公正な裁判を放棄してしまっているのである。論はそっちに移ってきてしまうのである。「そっち」というのは事件をでっち上げてまでYさんを現場から追い出そうとした校長の心証に沿った、またはうべなった、さらには他の証拠を見ることもなく他の言うことを聞かずに校長・教委・警察の意図ばかりを鵜呑みにしたということである。彼らの言うとおりに裁判所が従ってしまったということになる。したがって極めて不当にして不正な汚れた裁判となり果てた。こうして千葉地裁での公判は終わった。もちろん被告と弁護人はさっそく控訴の手続きをとったとのこと。金髪先生は本日の公判後そのまま移送され、ふたたびぶちこまれてしまった。

千葉県四街道市にあって所属学校の校長を「引き逃げ」し「傷害」を与えたとして訴えられているY教諭の裁判も半年がたった。昨日はその第6回目の公判で、Yさんと手を携えるようにして良い教育環境を目指して活動してきたDさんが証言台に立った。Dさんは、日教組分裂という戦後の教員運動の大エポックを示した後、10年ほど前に千葉県内に新しい考えのもと上部団体を一切もたずに結成された学校関係者たちの実に小さな組合「千葉学校合同」の当初からの委員長である。また逮捕後7ヶ月に及んで接見禁止、保釈なしのまま拘留されているYさんは書記長ということだ。二人は組合結成時より堅い絆で結ばれている。わずか十数名のスモールイズベストを目指す教師たちの労働組合である。Dさんにとっても、結成当初よりかけがえのない相棒が無実の被告とされ教師の職を一方的に解かれたとあっては組合存亡の危機すら感じているに違いない。この日、実に意図的な誘導尋問で証人と被告の「教職」を貶めにかかる検察官にやや感情的になって答えていたのも無理のない話であり、その心意気こそ傍聴者にもよく伝わってきたのである。すべての証言が終わり退席する際、被告席で両側から廷吏に押さえつけられているようにして座っているYさんにDさんが半年ぶりになる間近からの笑顔の励ましを贈っていたことが印象深い。さて公判冒頭、事件を写すビデオが公開された。これまで公開された物的証拠として録音テープ、写真の2点があったが、どうもある意図のもとに編集された跡が推測され、納得しがたい部分もあったが、今回のビデオはそれら以上に事件の詳細を語って申し分のないものだった。撮影者は校長、教頭以外の同校の教諭であるらしい。中味は10分ほどだった。たいした説明もなしに傍聴者が席についたとたんの放映だったから、モニター上からは何事も断定はできないが、訴訟事実としての「衝突」「転倒」そして「傷害」を受けたとする事件現場の、直後の様子のようだった。

校長は車の前に佇立(ちょりつ)して大声を上げながら車から降りるよう説得している。フロントガラス越しに運転席にいるYさんと鼻をつきあわせているような具合である。車の中からYさんはマイクを通して屋根に設置されてあるスピーカーより「校長先生、交通妨害はやめてください」と訴えている。こうした構図がほぼビデオの大部分をしめている。新しい事実だが、この間にも、なんとYさんは危険を避けようと車をわずかづつ後進させているのである。バックする度に校長は前進し体を車にすり寄せていく。最後は、後輪がが植え込みの縁石にでも当たったのか、それ以上はバックもできないようだった。車の前面には校長が体を触れんばかりにして立っている。これでは前進させることもできず、まったく車を動かすことはできなくなった。自分から外に出ない限り、監禁状態となってしまうのは目に見えている。Yさんは車をあきらめ運転席から降りた。徒歩で勤務先に向かおうとしたのだろう。ところが歩こうとすると校長がいちいち体を当てるようにして阻止してくるのである。この状態から素早く体をひねって逃げ出すと一時、間をおいて校長ともう一人の男(たぶん教頭)が、合図しあったかのように肩を並べて追いかける。まるで短距離走のスタートのようだ。二人とも全身これバネという反射神経の持ち主であるらしい。

さて、車が後進してこれ以上は微動だに出来なくなったあたりからカメラは固定されたらしかった。以後は最後までアングルは定まって動かない。二人が追いかけていった後、画面からはしばらく誰もいなくなる。数分後Yさんを取り逃がした二人が、向こうのほうから歩きながら画面の中に入ってくる。そして放置された車のあたりでなにやら協議している。そして車から離れ、取り逃たことを悔しがっている様子もなく再度現場を眺めやっている校長の後ろから、教頭らしきもう一人の男が彼の服をはたいてやっている。おそらく転倒時についた汚れでも目についたのだろう。だがこうしたなにげない画面からさえ、学校におけるヒエラルキーな職制が露呈されていて、気持ちのよいものではなかった。このビデオが示してくれたことは、私たちが想像していた以上のものがある。すなわち校長は痛がっている様子がまったく見られないのである。当然「傷害」を受けたなどと誰が読みとれよう。むしろYさんのほうこそ、被害者である。校長から行く手をさえぎられ車に監禁されはぐってさえいるのである。以上、第6回公判で公開されたビデオこそ、Yさんが無実であり当事件が「デッチ上げ」られたものであることを、あますところなく証言してくれていたのである。<5980字>
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息子に誘われ朝の散歩

2002年03月24日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
今朝は5時起き。襖(ふすま)を開けて居間に顔を出すと次男がすでに起きていた。私はさっそくパソコンの前に座り思案していると息子が一緒に散歩しようと誘ってきた。まだ薄暗い夜明け前。いつもの通り多摩川の河原に出て、いつもの通り上流に向かって30分ほど歩き、また戻ってくる。我が子とたわいもない話を交わす至福の時。東の空が見る見る明るくなってきた。

そういえば、三日ほどまえに学校の文集に載っていた息子の作文を読んだ。

-★-★-★-

朝、目がさめると玉川あたりを走りに行きたくなるときがある。「自分にあまい性格だね」と友だちに言われた事があった。その言葉に反発する気持ちが先立っていたので、少し自分の心をたたき直してやるつもりでフトンからはね起きた。冬の終わりとはいえ、とても寒い朝。パンツ一枚になったところで、気がついた。学校にジャージを忘れてた。昨日までおぼえていたのに今日の朝は忘れてしまっていた。少しの時間だけ忘れていたのに、そのうちに今日一日の中でおそらく一番すごい決心をしてしまったような気がする。

そんな気持ちになってしまえば、今さら断念する気にもなれない。とはいえジャージの代用になる物があるだろうか。まさか普段着で走る気にはなれない。一つだけ思いつく物があった。短パンである。それなら上はどうしようか。自分が持っている長そでなど着て走ることはできない。手が冷めるといけないので、軍手をはめ、家から玉川までをかけぬける事にする。

