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赤いハンカチ

ものを書く前に、計画的に考えてみるということを私は、殆どしたことがない・・・小林秀雄

▼才能は個人に宿る マルクスは才能を黙殺した または社会化した

2007年05月03日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
<07.04.10 日本橋三越前>

才能という問題を考えてみた。その際、才能とはなんぞやという前提は抜きだ。その前提は人間とはなんぞや、または言葉とはなんぞや、という問いに同じくわたしの手に余る。

一昨日、ひさしぶりの旧友に出っくわし、しばしビールを飲みながら話に及んだのだが、そのとき彼が「マルクスは天才だった」と言った文句が忘れられない。もちろん若いころよりマルクスファンを自認してはばからなかったわたしも同意した。間違いなく「資本論」をなして科学的社会主義の創始者であったカール・マルクスは天才だった。そしてわたしは付け加えた。だが、天才マルクスが苦労に苦労して書き上げた「資本論」も真理というよりは、よほど一つの仮説に過ぎなかったと。

ここから問題をはじめても良い。だが、もっと一般的に、また今日的に、それはつらい話だが、たとえば私に属する才能のありようという、語り方もあるに違いない。

わたしが心から誰でもよいから教えてもらいたいのは、現代社会を構成している感のある労働と才能の関係だ。または職業と才能ということでもよい。人生と才能と言い換えてもよい。天才マルクスも、人間の個人に宿る「才能」という問題だけはほとんど語っていないのである。ここにマルクス主義の大きな陥穽が潜んでいるような気がしている。黙殺したまま、社会的労働とやらに、還元し語りつくした気になっている。それは、あまりにも、個人にとって、つらい話ではないか。資本主義下における労働はクズ同然の行為であり、同じ行為でも社会主義下であれば、労働こそ最大最高の善行として美化される。

そういうわけに行くだろうか。大昔でも役所はあったし、企業らしきものもあっただろう。集団労働というものはあったはずだ。だが、マルクスをはじめ現代人の言うような「労働」は皆無だったと、わたしは、そう思っている。

マルクスは疎外という概念をつかっていたが、疎外どころの話ではない。労働は人間から才能を奪ってしまう、とわたしはそう思っている。武士も農民も、個人の才覚を持って世に出、人生を透徹するのが道だった。もちろん苦労は大変なものだった。現代は苦労することはない。どこかの集団に就職してしまえさえすれば角のたつ才能など開花させる必要がない。それがいやならアルバイトにフリーター、あなたのことを派遣させていただきます、という調子である。ま、こうしたことも、才能うんぬんの話ではない。まずは食うための仕儀一般である。食うことと才能は、ぜんぜん別のものになってきた。それでよいのかという話をしているのだ。

不思議なことである。現代ではスポーツ選手ぐらいしか、ただしく当人の才能を問われることはない。これいかに。その代わりといってはなんだが、知りもしない人間が、特定者にあてはめるべき評価の方法と基準についてばかり口やかましい。無責任きわまりなしだ。なんということだろう。

2007-04-11 19:30:43 記

<1258字>
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▼都内の学区制度

2007年04月13日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
<07.04.10 ハナミズキが開花した>

東京23区内の公立小中学校の学区は廃止し、23区在住者であるならば区内にあるどこの学校でも通学可能にすべきです。

おはようございます。私もあなたの意見に大賛成です。いっそ学区などとっぱらって全国区にしたらどうでしょうね。全国どこの学校を選択してもよいというように。ま、それがよいことかどうかが、問題でしょう。学校を保守している行政側の経済的政治的効率という問題も見逃せません。義務教育も税金で成り立っているわけですから。それに子どもの気持ちということもあるでしょう。保護者が、あっちのガッコが良いガッコだと思っても、子どもの率直な気持ちと親の願いは違います。通わせたいのだが、通いきれなくなるということも、よくあることです。距離の問題ではないでしょうね。学校は、適当に遠いほうが、通いやすいという子どもの意見を耳にしたことがあります。かと言って幼いわが子を、サラリーマン諸君などと張り合って電車で片道一時間というのは、いささか酷な感じもいたします。近場にましな学校があるなら、勿怪の幸い。だが、こうなると、当学校には、応募者が引く手あまたで、わんさわんさと押しかける。それをさせないための選抜試験。切もないことですな。朝も早よから、ちゃんちゃんこを着た親が、汗水ながして、行列つくって入試応募用紙を頂戴しに行かねばなりません。季節は酷寒なりき。寒さ対策が欠かせません。
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▼日本語 世界を席巻する?

2007年04月07日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
ブログで使われている言語、日本語が英語を抜いて最多に(INTERNET Watch) - goo ニュース

上のニュースは、エイプリルフールかと思ったが、実際のことらしい。実に喜ばしいことである。もちろん、統計の取り方しだいで、誤差も見逃せないし、これをもって、言語における本質的なものの何を証明できるのかとなれば甲斐もない数字上のことである。

日本語を使っている人間だからと言って安直にうれしがっているだけにもいかないだろう。

一昔前の作家などは自作が英語をはじめ、いかに他言語に翻訳されて、世界に読者を獲得するかに腐心していた形跡もある。私たちも日本語は世界の中ではマイナーな言語にすぎないと、さんざんに吹き込まれてきた。世界に出て行くためにはどうしても英語が欠かせないと脅迫されてきた感がある。

こうした思いは作家なども同じだったらしく、彼ら自身、肩身のせまい思いをしながら日本語で小説を書いていると耳にして、わけが分からなかった。それほど英語がよいなら英語で書けばよいだけのことではないか。日本人だからといって日本語の小説を書かなければならない義理はないはずだ。

