世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

数十年前は日常であった木造民家群の中に子鬼の像も建っている茨木です

2012-08-05 08:00:00 | 日本の町並み
 日光街道の三番目の宿場町で、東京に近いながら古い町並みが続いている町が越谷でした。越谷市は全国に40箇所ある特例都市の一つですが、特例都市というのは人口20万人以上の都市で、都道府県から権限の一部を移譲されています。巨大都市の衛星都市が多いのですが、この特例都市の一つに大阪市の北にある茨木市があります。今回は、市の郊外に旧西国街道の三番目の宿場町があるところも類似する茨木市の町並みを紹介します。なお、茨木市は「いばらきし」と発音をし、「き」が濁音の「いばらぎ」は茨城県の方で字も異なります。

 
 茨木は大阪の北北東20km程に広がるベッドタウンで、16世紀に茨木氏の城下町であったことによります。江戸初期に一国一条令により城は取り壊されていますが、茨木神社に搦手門が移築され東門として使われ、茨木小学校には楼門が復元されています。廃城ごの茨木は、大阪と京都を結ぶ交通の要として、酒造業を中心とした商家の町並みが形成されたようです。


 古い町並みは阪急の茨城市駅とJRの茨木駅とを結ぶ東西の道の北辺に広がっています。

 白漆喰の土蔵造り、黒漆喰のもの、それに格子のある家などさまざまです。白漆喰の家は、造り酒屋で、黒漆喰に格子がある家は通常の住居ではないかと思います。



  また、木造の2階建てで1階部分にガラス戸がはめられて商店として使われている家など、かつて日本の何処でも見られた風景ですが、今ではなかなか見ることが難しくなっています。







  火事に弱いとか、土地の有効利用ができないなどの理由から、木造民家は絶滅危惧種になりつつありますが、その美しさを生かす方法が考えられてもいいのではないでしょうか。







  
 茨木城の搦手門が移築されている茨木神社ですが、茨木川に沿った緑地公園の東側に沿って参道が延びています。神社の創建は坂の上の田村麻呂まで遡り、織田信長が神社仏閣を取り壊す際に、神社の名前を変えてその難を逃れたという言い伝えがあるそうです。茨木神社の近く、茨木川に架かる橋の欄干に茨木童子の像なるものが建っています。その出生については諸説がありますが、茨木村で巨大児として生まれ、やがて角が生えて、京都の北にある大江山の酒天童子の家来となった言い伝えられています。ただ、恐ろしげな伝説の茨木童子ですが、像を見る限り大きな目をしてマンガのキャラクタのような印象です。

 茨城市の南寄りには門真市と伊丹空港を結ぶ大阪モノレールが通っています。このモノレールはギネスに認められた世界最長の営業キロ数を誇っていて、かつては観光的な色彩が強かったモノレールの認識を変えるものでした。日本におけるモノレールの歴史は意外と古く、最初の構想は1913年にありましたが、沿線の反対にあって挫折、実際に動いたモノレールは1928年にたった1週間だけ動いた大阪電気博覧会会場のものでした。かつて、モノレールは都市交通の切り札といわれたこともありますが、方式の標準化ができていないため、互換性が無く、コスト高などにより普及は進まないようです。通信やコンピュータの世界では標準化や互換性というのは常識なのですがね。