コースは玉川にでた所より第三けいひんまで。よし、行こうと心で決め家を出るのに十分ほどかかった。家を出たらば玉川までの道のりをいっきに走り切るつもりだったのに、やはり外は寒い。半そで短パンは多少無謀すぎたかもしれない。でもなんとか行けそうな気がしたし、いまさら家に引き返すのがおそろしいほどアホくさいので、足を止める事などしなかった。

太陽も顔を出さない暗い朝。風の吹きぬける寒い道のりを街灯のみをたよりにひたすら走りまくった。走りながら対岸を見ていると川崎方面の街の灯が動いて見える。車のライトや信号やビルの上部で点滅する赤色のライト。特にきれいだと思うわけではないが、人気を感じる。

子どものころ、聞いた話を思い出した。ある目的をとげるために冬山の山頂で一糸まとわぬ姿のまま立って一晩を明かした男の話。男はただひたすら遠くの、ずっと遠くにある明かりをみつめていると不思議な事に体の芯から熱のようなものがこみあがってきたのだと言う。その話が本当なら早朝マラソンもまんざら苦行ではないのだが。

街の明かりを見つめた体に異常をきたすような現象は残念な事に何も起こらなかったが、予定していた折り返し点を遠く過ぎてしまっていた。ここからが帰り道だ。帰路につくと、ちょうど東の方向を向く事になり、障害物さえなければ玉川で一番早く日の出を見られたはずだ。空がすっかり明るくなるのがよく見えた。ここからずっと先の水門の所まで走って、あとは歩くとそう決めると、たとえ遠くても簡単に終わるような気がした。

空が明るくなるにつれ街の方からバイクのエンジンの音が聞こえてきた。新聞配達だ。すぐに分かる。音に特徴があるわけではないのだが、その日の始まりには、いつもバイクの音が聞こえてくる。

-★-★-★-


がむばれ息子18歳。数年後にはお上からのお達しによって廃校が決まっている夜のガッコの2年生。
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▼夜間中学参観記

2002年01月22日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

在籍する公立中学校の三年生としての一年間をほとんど不登校のまますごした息子が卒業期を迎えている。この春からの彼の生活と所属をどうしようかと思い悩んでいるとき、夜間中学校の募集広告が居住する区の公報に載っていた。都内にも八ケ所にしかない夜間中学が幸いにも我が区にあるということは知っていたし、どのような内容なのかと気にもかかっていた。

そこで、さっそく区の教育委員会に問い合わせてみたら、十五歳を過ぎても義務教育を終えていない人にのみ入学資格があり、この原則はますます厳正になってきていると言われた。つまり中学校を卒業している者は入学できないということなのである。このときの対応が気持ちよく私も気分をよくして「では、私の息子も普通中学を卒業しないほうがいいわけですね」などと冗談のつもりでそう言うとクスッと相手が笑った。詳しいことは、夜になったら当の学校のSという先生が担当だから電話してみれば教えてくれるというのでその夜、S先生に電話をし、二日後に息子とともに学校を参観しに行くことを約束した。

参観には、今後夫婦の間で意見が違っても困るだろうと考え一緒に見ておこうと妻も誘った。下の子も留守番させておくよりはと思い、連れていった。こうして結局一家四人で午後六時、区立S中学校の校門をくぐった。教員室の入口に「2部教員室」とあり教員室・教室とも昼間の中学生たちが使う教室とは分れている。夜間専用の教室が大小十ほど用意されている。生徒は総数五十名ほどか。学習習熟度および日本語習熟度によって一年生から三年生までそれぞれ三クラスに分れ、その他日本語学級が二クラスあった。総勢五十人がこれだけのクラスに分れて勉強できるのである。

昼間の仕事の関係などで欠席遅刻する生徒も少なくはないらしいが、見たところ一クラス三人四人で授業を受けている。識字教育からのクラスなどもあってその教室では七十九歳の人が背筋をきちっと伸ばして片仮名をノートに書き写していた。黒板には「ス」という字が大きく書かれてあった。この人は一年間無欠席で登校しているのだとS先生は自慢していた。S先生の案内で廊下から窓ガラス越しに参観していた我々と目が合うと生徒の誰もが笑みを返したり、頷いたり、挨拶を返してくれた。

授業は五時四十分から九時までで、四十分授業が四時限ある。一時限が終わると三十分間の給食がある。五人で囲める丸テーブルが十ほどある食堂に教師も生徒も一堂に会して楽しい食事が始まる。この日のメニューはスパゲッテ・ミートソースとサラダ、そして牛乳二百CCであった。場末の大衆食堂といった感じでなごやかである。それぞれのテーブルで会話が弾んでいる。暖簾ごしに調理のおばちゃんたちの働く姿が見える。スパゲッテは大盛りで下の子などは食べきれなかった。

S先生が「K君、あの先生を見たことない?」と息子に隣のテーブルの若い女の先生を示した。するとその女の先生が近寄ってきて、「私、昨年までO中学校にいたのですよ」と言う。O中学校は息子が在籍する学校である。「K君のこと知ってますよ。演劇部で文化祭のとき主役をやっていたでしょう。見ましたよ。とても上手だったわ。さっきからね、気になっていたの。O中学校の生徒が参観にくるからとS先生から聞いていてね。K君、あのころ髪が長かったでしょう。それに小さかったから。ずいぶん背が伸びたのね」その女の先生のことは私も妻も、すでに二年生のときから休みがちだった息子にも覚えがなかった。U先生というその先生は数学の授業を受け持っている。食事が終わると生徒はそれぞれ食器を下げながら、調理の人たちに「ごちそうさま、おいしかった」と声をかけていた。

この日はたまたま、都立高校の受験日だったので、三年生は授業がなかったらしい。それでも授業があるつもりで出てきていた生徒がS先生に「先生今日は授業はないの、ないのなら帰るぜ」と屈託なく話す。S先生は「今日は授業なし、俺もやるつもりはないから帰っていいのさ」とこちらも軽く応対する。三年生の多くはやはり高校を受験するのだという。もちろん年齢は15歳を超えている。S先生は言う「形式卒業はさせないでくれと機会があるごとに中学校の先生方に言っているのですが」。

一年間ほとんど不登校でも卒業させてしまうのが最近の義務教育学校の傾向とやり方なのである。あとは野となれ山となれという感じがする。不登校児童をもった父母の気持ちは動揺する。ここで卒業できなかったらどうするのかと。だが卒業してしまったらもはや公教育を受ける権利はない。公教育とは国庫の負担で行う義務教育のことである。したがって原則的には無料である。この権利をこどもに残してやるべきか、とりあえずは義務教育修了の肩書きを与えた方がよいのか、つまずいているこどもを持つ父母は悩むのである。