かの大江健三郎氏にしてからに、そのような思いがあることを何かで読んだことがある。日本語で作品を書いているだけでは、なかなか世界に認められないという現状に不満をもらしていた。

だが、これは日本語という言語性質の問題だけではあるまい。わが国の文化に対する、黒船来航以来、もたらされた根の深い西洋コンプレックスに由来するのではないだろうか。さすがに大江氏もノーベル賞を得てからは、この種の発言は見られなくなったように思う。

さて、話をニュースに戻すが、日本語ブログが世界7000万以上といわれる、その種のネットサイトでの書き込み言語の、3分の1強を占めているというのだから驚く。わたしはこれを単純に喜ぶ。

考えてみれば、これは、おそらく、わが国を席巻しているケータイ文化というものも、大きく反映している結果だろう。ネットは今やコンピュータとは言ってもパソコンよりは携帯電話を使って、読み書きしている人のほうが多いらしい。

それにブログの場合は、かつてのホームページの更新などに比べれば格段にケータイから参加しやすくなっている。さすれば、ブログに書き込まれる「文体」も、ますますケータイ化してくるとは言えないだろうか。

わたしはべつにケータイを敵視しているわけではないが、無抽出にあちこちのブログを見て回った印象では、いかにもケータイから書き込んでいるという文章ばかりが目立つ。だが、これは私の長文好みという、ようするに好悪の感からくる偏見だと思っている。中には飛び切り上手な短文の書き手もたくさんいるし、短文だからといってケータイだとは限らない。

ま、ネットのことについては数値が高いということは、一般に善いことであると・・・今日のところは、そうしておこう。ネットに書き込む人が多いということは、ほめられこそすれけなされるいわれのないことだ。それに日本語は俳句、和歌をもって文体とする伝統が内包されている。短い文章が好まれる。こうしたことも反映しているのかもしれない。

それにケータイは別にしても、ネットといいブログといい、その参加者の数たるや、あと数年すれば確実に中国(中国語)に追い越されることは自明のことだと思っている。
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▼ネットの幸福

2007年03月24日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
わたしも当年を持って還暦だ。この数年の間にもだいぶ物の考え方が変わってきたことが自分でも手に取るようにわかる。世間に流れる言辞言説について、ムキになって否定するも肯定するもない。教育現場のことなども含めて、社会の出来事や他人の言動などにも、そうそうは驚かなくなってきた。鈍感になってきたのかも知れない。無責任になってきたのかも知れない。

なんと言っても感じるのは、もうこの先は自分はさほど頑張れないし、頑張る必要もないと痛感したのだ。がむしゃらに何事か学びたいとか、女の尻を追いかけるとか、金儲けに汗水流すとか、体を鍛えるとか、友達の輪を広げるとか、こうしたことは、やりたくない。

いろんな方がたの挑戦をひたすら傍観していたいのだ。高みの見物といわれても反論はできないが、高みの見物と、大所高所からモノを言うことは違うだろう。そのぐらいはわかっている。言葉を発することも、十分に責任の問われる行為のひとつであることは、よく分かっている。いずれにしても自他ともに失敗を恐れず、他人からの批判を恐れず、自分の信念や確信に基づいて、行為、行動、発言する人々に共感をもって、付き合っていきたい。

共感があるから批判もできる議論もできる。かといって考えの似たような人たちと徒党する必要も、そのつもりも毛頭ない。どこまでも個性的な世界にたった一つの精神の個別性を、それこそ誰の了解を得ることもなく自分の判断だけで通せるのがネットの最大の持ち味だ。それだけに既得権や特権にすがりつく制度馬鹿が領分が侵犯されたと思うのか、あっちでもこっちでも泣き言をたれておびえている。彼らは異口同音に規制を強化しろと言い出している。

ある程度は彼らの言い分も承知しておかねばならない。馬鹿にも発言権がある。いずれ、どうしても言いたいことがあるなら権力さえも恐れずに言ってみればよいだけのことだ。回線がつながっていさえいれば条件はすべて整っている。ネットに参加している以上、自分が書けない理由を他のせいにはできない。
 
わたしは、墓場に入るその日までネットと文体にしがみついているつもりだ。雑誌、新聞は、いまや不要のものとなった。電話とテレビはなくてはこまるが、雑誌、新聞、図書などの紙と活字による媒体は第一義の存在とはいえなくなった。原則、不要である。新聞、雑誌は古くされたインテリがなんの確信も信念もないまま、文を記すに乗じて観念の遊び事をなさしめているだけにしか思えない。古典を除けば、活字は死んだも同然の生ける屍である。
 
ネットには、生きて暮らして傷ついている人々が発する新鮮な言葉が、常に更新されている。生きた言葉に満ちている。彼らの肉声を読まないで、他に読むべき何がある。彼らの質問に答えずに、何の文章を書く必要がある。わたしは同時代に感動している。ネットがなかったら、いまごろ墓場にはいって、やることもなく昼寝していれば、それでもよいのだ。

掲示板のひとつやふたつ、つぶれようが生まれようが、また管理人がどこの馬の骨であろうと大勢に影響なしとはネットに参ずる幸福に同義の実感なり。<1307字>
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▼「五体不満足」 乙武洋匡

2007年03月20日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

   

 

 


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「子らにメッセージを伝えたい」 乙武さん、小学教壇に(朝日新聞) - goo ニュース

乙武さんの上の本を読んで感銘を受けたのは、ずいぶん昔のことのように思われる。以後、彼もマスコミの寵児となって久しいが、ごたぶんにもれず、メディアの取り上げ方というものは、いつも一面的だから世間から誤解を受けることも多く、いろいろと苦労が絶えなかったという話しも聞いた。

