岩殿寺を後にして、安養院に向かいました。正式には祇園山・安養院田代寺と言うそうです。
もともとは北条政子が夫・源頼朝の菩提を弔うために創建されたのだそうですが、その後火事
など様々な出来事があって、現在の形に統合されたのだそうです。安養院とは政子の法号とのこと。
北条政子...。尼将軍と呼ばれたり、悪女と呼ばれたり...、評価様々でありますが、件の鎌倉殿...
でもすでに激烈な性格が描かれておりますので、そういうイメージが定着しているのだろう...と。
これまた歴史解釈の面白さです。人それぞれの北条政子像を描きながらで良いのだと思います。
頼朝が死に息子の実朝が暗殺されて後、朝廷の権威回復を望む後鳥羽上皇と鎌倉幕府が対立。
時の執権・北条義時(政子の弟)追討の院宣が発せられ御家人たちは動揺する...。これを収めた
のは政子の言葉だと言われております(有名な台詞)頼朝公の恩は山よりも高く・海よりも深い...
歴史の大転換点の一つ、承久の乱...。その大勢を決したのは政子の言葉であり、その演説(言葉)
がその後、数百年も続く武家政治の礎を作ったと言っても過言ではないような気がします...。
北条政子ゆかりの安養院...。小さくとも“凛”とした空気に満ち溢れた空間でありました。
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