悩む背景には情報が足りないということもある。明治以来の根強い形式主義的な学校神話ということもある。現状では父母の形式主義の前に教師たちも多かれ少なかれ巻き込まれていて、つまずいている生徒に対する有効な情報をほとんど学んでいないので助言も手立ても持っていない。不登校のこどもは教師が真っ先に「おちこぼれ」というレッテルをはってそのこに対する職業的義務を自らの判断で免除してしまうのである。

並の大人以上に体も大きい思春期のこどもが一クラス五十名近くいる。これが日本の教育の悪の根源なのだが、どのように優秀な担任であっても五〇通りの人生設計への責任を背負いきれるものではない。わかりきっていることなのである。いきおい十束ひとからげの教育・指導が通常となる。担任は自分が任されたクラスを縄で一束にしておかないかぎり仕事は不可能なのである。校長は全生徒を一束にしてしか思考できない。それが習性となり教育思想となる。その上でしか自分の職業としての賃金労働は成り立たない。不登校のこどもになどかまけていたら、せっかく一束にしておいた集団が縄をほどき逃亡を企てる。

私の場合にも、この一年間に二度息子の担任と面談を持ったが二度ともこちらから申し入れ、職場を半休して学校に出向きやっと実現したものだった。昨年十月に話し合ったときは、担任から「教育相談室に連絡を取られてみては」さらに「S中学校の夜間学級に行かれてみては」と助言をされたのだが、それでは教育相談室の電話番号を教えてくださいといったら、教員室に戻ったまま先生がなかなか帰ってこない。なにをしているのかと教員室を覗いてみると、電話番号を探しているのであった。家捜しという感じで同僚の教師とともに大騒ぎしながら大童となっている。

私は内心ほとほとあきれながらも「まあまあ先生、そんなもんは電話帳を調べればすぐにわかりますから」とこの場を救済して、再度席につくよう促して「ところで夜間中学校へはすぐ今からでもこどもさえその気になれば入れるのですか」と聞くと「ええ、もちろん大丈夫ですよ」と言ったのである。ところが実際は違うのであった。

つまるところこのような実情なのである。教育の専門家がひとたび形式の枠から外れたこどもになにを助言できるか、「高校受験技術」以外の進路についてはなにも知らないのであるから、なにもできないのはあたりまえと言えばあたりまえである。不登校(長期欠席)に陥っているこどもは息子の学校でも全校で一〇名いる。一クラス一名の割合で放置され家庭の裁量にまかされている。ではその子たちの親は情報をもっているのか?すくなくとも学校からは何一つ有効な情報はもたらされないと自覚するべきである。

二時間近く案内していただいたS先生に息子も少し打ち解けたようだ。表情が明るい。カルチャーショックだったと思う。こんな学校があったのかと。その差異の大きさにわが家族は一様に驚いたのである。小学校三年生の下の子が言う「いい学校だね」。二時限目が始まっていた。U先生の数学の教室は生徒四人だった。U先生は四つの机を自分の周りに半円に囲ませている。大きな声を出す必要はないのである。廊下ですれちがう生徒・教師の誰もが微笑みながら「今晩は」とあいさつを返してくれるのであった。こここそ本当に学校の名にふさわしいと考え、すっかり陽気になってわたしたちは家路についた。(記:1993.02.23)

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PTA総会です

2002年01月20日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
商店街に通じる街道の桜並木がそろって散り終わる頃、PTA総会の出欠票及び委任状が息子の級友によってわが家に届けられた。息子は中学一年生の初めから学校へは行っていない。四月から二年生に進級し組替えされた結果、新しいクラスと担任を得てはいたのだが、やはり登校できないでいるのであった。新学年当初ということで何かとプリント類が多いらしく毎日のように近隣の級友が下校時に届けてくれる。

総会の日付を見れば私が呼びかけて地域に作った、「不登校の親の会」第一回の例会の三日前だった。それで、同校の父母たちや教師などにも息子たちの置かれている不登校についての状況や私たちの会の紹介をしておこうと思い、この度の総会にはぜひ出席しようと決め、次の日新しい担任の先生への顔つなぎということも兼ね、出欠票を提出してきたのである。半年前から私は失業中のことであり時間はあった。

二人の息子が六歳違いなものだから、彼らの小学校時代から数えれば計十八年ほど義務教育就学者の親として過ごしてきているわけで、PTA会員としても十八年の大ベテランということになる。だが夫婦して常勤で勤めてきたことで、役員を引き受けたことは一度もなければ、時間が合わずほとんどその活動に参加したこともない。

PTAは意志的に忌避しない限りは入学時に自動的に会員となってしまうので、脱会するにもなかなかエネルギーを必要とするのであった。会費だけは着々と預金口座から引き落とされているからでもあるのだが、会員としての権利と義務については訳のわからぬまま、ともかく会員であり続け会費もとどこおりなく支払っては来ていた。だが息子たちが登校しなくなって以来PTA会員であることはほとんど無為で意味のないものだ、という気持が強くなってきてもいた。実際脱会しようかと考えたことも何度かあった。

学校のPTA総会に出席したのは十八年間で初めてのことなので、今さらのように批判がましく偉そうなことは言えないのだが、会長を始め役員を決めるさいには自らの指針をもって出馬するような父母は皆無らしい。あらかじめアミダくじが用意されているような学校もあると聞いている。

この日は木曜日の十五時半から教室の一つを使って開催されたのだが、週日の昼間開かれるのはどこの学校でもそうらしい。校長・教頭の勤務時間内に済ますべきものとしてこうした時間が選ばれるという声を聞いたことがある。だから常勤で勤めている親は総会ばかりでなくPTAの集まりには、よほどでないかぎり出席はできない。

共働きの私たちからすればPTA活動からシャットアウトされていると不満を抱きがちなのだが、仕方なく役員を引き受けている父母から見れば、反対に私たちのような親は非協力的だと写ってしまう。会長は父母の中から選ばれてはいるのだが、これは表面だけのことで、学校側の強力な院政の元に活動しているというのが実態なのだ。防犯上の理由からということで、数年前から生徒名簿が作成されなくなっているため、会員の一覧名簿すら存在しないまま運営されている。正確な会員の把握は学校でしてくれているという訳だ。