まだ30歳ということだから、なにもかもこれからだ。教師受難時代といわれる昨今、教壇に立つということは戦場におもむく感もあり乙武さんの武運を祈ると言うしか無いのだが、乙武さんの言葉は子どもたちの心にきっと届くに違いない。届いてほしいと思っている。

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▼プラトニックな日本人

2007年03月17日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
「セックスレス」夫婦3組に1組 厚労省研究班調査(朝日新聞) - goo ニュース

わが国におけるセックスレスの問題は高齢化や少子化現象、また非婚主義の増加などに同根であると、まずは申しておきたい。上記記事の最後で研究班の責任者が「男女間におけるコミュニケーションの不足」を指摘しているが、そんな生易しいものではないと思われる。

もっと深いところで人をして、価値観や人付き合いの全般を方向付けている文化の問題が隠されている。文化は自然をも変えてしまう。人間という生き物は、自然界の異物のような存在になってきた。

コミュニケーションとは仲良くなることばかりが能ではない。傷つけあうこともまたコミュニケーションであることを知らねばらない。子どもたちや若者たちに教えなければならない。傷つけ合うことが怖いならコミュニケーション能力は、いつまでたっても不全のままだ。

外の世界が怖いなら、生涯、部屋の閉じこもっていればよいのである。セックス、結婚などもってのほかだ。不幸になるに決まっている。閉じこもったまま何の不自由もなく暮らせるのなら、それに越したことはないだろう。たまに働いて金が出来た頃を見計らい、欲望は風俗にでも出かけて満足させれば、いっそ安上がりというものだ。第一、いろいろな面倒がいっさいはぶける。

愛は憎さと紙一重の感情である。セックスには、なにがしかの暴力的側面がつきまとう。通念ではオスがメスの肉体に接触することから始まるわけだが、こうも、やれ暴力反対、いじめ反対、セクハラ反対の掛け声だらけになってしまっては、だれも怖くて、メスに接触できないのである。

接触を、メスから拒否されては、オスたるものの、沽券にかかわる。セックスにも対象者への、正当なアポイントメントなり契約なり、それ相応の報酬なりが必要とされてくるようになってきた。セックスに恋情などという精神作用は不要のものとなる。

肉体の動きだけではコミュニケーションは不全となった。いつの頃からか、そのよう内なるルールが決められたのか。肉体そのもの、本能そのものはタブーとされているのである。

それが現代社会だ。記録されるべき言葉こそ王者である。できれば正統な書き言葉がよい。記録されたものが勝利する。人間の価値は頭のよさであり、本人の言葉使いに収斂される。肉体の動きだけで用が足りるのは、いまやスポーツだけだ。

言葉がなくては伝わることはなにもない。行為のすべてが、前もって言葉によって、責任能力や、記録の有無が問われる。それが平和な現代社会の秩序である。

なんとまあお上品なことか。そうした面倒な手続きをとらなければ、セックスひとつ堂々となせなくなってきた。いっさいの暴力を禁じてきたのは誰だ。彼らの望むとおりの社会になってきたではないか。

その社会では、個人の精神は不要だ。社会化された個人、すなわち限りなく矮小になったヒト科という人間が一定数の頭数さえ、見えていれば、それでよい。それが平和で豊かな社会というものだ。だが、社会と個人の区別もつけられないとは、まるでアリか蜂のようだが、それで良いのか。

ちなみに多摩川の鯉の7割が、メスになってしまったと耳にしたのは、数年前のことである。セックスレスは、人間もまたメス化していることを示しているのだ。

話が飛ぶが、科学技術が進歩すればするほど、人間は知識の仕入れに追われ、肉体を忘れてしまうのかもしれない。また平和や安泰、息災を必要以上に欲するとメス化するのかもしれない。

メス化とは、言うなればプラトニックな人間同士の付き合いのことであり、ある種どこまでも平準化されてきた彼らの思想および文化に及んでいることは間違いない。<1718字>
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▼実習四日目

2007年03月01日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
わたしが聞き間違えていた。息子の実習は三日間ではなく五日間だった。今日は四日目だ。昨日は一日、担当の人から命じられ、玄関先におかれた車イスを整備したり磨いたりすることに費やされたそうである。一日で何台ほど磨き上げたのかと問うと、夕方までに一人で5台を仕上げたと明解な答えが返ってきた。
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▼実習三日目

2007年02月28日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
実習最終日の三日目がやってきた。息子は一日目に続き、昨日も現場まで歩いていったのだが今朝は兄の自転車を借りていった。お天気もよい。

そういえば今年は現在までのところ東京(23区)ではまったく雪が降らなかった。これは観測史上始めてのことだそうだ。公的に観測が始まったのは1876年(明治9年)からだと聞く。この間、実に130年。東京でも毎年必ず降雪が見られたというのだから、むしろ、こちらのほうが不思議な感じがする。

それにしても一度ぐらいは雪を見たいという思いも断ちがたい。二三年前にはたしか3月になってから雪が降ったということもある。観測史上初の年となるかどうかは、4月になって桜の花が散る頃になってみなければ分からない。何事もそうだが予断は禁物である。
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▼息子の教育実習

2007年02月26日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
夜間大学に通っている息子は現在春休み中だが、今日から三日間ほど教育実習だそうで、学校から指定された同区内の老人ホームに出かけていった。朝も早くからおきだして、かみさんが、ひさしぶりに腕を振るい弁当をつくっていた。ネクタイを締めながら息子が、ぜひとも海苔は二段にしてくれと注文をつけていた。そして今日は、いっそ現場まで歩いていくのだと言って、始業二時間も前に玄関を出て行った。
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▼謹賀新年

