世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

全国で2か所の府中市の一つの広島県府中市には、幕府に銀を運ぶ石州街道の出口にほっこりする町並みがあります

2022-11-06 08:00:00 | 日本の町並み
 かつての西鉄球団の本拠地であった平和台球場は、平安時代の国の出先機関の対外公館の鴻臚館跡でした。その外国に備えて幕末に挙兵されたのが、下関の長府で、地名の由来は、かつての長門の国の国府が置かれ府中とも呼ばれた、国の出先機関の町でした。国府の置かれた町は全国各地にあるはずですが、府中市と名の付くのは東京都と広島県の府中市の2か所だけです。今回は、広島県の府中市を紹介します。

 
 
 広島県の府中市は、県の東南部、福山と塩町とを結ぶ福塩線の沿線になります。福塩線は福山から府中までが電化されているので、すべての電車は府中どまりで、塩町方向に行くにはディーゼルカーに乗り換えとなる駅です。府中が栄えたのは、かつての国府というだけでなく、石見銀山で産出の銀を幕府に運ぶ石州街道の出口に位置する交通の要であったからです。石州街道は何本もあって、大部分はもっと西で山陽方面につながるのですが、府中は飛びぬけて東で大阪や江戸に近い場所に位置していました。

 
 
 
 
 JR府中駅を北に出て駅前ロータリーを少し行くと、東西に交差する通りがあり、この通りを西に1kmほど、出口川の手前で北に曲がってに伸びるのが、かつての石州街道の跡です。特に北に曲がって川と並行に北に500mほど進み番所跡まどを出口通りと呼ぶようです。この通りには、大きな石灯篭があったり、お寺や神社がありますが、観光地でよく見かけるお土産屋や資料館などの類は見かけません、住んでいる人の日常があるだけのようです。お土産屋さんどころか、観光客にも一人も会いませんでした。かつては銀を運ぶ大動脈としてにぎわった宿場町だったのでしょうが、目玉になるような観光施設や、さしたる基幹産業もなく、海沿いを通る山陽道からも取り残され冷凍保存されたような町並みが残されています。

 
 
 
 
 
 
 通りに面した家々は、白壁や黒壁の土蔵造りに一階は格子が並んでいるところが多く、格子に架けられた生け花がアクセントになっています。格子の生け花だけでなく、家の前が盆栽で埋まってしまった家や、種々の飾りがぶら下がって入り口が何処かわからないほどの家まであります。そうかと思えは、白い箱を3段に積み重ねたような洋館もあって、一筋縄ではいきません。このような家並が、真っすぐな直線道路ではなく、微妙に曲がりくねっているのは、通りやすさより敵からの防御を第一義に考えた江戸時代の名残でしょう。しかしこの微妙なカーブが、町の雰囲気をよくしているのも皮肉です。

 府中を大量に通過していったであろう石見銀山の銀ですが、一説には世界の1/3を産したとも言われます。銀は金と並んで装飾品として価値が高いのですが、数多くの金属の中では最も導電率が高い金属で、電線などに多用される銅より5%ほど高いのですが、さすがに費用対効果の面からは配線には使われません。むしろ、高圧送電線では導電率が銅の60%くらいのアルミが使われるようになっています。銅に比べて電気抵抗が大きくなるので電線を太くして長さ当たりの抵抗値を同じにしています。当然にアルミの使用量は増えますが、銅に比べて安く済むのだそうです。送電線を銀線に変えれば太さを5%減らせるでしょうが、費用が甚大になって、中には危険を冒して送電線泥棒が出没シソウデス。