せっかく週日の午後開かれるというのに、教師側から出席したのは校長、教頭の二人だけだった。一般に小学校の場合は教師の多くが列席するらしいが、中学校となるとこれが常なのだと後に事情通の父母から聞いた。だがこれは随分父母を馬鹿にした話ではないか。民主主義を教えるべき教師が当の現場でそれを否定しているのである。教師はすべてPTA会員である。

実際に総会に出席したのは初めてだったが、出席しようとしたことはあった。息子が小学生の五年生のときだった。休みがちになり、このままでは完全不登校になると予感した私は、学校への疑問をそこでぶつけてみたかった。だが、やはり総会は勤務中のそれも週の中で仕事が一番忙しくなる金曜日の午後ということで怒りを持ちつつあきらめた。あきらめた変わりにPTA会則を仔細に点検して、会長あてに手紙を出した。会則では慶弔金についての規定が変だった。同じ会員でありながら教師に厚く、父母に薄いのである。総会において会則の是正を求めた。手紙を出してから一週間ほどして会長から電話があった。「そうは言っても○○さん。私はただ頼まれて会長をひきうけているだけでして。すいませんがこれは議題にできません」と言い訳してきた。

そう言えば会則の中の特記項目に「校長はすべてのPTAの会合に出席できる」とあった。院政システムの法的根拠がここにある。逆に言えば校長の認可しない父母だけの会議は認められないという意味にもなる。

さて父母側は男の性である私を除けばすべて女性、すなわち母親ばかりだった。見知った人は校長を除けば一人もいなかった。校長、教頭が着席するとすぐ、反対側の席に座っていた司会者が立ち上がり開会を宣した。続いて四五〇名の会員のうち出席者は二三名、三百四十通の委任状によって総会は規約通り成立していると報告があった。それにしても会員の五%しか出席しないとは驚きだった。それが毎年の通例で当たり前のことらしく、校長も着席したときから満足気に笑みを絶やさず、父母たちへの顔面サービスを振りまいている。すでに年度末に新しく選出された今年度の会長が「よろしくご審議のほどを」と一言述べ、続いて一会員であるべきはずの校長によって越権とも思え、かつ冒頭にしては長すぎる発言があった。

「昨日、区の校長会がありまして今年度の教育財政についても相変わらず厳しい状況であることが伝えられました。その中でも喜ばしいことに区内の全中学校に新しいパソコンが配置されることになりました。ご存じの通りパソコンは一年たてば使いものにならないと言われており、やっとわが校でも新しいパソコンが設置されることになったわけです」と、校長の話の中で私が気になったのはそれだけだった。一年で使いものにならなくなるパソコンを区内の全中学校に配備して、それで来年はどうするのかという疑問が湧いてくる。

つまるところ校長としては「財政難の中、私たちとしても懸命に教育環境を良くしようとして努力はしています」と言いたかったのだろうが、私には何か弁明しているようにも聞こえたのである。校長会という会議の性格もほのかに見えてくる。区内の校長らが一堂に会して、学校教育論に花が咲くというのでは全くなく、そこでは予算とか、与えられる物資の目録に目を通すとかの、いわば報告・通達の類を「お上」から承ってくるために列席するという意味しかもっていないらしい。

さて議題は昨年度決算の承認、今年度予算の承認とすすみ、その度に議長がなにか質問はありませんかと聞くのだが、だれ一人手を挙げる者もなくここまで十分とかからず終了してしまった。次は今年度の活動予定の説明があり、これも五分ほどで終わってしまった。最後に用意されていた「その他」という議題になったので、私は手を挙げ発言したのである。私の上着の内ポケットには昨夜ほとんど徹夜で仕上げた自分の発言のための草稿が隠されていた。以下がその文面である。

-★-★-

十三才になる息子は当学校に学籍はもっているのですが、一年生の時からほとんど登校していません。現在十九歳になる上の子の場合も六年前この中学校に在籍していたのですが同じような状態でした。十年近くも二人の息子たちの不登校と付き合ってきたのですが、昨年夏、私は長く勤めてきた会社を退職し、少しはゆっくり物事を考える時間ができましたので、登校拒否という現象について同じような親御さんたちとしっかり話し合ってみたいと考えました。

そこで「不登校の親の会」という会を作り、懇談会を企画したのです。チラシなどをつくり区内の全小・中学校へ案内文を配布したり、また多少ともつながっている地域の親御さんたちに呼びかけました。三月の初めに一回目の懇談会をこの近くの地区会館で開催したのです。当日何人来てくれるか心配だったのですが、十七名もの父母が参加してくれました。悩みあり、模索あり、はたまた自信ありの自由討議でしたが、参加されたみなさんが一様に「悩んでいるのは私だけではなかった」と感想を述べてくれました。

みなさんもご存じとは思いますが、現在日本中で十万人近くの小・中学生が登校していません。区内でも合計すれば四百人前後の子どもたちが登校できないで苦しんでいるということなのです。この数字には改めて驚いてしまうのですが、今後ますます増えていくと予想する人はいても減るから大丈夫という関係者は皆無です。すっかり「いじめ」「不登校」という問題は社会的な話題となって新聞でも毎日の記事にことかかない有様です。有効な手だてもほとんど見つかっていません。

あと何年かしたら、教室の三分の一の机には生徒はいないと言った光景はどこの学校でもみられるというふうになってしまうのではないでしょうか。実際に高校ではこうした光景が日常的に見られるようになってきました。たいした理由もないのに学校を休む、遅刻する、早退する、登校しているのに授業には出ないという生徒が溢れています。このままでは日本の学校が崩壊するのは時間の問題といってもいいでしょう。いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょう。高校の場合は子どもたちが志願して入学したという前提があるので、私にとっては対岸の火事ぐらいにしか思っていませんが、義務教育最中の小・中学校の場合は親の悩みも想像以上に深刻なものがあるのです。

一週間ほど前に学校信仰や教師聖職論の発祥の根がここらへんにあるのではないかと常々訝(いぶか)しく思っていたこともあり、しっかり批判してみるつもりで壺井栄の小説『二十四の瞳』読んでみたのです。これは一九五二年に出版されました。作者が五三歳の時でした。二年後に作られた木下恵介監督の同名の映画も名作でしたが、私はこの映画を何度か見たことがありますが、まじめに原作を読んだのははじめてだったです。

みなさんもその内容はご存じのように物語は戦前から戦争を挟んで敗戦直後までの二十年間の瀬戸内海の小豆島という小さな島の分校の物語です。昭和四年に新任で十二名の生徒しかいない分校に配属されてきた女性教師・大石先生と子どもたちの厚い友情の物語なのですが、当初の私の意に反してとても感動してしまいました。先生も子どもたちも、心の持ちようといったものが今の学校とはまったく違うのです。何が違うのかこの一週間の間ずっと考え続けているのですが、少しだけですが分かったことがありました。