2007年01月01日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

昨日、長男の小学校以来の友達であるS君から電話があり、これから新しいバイクを持っていくからご覧くださいと言ってきた。昨年、秋口からドライビングスクールに通い、11月の半ばに、晴れてオートバイの中型免許を取得したのである。同じ町内で、小学校のころから三日にあけず遊びに来てくれるので、実に気安い関係にある。長男がいようといまいと、関係ない。昨日も私への電話だった。それで数分たたずに玄関口までやってくるだろうと、さっそく外の道路まで出て待っていた。もちろんデジカメはかかせない。来る方向がわかっていたから、あらかじめ露出の具合など頭に入れておいたのである。するとやってきた。ドッドッドッドとえらい吹かし音を町内中にひびかせてバイクにまたがったS君が現れた。おお、例のアメリカのハーレーなんとかじゃないか。と、バイクから降りてくるS君に問うと、ハーレーではなく国産のバイクとのことだった。おじさん、ハーレーはもっとでかいですよ。これはたかだか400ccです。そのうち大型バイクの免許も取るつもりだと言っていた。この間にもシャッターを何度も押す。もう一度、疾走しているところを撮りたいと頼むと、快くバイクにまたがり、えらい吹かし音を残して、あちらの方にさっていき、しばらくすると反対側から勇姿が現れてきた。その様を撮る。こうしてS君を自宅に導きいれ、さっそく、たった今、撮ったばかりの写真をプリントしてあげたのである。今度、俺のことを乗せてくれと頼むと、それはできないと断られた。免許を取って一年以上経たないと二人乗りは禁止されているのだという。
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▼ケンカと「いじめ」は違うのか

2006年12月20日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
国家権力や雇われ教員が心への介入を強行するのは、無用な軋轢の原因を作ることにしかなりません。

たしかに軋轢こそ、「いじめ」現象につながるのかもしれません。その意味では一理はあるご意見だと思いますが。「国家権力」が国民の心にどのように介入してくるのかは、ただちには想像できませんが、教員といえば、普段より子供とつき合って、なんぼの職業です。心への介入といい、心と心の交流といい、これを全廃せよというのは、暴論だと思います。思うに「軋轢」を怖がるなと言いたいのです。よく人に迷惑をかけるなという言い方がありますが、私などは、反対です。迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていくのが、世間というものではないでしょうか。軋轢といい迷惑といい、そうも怖がらずに、人々と交流する。そうした中には、確かにいろんな性格の人間もまじってきます。また関係が剣呑になってしまうということもある。そうしたさまざまな現場や人間性というものを経験するのも、決して悪いことではないように思うのでござります。私などは昭和30年代が小中学校時代でした。遠い昔のことですが、三日にあけず、誰かと殴りあったり、口げんかしたり、それはそれは子供とは言え、なかなかに忙しい日々だったように思い出されます。喧嘩しても、さほど後腐れがなかった。感情が残りません。三日もすれば、何事もなかったように忘れさることができました。子どもというものは、あっさりしたものです。

うらみつらみの悪意が尾を引かないのですね。そうしたところは大人とは、少々違うのでしょう。「いじめ」ということが騒がれておりますが、わたしは、取りざたする方向に今昔の問題が隠されているように思うのでござります。上で申したように、昔はおおっぴらに喧嘩もやれた。女の子だってやるときはやります。教室の中でも、結構、大声で、口げんかしていましたよ。こうした諸相が、時代とともに封殺されてきたのではないかと、考えるのです。封殺されると、どういうことになるか。陰湿になる、またはどうしても、教師や大人たちには、発見しずらくなり、さも陰湿になっているように見えてしまうのではないでしょうか。禁止されている行為は、隠されるものです。表立ってなどやっては馬鹿をみるのは、子どもでも知っていることです。裏にまわって喧嘩するより仕方なくなる。では、なにが封殺されてきたのか。喧嘩ばかりではないでしょう。乱暴行為一般が教室から排除された。それに暴言や方言です。時には私語さえも禁止される。言葉使いに気をつけましょうという標語があります。廊下を走ってはならない等々も耳にするところです。そしてこれら禁止事項を監視しているのは、現代では教師ばかりではない。昔に比べて学校には、保護者の目もだいぶ入ってくるようになってきた。子どもたちは借りてきた猫のようにしていなければならない。それは学校だけでしょうか。家庭ではどうなのか。地域ではどうなのか。

昔は、確かに学校は、厳しいところでした。それでも現代ほどではない。冒頭に申したように、教室のあちこちで取っ組みあいの喧嘩をやっていたり、大声を張り上げて口げんかをやっていた。なきながら子どもたちどうしで主張しあっていた。こうした場面が、あまりにも少なすぎる。子どもたちは解放されていない。家に帰っても、借りてきた猫をやめられないというのでは、どうしますか。地域とは言っても、遊び場なんぞ、どこにありますか。コンビニの入り口にたむろして、くっちゃべるぐらいしか自由な空間というものが、なくなっているのではないでしょうか。私には二人の息子がいます。ともに小中学校時代は、苦労がたえませんでした。結局、二人とも長く学校を休んで、やり過ごしていたのです。いわゆる不登校という逃げ道を有効につかって、子ども時代の隙間をぬうように、なんとか命だけは息災に暮らしてきた。不登校は、私の息子二人の個性に限ってみれば、これがベストの選択だっと思っているほどです。二人とも今は二十歳代になってしまいましたから、現代の小中学生時代をすごす、子どもたちの実際の気持ち、とりわけ学校での生活というものは、よくはしりませんが、全般に昔に比べて、必ずしも現代の子どもたちが、幸福であるとは、どこからも言えないように思うのです。端的に私の望みを言えば、もっともっと大きな歓声をあげつつ全身を動かして、遊び戯れてほしい。そうした子どもたちの姿を目にすることは、もうほとんどありません。それが将来、その子たちになにを及ぼすのかは知りませんが、私は昔のような素朴な、まるで犬か猫の子がそうであるような、人間の子どもたちのダイナミックな遊びというものがすっかり見ることができなくなって、いささか寂しい思いをしているのです。