息子が一年生の最後の日、私は一年間ほとんど欠席したままで心配ばかりかけた担任の先生への挨拶のため学校にきました。職員室の前の廊下で少しの間でしたが、なかなか手のあかない先生を待っていたのです。そこに予定表などを書き込む大きなボードが掲げられています。右側第一行目に大きくこう書かれてありました。

「テストが終わっても気をゆるめずに」と、そしてたしか文末にはびっくりマークが添えられてあったはずです。その横には各部活の春休みのスケジュールが、これまたびっしりと書き込まれてあったのです。私にはこの一文のいわんとしているところが理解できませんでした。家にいる息子がそれを見ても多分理解できないでしょう。テストが終わったら、なぜ「お疲れさま、ゆっくり春休みを過ごしてくれ」と言ってやることができないのでしょう。

ここに書かれてあったテストとは学年末三学期の期末テストのことなのでしょうが、テストが始まるまで子どもたちは回りのすべての大人たちから一点でも良い成績をとるように尻を叩かれてきたのではないのでしょうか。そのテストが終了し春休みを前にしても相変わらず「気をゆるめてはならない」と子どもたちは迫られているのです。子どもたちにこうした言葉しかかけてやることができないのかと、大人の一員として実に寂しい気持ちを味わいました。

けれどよく考えて見ればこの一文は子ども達に伝わっているのでしょうか。この標語通りに実践する子どもがもしいたとしたら、いまごろ病気になってしまっているのではないでしょうか。つまり子どもたちに、この日本語はほとんど伝わっていないというのが実際のような気がするのです。そう気が付いて再度見てみると、「あの人は要領がいいね」というその要領を教えるための標語のような気もしてきたのです。先生方もちゃんと分かっているのです。むしろまじめに取ってしまわれては先生方の方が困ってしまうという類の言葉なのではないのでしょうか。

これは単に努力目標だからまじめに受け取らなくてもいいのだと分かっていながら、なぜ無意味とも思われるようなこうした標語を掲げなければいけないのか。家庭でも同じようなことが言えるのです。「ベンキョしなさい」「早くしなさい」と繰り返し繰り返し大人たちから連発され、子どもたちはこうした口先だけの大人たちの言葉が無意味で空疎なものでしかないと感じ始めています。子どもたちは大人たちから毎日毎日競走馬のように鞭を入れられ、心を痛めているのです。

『二十四の瞳』の大石先生は少なくとも本の中では、こうした意味不明な言葉は決して発していません。家の仕事が忙しいからと言って学校へこれない子どものことを自分の職業的存在をかけて心配しています。子ども達の髪の毛が汚れているからなんとかしなければとバリカンやシラミ退治の薬の算段を真剣に考えているのです。毎日毎日を全体として見れば貧しい家庭のそれぞれの子どもたちの健康と将来を真剣に思いやっているのです。

ベンキョができるできないはまったく子どもの個性であると確信をもっていますから彼女が発することばは全て子ども個人との生活的な対話から成り立っているため、先生の全ての言葉が子どもたちの胸に響いてくるようです。集団としての子どもたちに号令をかけたり命令したりする場面は少なくとも本のなかでは一切ありません。戦争をはさんだ時代ですから、国の方から出されてくる標語が腐るほどあるのですが、大石先生はそれを嫌います。要領だけを教えるような標語的言葉を彼女はけっして子どもたちの前で口にしなかったのです。戦争遂行への先生の不信感はやがて村や学校の中で知られることになり、このことが原因で大石先生は教職を離れなければならなくなりました。

作者の壺井栄自身は高等小学校しか卒業していません。今の中学校です。その彼女が戦争遂行中の時勢という反面を除けば、幼年期に受けた学校教育を素材としてこれほどまでに教師と子どもたちの交流を肯定し賛歌しているということは、当時の学校教育が子どもたちの実感上、かけがえのない大切なものとして受容されていたことを示しているのです。この作品をもう少し深く読み込んでいけば標語的なものと生活的なものとの教育上の対立なども見えてきます。それはとりもなおさず大人と子ども、あるいは戦争と生活という対立であり、国家と庶民という対立でもありました。子どもの立場にたつか、大人の立場にたつのかという二分された苦悩を自覚する教師の物語であったと私は理解したのでした。壺井栄は主人公の教師を時勢に流される大人たちから、あくまで子どもを守る立場にたたせています。それを作品の中で一貫させていたのでした。

言葉が伝わるか伝わらないかという問題では木下順二さんの戯曲『夕鶴』の中に好例があります。いつか助けてやった鶴が恩返しをしようと、美しい女性「つう」に化身して「与ひょう」の元にやってきます。二人は夫婦となり、鶴の化身「つう」は自らの羽を引き抜いては布をおり生活を助けます。ある日、その反物が評判となり「与ひょう」のところに出入りしている仲買人がもっと沢山織れば、えらい金儲けができるぞと素朴な「与ひょう」にたらし込みます。「与ひょう」は「つう」にもっとたくさん布を織ってくれと頼みます。金を儲けて都に遊びにいくんだ、と言います。

けれど金の話になると「つう」にはその「与ひょう」の言葉がまったく通じなくなってしまうのです。知らない外国語でもきいているようにチンプンカンプンとなってしまいます。けれど「つう」は「与ひょう」が自分を好いてくれていることだけは確認できましたから、最後の愛をしめし、決して仕事をしているところを覗いていけないと言い置いてから自分の羽を引き抜いていきます。「つう」の存在を、もはやそのままのものとして受け取れなくなっている、いわば知恵という雑念を得た人間となってしまっていた「与ひょう」は「つう」との約束を破り障子を開け覗いてしまいました。こうして反物が織り上がると「つう」は元の鶴となって、約束を破った「与ひょう」から去っていってしまうのです。

職員室の前の廊下に書かれてあった一文は『夕鶴』の「つう」に伝わるでしょうか。残念ながら通じないでしょう。大石先生ならば決して口にしなかったろうと思うのです。こうした公式標語は子どもたちに届かないばかりでなく大人たちとの間のいっそうの断絶を予告しているようにしか思えないのです。先生方には酷な言い方かもしれませんが、私には戦争中に流された幾種類ものまがまがしいスローガンを読んでいるような気さえしたのでした。それらの標語は国家から庶民へという伝達システムの元に掲げられてはいたものの、実際に作用した事実では大人たちから子どもたちへと伝わったのであり、また男たちが女たちへ一方的に押しつけようとしていたものであったことは半世紀後の今日から見れば余りにあきらかです。

話がとても長くなりました。私は当学校のやはり登校できないでいるお子さまを持つ父母と連絡をとってみた結果、それぞれに情報を交換し励まし合うことができるならばと「親の会」を作りました。それで初の会合を三日後の日曜日に、この近くの会館で開きます。こうした問題で困っている方がありましたら是非ご参加ください。また皆さんの回りにそのような方がいらっしゃいましたら、チラシを持ってきておりますので知らせてあげてください。

-★-★-

だが私はこの草稿をついに内ポケットから取り出さなかった。当日そのまま読むことをしなかったのは深夜に書いた恋文のように、思いこみが一面的に過ぎ学校批判のみが主題となってしまっていたからである。また余りに長すぎてこの場にふさわしくなく、このままでは招かれざる講演者か演説家になってしまい父母にさえも嫌われそうな心配が出てきた。加えて重大な勘違いをしているらしいと気付いたからだ。草稿の中で鬼の首を取ったかのように指摘している職員室の廊下のボードは生徒会が使用するものとしてそこにあり、標語のように書かれていた一文は教師が書いたものではなく、生徒自身が書いたものではなかったかという疑問がわいてきたからだった。そう言えば大人の書いた字とは思えないような気もしてきたのである。

総会の後、それとなく確かめてみるとやはりそうだった。子どもが子どもに競争をあおっている内情が浮かんでくる。背後から子どもにそれを書かせているのは誰なのか。気をゆるめっぱなしのわが息子などは、学校の中では級友たちからでさえ排斥されかねないという思いが湧いてきて、いっそう背筋が寒くなるのであった。この日実際に私が発言したことは、不登校児童の全国的加速度的な増加は学校存在の危機・公教育の危機であり、とりもなおさず子どもたちの学習権の危機であること。不登校のこどもたちが毎日をどのように過ごしているか。大部分の子どもたちは家に閉じこもりがちでマンガやテレビゲームで時を過ごしていること。将来の見えない子どもを前にしての家族の混迷。一部の子どもは親たちによって運営されているフリースクール、フリースペースなどに通っているけれど、公的助成が全くなされていないため個人的負担が大変であること。最後に日時の差し迫っている私たちの会の宣伝を言うにとどめた。

さらに「校長先生の話では、一年で古くなるパソコンを今年度一新するとのことですが、私の息子はこうした恩恵にも全く無縁なのです」と釘をさしてもみた。だが「不登校の問題は単に学校や先生方を批判するだけではなんら解決の方向を示してはいないのです」と学校に対するゴマすりのようなことも付け加えてしまい、草稿の主題とは随分違った内容になってしまったのであった。三分ほどのスピーチだったが、私が着席するとすぐ補足しなければ立場がないと言わんばかりに校長が議長を無視して立ち上がった。

「○○さんが言うように」などと私の言葉を引用して追従し「不登校のこどもたちは一人一人その原因も状態も違い、学校としましても対応に苦慮しているところです。他の中学校ではだいたい十人以上の子どもが登校していないという状況ですが、幸いわが校は現在三人しかいません」と、予想に反して柔らかかった私の話に安心したのか、「わが校は周囲の学校に比べてみても、落ち着いたよい環境が出来上がりつつあると思われます」と締めくくった。だがそれは冒頭でのパソコン発言よりもさらに弁明的だった。私の上着の内ポケットには草稿とともに「不登校の親の会」の案内チラシが十枚ほどあったので、その一枚を隣の母親に「これです」と渡すと、前から後ろからと母親たちの手が伸びてきた。チラシは校長が話している間のうちになくなった。校長の頭上あたりに掲げてあった大きな丸い時計を見ると十五時五十五分だった。始まってから二十五分しか経っていない。こうして年一度の総会は閉じられた。意見を持って発言した者は校長の他には私だけだった。(記:1997/04/19)<9024字>
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▼学校便所物語

2002年01月06日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

一九九四年二月一九日の夕刊で、日本テレビのバラエティー番組「ウンナン世界征服宣言」が昨年末、埼玉県戸田市立戸田第一小学校(山屋敬典校長、七百五十人)の校内のトイレにカメラを設置し男子児童の排便姿を撮影、放映していたという記事に接した。学校側はトイレ内の撮影を許可していたが、保護者の父母や児童には事前に知らせていなかった。放映後、父母からは「子供の人権無視では」と行き過ぎを指摘する声が上がっているという。

番組の取材があったのは昨年十一月二十二日で、同番組の出演者であるタレント二人が放課後の同小三年一組を訪れ「学校でうんちを我慢した人はいませんか。『勇気を出してトイレに行こう』のキャンペーンに来ました」と自己紹介し、ギターを片手にキャンペーンソングを子どもたちに歌わせた後、「トイレに行きたくなった人は」と手を挙げさせ、男子三人を次々とトイレに行かせたのだという。 学校トイレ(和式)の壁際にカメラが設置されており、子どもはトイレに入って初めてカメラに気づいたが、そのまま排便したという。昨年十二月三日深夜の番組では、排便の姿が名前入りで放映された。いわゆる「隠しカメラ」とか「どっきりカメラ」の手法がとられた。校長は「排便を我慢するのは体にも悪いということで、子供を(我慢する苦しみから)解放しようと思った。子供はトイレに行けばカメラがあることが分かるので隠しカメラではない。放映前に保護者の了解も取っている。それほど教育的に悪いとは思わない」と話している。

日本テレビのプロデューサーは「放送内容については父母に了解を取った。小学校低学年の男の子の撮影方法としては、テレビの常識からいって、問題はないと思う」と実にしゃあしゃあとして弁明している。日本テレビ広報局は「市教委の紹介を得て、学校側の賛同を得て撮影した。手続きに問題はないと思う」と説明している。ある女性弁護士はこの問題を次のようにコメントしている。「明確なプライバシーの侵害をなぜ校長が認めたのか、理解できない。児童が学校で排便をするのに抵抗があるという実態は確かだが、学校内で話し合いで解決すべきこと。教師というものは、子供のためになると判断すれば手段を正当化しがちで、子供の人権の視点が欠けている」。

このように弁護士の視点ですら学校便所に関わる子どもの視点からはほど遠いのである。「学校内で話合って解決」できることかできないことか、そもそもこうした問題で話合う土俵が学校内に存在するかしないか、弁護士である前に女性であるというこの人間には分かっていないようだ。同市内の別の小学校でも同じ内容の取材があったが、この学校の場合は「トイレにカメラを持ち込む話は知らなかった。ひど過ぎる内容」と同テレビに抗議し、放映を取り消しさせていた。市教育委員会が撮影主旨に賛同し、二三の学校をテレビ局に紹介していたという。