こうしたことも環境のせいばかりにはできないでしょう。人為的に変えられてきたような気がするのです。封殺されたとは、剣呑な言い方ですが、そのことを言うのです。子どもとは、品行方正におとなしくあれば良いという、そんなものじゃない。教育とは、少なからず人間を鋳型にはめることですが、はめ込まれない部分というものはどの子にもあるはずだし、その部分を誰がどう処理するのか。そこが問題のように思うのです。親が、まかなうのか。子ども自身がやりくるするのか。むかしは後者を、世間の全体がおおむね認めていたような共通認識があった。それは自由な感覚だった。今はどうでしょう。子どもの自由の範囲は、昔に比べて、かなり狭くなっているように思うのです。こうしたことが、いじめ問題と、どのように切り結んでいるのかは、知りませんが、私には子どもたちの姿が、寂しくなる一方に思われてなりません。

かならずしもひどい殴り合いや取っ組み合いをしていたばかりではなかったのですが、殴るということについて、思い出したことがあるので、ご紹介しておきます。それは双方ともに、親が顔を出してこなくて助かったという好ましい事例です。中学生のときでした。昼休みはだいたい校庭に出て遊んでいる。ベルがなって午後の授業の開始が告げられ教室に戻ってくるのですが、四五人でかたまって教室に向かっているときに、なにが原因かは忘れたのですが、私が、一緒に歩いている一人の同級生の悪態をついたのです。すると普段はおとなしいと思っていた彼が、いきなり顔を殴りつけてきたのです。すぐ授業が始まるのだし、また私が悪いことを言ったのは分かっていましたから、彼に対して反撃するような気持ちは起こりませんでした。その一発で、彼も私も、気持ちはおさまっていたのでしょう。ところが、私の前歯が折れていたのです。授業中に気がつきました。舌ざわりが変なので、指でたしかめてみると、前歯が一本なくなっているのです。それにしては、落ちたような気配もなかった。どうやら飲み込んでしまったのでしょう。次の授業は、理科でした。教師が私を指して、おまえ前歯がないと可愛いらしい顔になったぞ、なんていわれてクラスのみんなと、へらへら笑っていたほどでした。家に帰っても、母親が、おや前歯がなくなっているねぇと、言うだけでした。わたしも、どうして歯がなくなったのかは母親に伝えるようなことはしませんでした。もちろん教師にも。私を殴った、彼とは中学校が終わるまで、それぞれの家にいったり来たりする親友になりました。彼は高校には行きませんでした。中学校を終えるとともに東京のお寿司屋さんに弟子入りしたと耳にしました。以後、一度も会っていないのです。

さて今度は、私が殴った話に移らせていただきます。このときも相手も親には親告しなかったようです。小学校5,6年生だったと思います。寒い冬の日のことです。登校時でした。やはり四五人が横一列にかたまって、あれこれと雑談をしながら学校に向かっていたのですが、私にひとつ年下の子が、すぐ私の横で、私の親や、家のことをなじってきたのです。おそらく彼の親などが噂していることを聞きかじって、非難していたのでしょう。わたしもいい加減に頭にきて、振り向きざまに、彼の横っ面を張り倒してやったのです。鼻血が出てきました。彼は顔を両手で押さえて、泣きながら来た道を反対に、家に帰っていったようです。私の家と彼の家は、ほとんど隣で、これは大事になるかと内心穏やかではありませんでしたが、それっきりでした。彼も次の日には何事もなかったように学校に来ていましたし。その朝、一緒だったみんなも、人を殴るようなことは、それまで一切なかった、私のことを、この朝からは一目おいてくれているようでした。彼が口が軽く、悪口ばかり言っているのは、周知の事実でした。私が殴りつけるほどのことだから、よほどのことだったのだろうと、見てくれたのでしょうか。それにしても鼻血を出しながら家に戻ってしまったのですから、親に言いつけられたかと思ったのですが、その後、なんの話もなかったので、彼もまた、私に殴られたとは、言わなかったと思われるのです。昔は、多くの場合、こんな調子だったのです。あれで子どもも、潔いと申しましょうか。かなりの矜持というものを持っているものでござります。自分の尻はちゃんと自分で拭くものでございます。親や教師が子ども間のことにくちばしを入れ始めると、反目関係が長引いたり、チクッたなとか言われ、ろくなことにはなりません。もちろん、こうしたことも程度問題だとは思うのですが。これもまた子どもの世界の自由度の大小で計ることができるような気がするのでございます。

殴り殴られの、上記のような事例があった場合。現代の保護者はいかなる対応を取るでしょうか。子どものことだと、見逃す勇気を持てるでしょうか。私の場合は、そうした大人たちの懐の深さと言いましょうか。広い視野といいましょうか。決して大人たちが何も見ていないということではないのかもしれません。許されている範囲の大きさの違いというものを感じるのでございます。そこに「子どもの自由」の範囲が設定されている。自由は広ければ広いほど、人は大きく育つはずだと確信します。少々のことでへこたれない、耐性というものも大事です。危機をいち早く察知するのは、嫌なことはしないという、怠け心のような精神かもしれません。なにもかも真正面から取り組めとか、とことんがんばれなどというのも、時と場合によりけりです。私は、嫌なことからは逃げるが勝ちの精神でここまでやってきました。その代わり、当然のことですが、人様に自慢できるような人間にはなれなかったと思っていますし、逆説ですが、かえってそのことが自慢といえば唯一の自慢なのです。<4379字>
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▼英国パブリックスクールの場合