放映後、問題が大きくなってきてから市の教育長は市議会の中で質問され「もっと配慮すべきだった」と反省しているのである。また、次の日の某スポーツ紙の中である放送評論家は「子どもの排便姿を放送すること自体が人権問題に発展することはないだろうが問題があるとすれば、その番組に排便姿まで盛り込む必要性があったのかどうかという点だ。過激さがエスカレートしているバラエティ番組に対しての警鐘にはなるかも知れない。ただ、いずれにしても大人がめくじらを立てる問題ではないと思うが…」と語っている。私は二人の子どもの父親で、さらに数十年前、学校内及び下校途中で何度か失敗してしまった経験からも、めくじらを立てられるだけ立ててみたい。各紙に登場しコメントしているのはすべて大人である。

以上、事件の概要と、それに対するさまざまな立場の大人たちのコメントを列記してみたのだが弁護士の発言を含めて、私にはこの問題の本質に迫って、心から同感できる議論が一つも見えてこないのがもどかしかった。いくつかの新聞をあさり、排便の我慢を強いられている子どもの立場からの発言を探してみたが、今のところは見あたらないのである。私がここで問題にしたいのは、テレビのお笑い番組の質を問うことではない。『ウンナン世界征服宣言』とやらも確認したことはないが一連の低俗を競う番組なのだろうと想像できる。低俗番組の傾向は下ネタづくしの新たな物笑いのたねの発掘だから、学校便所での子どもたちの排便姿とは、またかっこうの材料であったのだろう。

だがこれが家庭の中でのこどもの排便姿ならお笑いの材料にはなりえない。男の子がめったに使用することのない学校の大便用トイレで排便するというところに、大人たちの共通感覚として前提された「笑いを取る」根がある。少なくともいくつかの新聞を見た限りでは、学校便所と男の子の実際の関係を深めるように踏み込んだコメントは見られなかった。テレビ局が、もの笑いの対象として撮影しに来たことを戸田市教育委員会は分かっていたのか分かっていなかったのか、テレビの取材と言われれば質を問わずにハイハイと喜んで了解してしまう、マスメディアに対する大人たちの屈従性と貧困性がここにはもろに見えている。この貧困性を利用してテレビ局は「教育的」なそれらしい理由づけをして取材し、さんざんに撮影していった中から「お笑い」部分だけを恣意的に抜き出し、編集する。

放映されたものを見て、すっかり性質が違うことに気がついても後の祭りとなる。行政当局は問題が指摘されて始めて、さも当初から批評性を持ち合わせていたかのように「こどもたちに、学校で排便することは恥ずかしいことではないことを教えようとした」などと取ってつけたような理由を出して自己弁護に終始し、本質を覆い隠くそうとする。テレビ局の目当てはいずれにしても「もの笑い」にすることしか頭にはなかったものの、担当タレントが「かって自分も学校での排便について苦しい思い出があるから」として着想したらしい『ウンチをしようキャンペーン』というタイトルからは、考えてみればさまざまな学校現場の問題が浮き彫りにされている。

テレビ局の狂言回しによってではあったが、埼玉県戸田市の「学校排便問題」をめぐる騒動から、奇しくも日本の子どもたちは一般に学校ではウンチをガマンしている、しなければならないという事実の存在が浮かび上がっている。この問題は、某放送評論家が言うように「大人がめくじらを立てるほどのことはない」どころか、日本の学校で子どもたちが苦渋を強いられているさまざまな問題の根底を明かす鍵が隠されているのではないかと、私は考えるのだ。

ギターを弾きながら「勇気をもってトイレにいこう」と叫んだタレントは よく心得ているではないか。とくに男の子の場合、学校の大便用トイレに 入るにはことのほか勇気が必要なのである。恥ずかしくて入れないのは 未熟な男の子の羞恥心ばかりではないと思う。 新聞紙上でのコメンターたちは一様にこの事件の底にあるものは子どもの 羞恥心であるとして一蹴してしまい、子どもの立場や子どもの心の中まで にはいって物を言ってはいないように思えた。

例えば家庭の中で、ウンチをするのが恥ずかしくトイレに行きずらいと 感じる子どもはまずいないであろう。駅とか公園とかにある公衆便所の 大用にはいることは大人の男でも誰かが小用していたりしているときは、 やや恥ずかしいのは事実だが躊躇っている場合ではない。 この次元では子どももやはり躊躇うだろうが、果たさないわけにはいかない のである。ところが学校のトイレでは絶対に入らないという暗黙の鉄則が、 私たちが経験した数十年前と同じように未だにあるのだから公園の公衆便所 とは次元が違う、その事に私は怒るのである。

教育行政者はなにを考えているのかと。さらに子どもたちの教育という職業を専門とした人間が自らの責任を棚にあげて隠しカメラの設置された大用トイレに「恥ずかしいことはないのだから」と甘言を用いて子どもたちに、入ることを勧誘したとなれば、この大人にして「先生」と呼ばれている人間は一体、何者なのだということになる。番組を着想したタレント同様、私もまた数十年前、小学校でトイレにいくことが恥ずかしかった。朝から下痢気味で授業中に失敗してしまったこともあるのである。なぜトイレにいかなかったのか。

私はずっと疑問ではありつつも、自ら理由もはっきりさせないまま、その時の自分の体調にすべての責任があるように考えていて、あまり他人には話すこともできないまま、心は傷ついていた。学校はつらい所だった。しばらくの間、私にとって学校での最大の心配事はそのことで、便意が来ないようにと祈りつつ登校したものである。私は小学校で授業中に便を漏らしたことは鮮明に覚えている。けれど、学校のトイレで排便したことは記憶にない。現在でも同じように学校ではこどもたちがウンチをがまんしている、その事実に驚愕したのである。子どもたちに苦渋をしいる不当な慣習が、数十年たっても、何一つ前進も改善もされていないのである。これが大人社会ならば、どのような厳しい労働現場であろうと便意をがまんしなけらばならないという現場があるなら、これはもう労働基準法違反である。

ところが学校では一般に、授業中にトイレに行くことは禁じられているのではないのだろうか。すくなくとも授業に参加している子どもたちは、そのように認識しているのではないだろうか。教師から言わせれば「どうしてもがまんできない」子は手を挙げて許可を得さえすれば行かせないというようなことはないと認識しているだろうが、授業主導者としての教師にしてみれば、授業を円滑に進めるためには授業参加者がたびたびトイレに行くために中座するのでは、授業は成り立たないという認識上の前提がある。けれど、ここで考えなくてはならないのは、教師は大人であり相手は十歳前後の子どもである。表象される論理が対等に切り結ばれるわけはない。教師の意向は一般にその意識の中に潜在するところも含めて、子どもたちには反論できない。教師が、例え人格上に欠落があった場合でさえ、直接子どもから論理的に反論されることは極めてまれである。端的に言えば授業中トイレにいって欲しくない、という教師の意向が生徒の価値観となっているのだとしたらどうだろう。子どもは最終的な段階までもガマンせざるを得ないのである。

私が小学生のときに授業中失敗してしまった時はそうだった。自分を責めたのである。教師は臭いといって一斉に窓を明けさせた。そして「なんで、便所さ、いかねんだ」と言った。それで私はますます混迷し、クソまみれとなっている自分をさらに責めたのである。トイレは授業が始まる前の休み時間に済ませておきなさいと、 こどもたちは言われている。これは一般論としても間違っていないだろうし 授業を主導する教師が生徒に要求する物事として論理は通っている。 だが、「行きたい」と言う子どもになに一つ付け加えずに、 教師は「ハイ、行ってきなさい」と言えるだろうか。一言つけ加えるであろう 。「授業が終わるまで我慢できないの」と。一言、言わずに済ますことの できるような教師を、残念ながら現状で、私は想像できない。

この言葉は暗に子どもを非難している意味を含む。すでに、こどもは我慢 できない状況を自覚しているから勇気をだして手を挙げたのである。 もちろんそれは教師にも分かっている。分かっているから結局は行かせざる をえない。だが問題は残るだろう。さらにトイレから教室に戻ってきた子どもに何も言わない教師を想像できるだろうか。ここでまた一言いわずにおられないだろう。「今度からは授業の前にすませておきなさい」と。 教師はそのように言うことが指導のつもりだろうが、子どもにとっては単にイヤミである。「授業中に大便を、しにいった」などという子どもがその後クラスの中でどう見られるか、私は心配してしまう。ここで「イジメ」の最初の、そもそもの発端としての口実ができあがるという仕組みだ。今や油汗をかいてこらえている彼はそれらすべてを認識しているのである。

さあ、どうするか。自分の下着の中に排出するか、教師のイヤミやら級友たちのカラカイやらを無視して「トイレに行きたい」手を挙げることができるだろうか。彼の今後にとって十分予想される、この先の様々な苦難を乗り越える決心のもとに、自分の生理的欲求をしっかりと主張し、権利を行使する、そのような子どもを良しとして、日本の学校は指導しているだろうか。自主的で個性豊かな子どもを育てようと考えているのだろうか。NOである。

「休み時間のうちに済ませておきなさい」とは、ニッポン全国、どこの教室でも日常的に教師によって乱発されている、決まり文句の定型である。子どもは教師から言われる決まり文句を日常的に頭にこびりつかせている。だから授業中にトイレに行くことは、やはり「しないほうがいいこと、できれば、やってはならないこと」と判断しているのである。六歳にして学校に入学したときから、そのように指導されている。入学当初は、どの親も自分の経験からそれを知っているから口うるさくわが子に言ってきかせる。「休み時間のうちにすませておくのよ」と。だから子どもは、できれば我慢してみようとするのである。学校では、できるだけ排便しないで家に帰るまで我慢しておこうとするのである。これが「学校便所」にまつわる真実ではないか。

したがって、私には記事中の教育委員会・学校側のコメントは信用ができない。その場かぎりの二枚舌としか思われないのである。「学校で排便することは恥ずかしいことではない」という指導を本気で子どもたちに伝えようなどとは決して学校も教育委員会も考えていないと、思わざるを得ないのである。 本気でこの問題を考えるならば現在のような学校の建築形式と学校運営は根本的に改善されなければならないと、私は考える。

現在の学校は刑務所とか収容所とか、多数の人間を効率的に一括管理する ための建物によく似ている。そこには子どもたちこそ主人公という思想は ほとんど感じられない。トイレにしてもしかりで、特に男の子用のそれは 小、大用と様式が別の造りになっているから、大用のトイレに入ることは、 たとえ休み時間ではあってもずいぶんと勇気のいることなのである。 ましてや学校全体でトイレは数ケ所にしかないのである。休み時間には、全ての教室から、まるでそうしなければならない儀式のように生徒が一斉にトイレに押し掛ける。小用するためだけに。

学校では 排便することは避けるという暗部の考えを注入されていて、さらに休み時間の 小用トイレに群がっている大勢の級友たちに注目されるなかで、すぐ隣の 大用トイレに入ることはできないのは考えてみるまでもない。 このような形式と構造を私は収容所のようだというのである。 学校とは子どもにとって居心地の良い場所でなければならないと願うのは 私ばかりの突出した考えではないだろう。数十人が一日の大部分をそこで 生活する教室ごとに一つのトイレがあってなぜいけないのか。 そう考えるのが普通の思考ではないのか。

授業中であれ、休み時間であれ生理が要求した時に、誰に断る必要もなくトイレに行ってなぜいけないのか。今日、一般にわれわれ大人たちがあたりまえに享受している権利を、なぜ子どもたちに与えることができないのか。四階建て鉄筋コンクリート造り、数百人が生活している建物、そこにトイレは数カ所にしかないなどということが常識からいって考えられるだろうか。大人たちは無視しているのである。見ないふりをしている。あるいはほとんど鈍感で気付かない。だが子どももやはり自分の下半身のことは親にも内緒にしておきたい。これがニッポンの子どもの美意識である。なんと言っても教師のいうことが正しいのであるから。

私は、学校に排便の自由はないと思う。排便姿を放映される以前に、すでにニッポンの学校建物の構造が子どもの人権を考慮していない。 排便の自由を著しく制限しておいて、「排便することは恥ずかしいことではない」などとよくも言えたものである。子どもたちは、家庭では実にいきいきと屈託もなく快適に排便しているではないか。 「自主性を養い、個性を伸ばし、国際人を育成する」などとキレイ事を言ってみても、排便にいたるまで管理しなくては気がすまない学校で、どのように自主性が養えるのか。

ウンチをガマンさせておいて「国際人」たれ、とはよくも言えたものである。子どもの排便姿を見てヘラヘラ笑っているニッポンの大人の姿と、「学校で排便することは恥ずかしいことではありません」などと今さらに子どもに諭そうとしている日本の教育行政者の的はずれで陳腐な姿こそテレビ局は取材すべきなのだ。

 

<1994.04.20 記>
 

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