2006年11月11日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
イギリスのパブリックスクールは、当掲示板でもよく引き合いに出されるので、少し調べてみたら現地で実際に調べてきた方がWeb上で次のように説明されているのを見たので、そのまま引用させていただく。
 
H校はロンドン近郊ではイートン校に次ぐ伝統と規模を持つ、典型的なイギリスパブリックスクールである。生徒数約800人。13才から18才までの男子生徒が、全寮制のこの学校に在籍し大学へと進学する。言わば、一流エリート養成機関である。学費は寮費その他全て含めて各学期4000ポンド。一年で12000ポンド。1ポンド200円とすれば、240万円という額である。ある家庭では5人の子を同時にハーロウに通わせているので、1年で6万ポンド、約1200万円の授業料を収めているとか。声も出ない我々である。

要するに、この全寮制を特徴とする学校形式も、イギリスの場合はほんの少数の貴族の末裔その他、いわば特権階級に属する子弟のための教育機関ということで、ほとんどわが国の教育意識やその理念には合致するところはないのである。われわれの目が美化しているだけなのである。現実的には参考にはならないということだ。もちろん、似たような学校でよいというなら金に物を言わせれば真似事ぐらいは、いつでもできる。真似が上手だというのがわが国民性の自慢でもあることだし、似たような学校でよいというなら真似て作ることなら、いつでもできるだろう。その際にも、上記のように金に物を言わせなければならないのである。誰が金を出すのか。問題は、それだけだ。だがそれは教育の本道とは筋違いな話である。衆愚は学校の建物を見て、学校のよしあしを決めたがる。馬鹿なものだ。さらに、真似事が得意なのは、古代よりわが国民の長所であったと耳にする。

だが、考えておくべきは、英国には英国の伝統があって、それがパブリックスクールなどいう特異な学校を成り立たせているという実際だ。わが国の伝統と英国のそれは違う。学校とか教育という概念が常にぶれて、いつまでたっても曖昧なままなのだと思っている。では、もう少し具体的に「伝統」とは何かについて、今思うところをお話したい。

英国のパブリックスクールに見られる伝統は、あきらかに旧時代から続く「身分」である。制度とは言わないまでも、「身分」というひとつの伝統が行き続けている証左に他ならない。身分とは換言すれば、職のことではないか。百姓は米作り、同じように武士には武士の、公家には公家の、貴族には貴族の役割に基づく業務と社会的責務というものがあったはずである。貴族だからといって毎日、遊んで暮らしているばかりでもないのである。この職と身分というものは、われわれの想像を絶するほど、旧時代には、代わり映えもしないまま何百年も続いていたはずである。古い時代は、家制度が幅を利かせて、子どもたちの教育に枷をはめていたと言われている、その「家」を証明するのは親の「職」に他ならないだろう。ならば、親はまず子どもに何を教えなければならないのか。武士の家に生まれた子どもは武士になるより他に道は無い。
 
この身分制度がえんえんと引き継ぎ、一定の社会の秩序を作ってきた。よってわが子に何を教えるのかは、家によってまったく違うという現象が現れる。百姓の子どもは米作りを教わる。米作りに関するありとあらゆる知識を、教えなければならないだろう。子どももまた、それが当然だと思うだろう。よい知恵を教われば教わるだけ、収穫が増えるだろう。本を読む必要はめったにないのである。まずは田んぼに出て行く。それが実地の教育だった。なんの迷いもない。武士は支配階級である。そのまま役人である。読み書き算盤、さらに教養と品格が体力が応分に必要とされていた。これまた何を教えるべきかははっきりしていたのである。近代に突入し、身分制度は廃止された。職業の選択は自由となった。

人生の夢は四方八方に広がった。それは良い。だが、何者になるかも分からない彼らに何を教えればよいのか。学校が混迷するのは、当然のことなのである。言うに事を欠いて、命を大切さを教えますとか、夢を与えますとか、夢を捨てなければ、かならず実現されます、がんばれ、がんばれ。たわごとばかりである。少女漫画だ。学校が混迷するのは当たり前なのである。当板でも、数日前に、どなたかが「なぜ勉強しなければならないのか?」というトピックスをあげておられたが、当然の疑問なのである。学校で、子どもたちが悩んでいるのは、まずは、そこにあるとは思わないのか。何のために学校に通わなければならないのか。何の保障があるのか。学校で勉強すれば、餅でも食わせてくれるのか。なんのために勉強をしなければならないのか。この根底的疑問に誰が答えてやれるのか。簡単なことだろう。飯を食うためだ。稼ぎのためだ。人を搾取すれば、儲けも大きい。金勘定も上手になれば、儲けも産まれようと数学の授業の前に、なぜはっきりとそう言ってやらないのだ。根無し草となった貧しき仮面かぶりの現代人よ。<2154字>
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▼不登校を美化しても始まらない

2006年11月10日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
私には息子が二人いて、二人とも小学校の高学年から、中学校のほとんどすべてを不登校で通してしまった。今は20代の好青年となり昔、自分が不登校していたことなど影も形もないようで助かっている。息子たちの真情は分からないが、一応元気に暮らしているのだから、それでよしと思っているだけだ。そういえば子どもに尋ねたこともない。どうして学校に行けないのだと、行きたいくない、学校に足が向かない、その理由というものを聞こうとしたことはない。だからいまだに、どうして長い間、不登校だったのかは、親の私にも分からないのである。上の息子の場合は、いささか自己主張が強く、小学校高学年のあたりから何度か教師とやりあったというようなことはあったらしい。ある日、授業の途中から家に舞い戻ってきてしまったということがあった。教師が、出て行けといったから、家に帰ってきたと言うのである。当時は私も勤めていたから夫婦共働き家庭ということで、昼間は家には誰もいない。息子は家に帰ってきたなり鍵をかけてしまった。あわてて追いかけてきた教師が何度ドアをたたいても息子はドアを開けなかった。
 
そんなことが幾度か重なって結局登校しなくなったように覚えている。教師にしても息子にしても、それはそれで元気いっぱいの健全な行為だと思っている。下の息子の場合は、上の息子とは性格がだいぶ異なっているようで教師とやりあったことも、クラスメイトから嫌がらせを受けたようなことも、まったく見られなかった。ある日、ランドセルを背負って玄関を出た。10分後、私が出勤の時間になり玄関を開けてみると、そこに息子が泣き顔で呆然とたたずんでいたのである。その日は学校は休ませた。だが以後、通学路の途中まで送っていったり等々と登校させようと何度か試してみたが、どうしてもうまくいかなかった。学校のすぐ近くまで行っても、そこで足が止まってしまう。仕方なく引き返してきたものである。

当時、私は職場へは毎日一時間程度、遅刻していた。だが、息子に対して登校しないことを叱ってみたり、理由を問いただすようなことはしなかった。それでもなお親の面子がつぶされたような本音がなかったといえばうそになる。その後、結局、学校には行かないというのが我が家の通弊になってしまったのも、息子がそうしたまでで、親はそれに従ったまでのことであり登校しないことを容認したとはいっても、息子の不埒を真から許せるというまでになるには、緩慢に流れる時間が必要だった。徐々に徐々に分かってきたのである。それは息子にしても同じことだったのではないのだろうか。最初からなにもかも分かっていたわけではないと思う。
 
一方、息子の不登校の話よりずっと以前のことだが、近所に住む母親が息子さんを自転車の荷台に乗せて小学校まで送り届けている光景を出勤途中によく見たのである。息子さんは母親の後ろで大声を上げて登校を嫌がっていた。母親は、それこそ髪の毛を振り乱して自転車のペダルをこいでいた。なんとしてでも、このごうつくばりの息子を学校に送り届けようと必死の面持ちだった。近所ではちょっとした話題にも上っていた。母子家庭とのことだった。
 
数年後のある休日に町内で小さな催し物が行われている最中に、その男の子が母親と一緒にやってきた。私は知り合いではないので言葉を交わすことはなかったが、ひさしぶりに見る息子さんは、以前の彼とは見間違えるほど体も大きくなっていて中学校の制服がよく似合っていた。イベントの間中、彼は小さな子どもたちの遊び相手になってくれていたのである。数年前、毎朝、母親のこぐ自転車の後ろに乗せられて半強制的に登校させられていた、あの子かと目を疑うばかりだった。思うのだが、この母親も、そこまでして登校させるべきではないという一種優しいイデオロギーが流行している昨今のことなら地域PTAなどから糾弾されていたのではないだろうか。
 
こんなこともあるのである。不登校がごとき美化するに値しない。いっそ「不登校」などという曖昧糢糊なる言葉は死語にしたいほどだ。学校といい教育といい、いずれの方法が子どもの幸いとなるか、などということは、いずれにしても個別子どもと、深くかかわってみなければわからないものなのだと思った次第である。

<1779字>
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▼「ごんぎつね」 新美南吉

2006年08月11日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法

 

某掲示板より・・・私は、新任以来、この「ごんぎつね」の研究授業を数十回やった。自分の学級だけではなく、多くの他の学級で「飛び込み授業」もさせてもらった。そして、今のところ自分として、たどり着いた究極の問い(子供たちに投げかける課題)は、「ごんは、不幸だったか、幸せだったか」である。この問いを投げかけ、真剣に考え始めた子供たちは、それは大人もたじろぐほどの議論を展開し、深く深く作品の世界に入り込んでいく。そして、もちろん、子供なりの言葉ではあるが、「生きることの悲しさと切なさ」「「他者とつながり合うことの喜びと難しさ」などを、語り、あるいは綴っていくのである。そして、こんな世界を共有できた時から、その学級は確実に変わっていくのである。

一つの童話の読みと解き、生徒の感想あれこれとあるから「国語」の授業ということでしょうが、最後は、ようするに「ごんぎつね」は幸福だったか不幸だったかと生徒に問うたとある。その質の拙劣さが学校教育の限界を示しているように思いますね。少なくても私には、小学校の授業の手法なんていくら聞かされても、教師の法螺話にしか聞こえませんよ。なぜ、生徒に無理やりに感想文を書かせようとするのか。ここからして、そも作品から得た感興を、誤操作させているような気がしてくる。 昔、耳にした話では、学校で読書感想文を書かされるから、読書を毛嫌いするようになったと言う子どもたちが多いと聞いた。なるほどと思った。そりゃそうだろうと思った。読書感想というのもテストですからね。生徒にしてみれば。教師から褒められるような答え方を探すのですよ。真性からの感想なんて、そうはやすやす言葉にできるものではないでしょう。作品が傑作であればあるほど、疑問を残すのです。その疑問の大きな印象が、生涯、忘れられないのです。文学なんてものは、そこから始まっていると言ってもよい。 さいわい「ごんぎつね」は、勧善懲悪の黒白漫才ではないようだが、おっつけ早々に結論が出てくるようなものは、二束三文の駄作ですよ。それを言うなら教科書に取り上げられた、その時点で、傑作も駄作に成り下がるという逆説もありそうな気もしている。ここが難しいところです。生徒が教師の狙い通りに感想文を書いてきた、なんてのは、言葉の世界の豊饒性に比してみれば、ずいぶんあっけないことです。それで良しと思っているなら世話もないのです。教師の自己正当化に他ならないでしょう。

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姉歯欠陥マンション事件と教育

2006年06月29日 | ■学校的なあまりに学校的な弁証法
姉歯事件も配筋竣工図が消費者一人一人に手渡されていたなら問題は未然に防止出来た筈だ

なんのなんの。どうしてどうして。思うに、姉歯事件というのもIT時代の申し子のようなものである。記録や法文に金縛りになって、暮らしや生活を基とする現実感覚から出してくるべきはずのまっとうな論理が動かない現象である。実に陳腐な現象であり事件であった。数日前に、姉歯物件になる某マンションでは、すったもんだの末の末に、建て替えが決定されたそうだ。一軒あたり1000万円の持ち出しである。首都圏に建つ当該姉歯マンションはぶち壊されて一件落着なのだそうだ。だが考えて見なければならないのは、この事件が取り沙汰されてからもすでに半年はたつ。この間、何度か震度3程度の地震に見舞われてきた。見れば、当該姉歯マンションはびくともせずに立派に突っ立っているではないか。それらしく震度3の地震に耐えられず崩壊寸前というなら、話も理解でき候や。法制上では震度5に耐えられない設計施工であったればこその問い沙汰である。それは本当なのか。誰が検証したのだ。

姉歯建築士の肩を持つわけではないのだが、震度5違反というのは、口先だけではなかったのか。揺らしてみればよい。揺らしてみろ揺らしてみろ。びくともしなかったら、その法や制度は、どういうものだと聞いているのだ。鉄筋の数が基準を満たしていないと言う。馬鹿なことをもうすでない。民家の多くが鉄筋なんぞ一本たりともへぇっていやしまい。震度5の地震が来れば、3割方は家を失うのは、大昔からの自然の摂理だ。それにしても姉歯マンションは、震度5に耐えられないのか。本当なのか。誰が見てきた聞いてきた。

子どもが襲われる事件が三つ四つ報道されるとパニックにおちいり全国津々浦々、対策が講じられ、タスキガケで、おまわりさんごっこに明け暮れる保護者の面々。馬鹿だとは思わないのかね。付和雷同の尻馬根性。諸悪の根源は社会幻想道にまい進する国民だ。IT化とは自然科学だけのことではない。カールマルクス以来、社会も十分に科学されてきた。社会こそ科学の対象である。IT化の最大の目的地。それは社会主義である。人のロボット化である。社会の学校化である。学校の工場化である。家庭の社会化である。

話はやや変わるが、一昔前のことだった。「教師のサラリーマン化」というお題目が流行した。実のところはどうなのかは分からないし、風評の類だと思って見過ごしていたが、あれなどが要するに「教師パッシング」の嚆矢となっていた感がある。少なからず学校というものが大きな変革を迫られていた時だったように思われる。その中で教師の仕事における本質も、かなり変遷を遂げてきたことは事実だろう。以後、どのような方向に鞍替えされたかといえば、以前どなたかが示唆していたように、あらゆる面におけるプラグマティズム(実用主義)の採用である。

教育とは何かなどと問うひまもない。そもそも、そうした原理的問題は不毛な問いかけだったのかも知れない。教育とは現場にしかない。もう誰も、教師と生徒で交流される倫理や精神などは問題にもしなくなってきた。実際、子どもたちに坊主くさい説教などいくら聞かせても、なにがどうなるものでもないはずだ。そんな時間があるなら、勉強勉強また勉強だ。まれにスポーツという手もある。または音楽や絵画という手もあるにはあるが、いずれにせよ子どもたちの学力向上一本やりである。学力神話という言葉があるが、教育行政も、保護者も教師も、この一点に一丸となって傾注してきた。
 
他のことはおろそかにされたわけでは必ずしもないのだろうが、冒頭に言ったように人は、見えやすい形に置き換えてしか、ある概念なりを議論することはできない。また評価することも定義することもできない。こうしてますます確固たる物差しが必要だった。実体はともかく批評するためにも教育問題を議論するためにも、物差しが必要だったのだ。学校の物差しといえば、子どもたちの学力以外のなにものでもない。学力は競争の産物である。学校と学校が比較され、地域と地域が比較された。比較する必要から指標や基準が導入される。教師の仕事に、新しいさまざまな物差しが、次々と導入されてきた。同時期、学校だけのことではなくあらゆる労働現場がIT化されてきた、その経緯に同じことだろう。
 
IT化とは、もちろんコンピュータをのぞいて考えることはできないが、ようするに人の動きの効率化のことであり数値化こそ客観的事実となる。誰でも一様に見ることができるだろう。評価を下す側の現場主義にもとづく信仰である。最終的には教師や生徒の心理にまで及んで数値化することである。あらゆる都市型の労働現場はそうなってきた。結果はもちろんのこと動機もやる気もポイント化される。もとより道徳や精神というあいまいな世界は、教育には似合わなかったのかも知れない。
 
IT化は新しい宗教である。いまや国教である。教組も不平不満をつぶやく教師の声を集めた程度で雌伏した。教組といえど全体として世の中の趨勢には抗えず、あえなく解体してしまった。教師も、学習塾のアルバイト講師も、その労働になんの違いがあるだろう。子どもを守り、将来を思いやる気持ちに、変わりはないと思うほかはない。学校神話は、今や意外なことにパラドックスのように崩壊した後の祭りである。昔のようには、教師の美談は生まれにくくなってきたということだけが、かろうじて見えているだけだ。
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