世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

馬喰町の東には問屋街の雑然さやレトロな料理店、レトロなビルといろんな顔を見せる町並みがあります

2021-03-14 08:00:00 | 日本の町並み
 左沢線の寒河江、粟生と難読地名の紹介が続きましたが、東京にも難読地名はあって、住んでる人が何気なく読めている吉祥寺(きちじょうじ)、御成門(おなりもん)、雑色(ぞうしき)、御徒町(おかちまち)などなど。これらの中から今回は馬喰町(ばくろちょう)と隣の横山町や東日本橋の周辺、JR総武線の馬喰町駅に沿った町並み紹介します。

 馬喰町は中央区日本橋の北端に位置し、繊維問屋が集中するところです。馬喰町の名前の由来は、江戸時代に馬場があり、そこを牛馬の売買を仲介する博労(ばくろう)頭が管理し名主となったことで博労町と呼ばれるようになり、やがて現在の馬喰町の字が充てられるようになりました。明暦の大火の後に関東郡代の屋敷が建てられその周りに旅館街ができ、隣の横山町ともども旅館街の土産を扱う店舗が増えて、現在のような問屋街に成長したのだそうです。馬喰町も横山町も北東と南西に長い町並みで、馬喰町が西に、横山町が東に位置します。

 
 
 この繊維問屋街は総武線が通る道路から東に馬喰町と横山町の境を越えて広がっています。看板やのぼりなどが通りにはみ出し賑やかな雰囲気なのですが、問屋街であるためか意外と人通りは多くありません。ほとんどの店の入り口には、小売りは致しておりません、との表示が掲げられています。

 
 表通りのJR馬喰町の駅の真上には、問屋などが入っていると思しきビルの一部を利用したユニークなホテルがあります。北斗星という名前で、上野と札幌を結んで走っていた寝台特急の名前を冠したホテルです。名前の通り、ベッドをはじめホテル内は列車の北斗星を模したもので、寝室は2段ベッドのB寝台そのもののようです。現役の定期寝台列車はサンライズのみとなり、B寝台は消滅したので昔を懐かしむ鉄チャンが利用するのでしょうか、筆者は学生の頃に盛んに利用したユースホステルを思い出します。

 
 
 
 横山町の東にある東日本橋は、人形町にも近いせいか古風なつくりの料理店や楽器店が、町並みに押しつぶされそうになっていますが生き残っています。この町並みの北外れ近くには薬研堀不動院が、これもまたビルの谷間の石段の上に特異な形のお堂がポツンと建っています。目黒不動、目白不動と並んで東京の三大不動の一つで、川崎大師の別院とのことですが、問屋街の幟のような旗はにぎやかですが参詣する人はあまり無いようでした。

 
 
 
 そこから浅草橋方面に本通りに出るとレトロなビルが近代的なビルに挟まれて建っています。玉置薬局のビルですが、前に紹介した取り壊しの運命にある旧相互無尽とは違って、まだ現役を続けています。昭和初期に建てられテラコッタの外壁に窓の間にはひし形を基調とした模様があり、窓の上部にはレリーフもある登録文化財ビルです。逆に南の方に真っ白の端正で美しいレトロビルがあります。ハリオの本社ビルで、昭和初期に川崎貯蓄銀行の建物として建てられ、常陽銀行の支店として使われた後に2000年から創業80年を記念してハリオが買い取ったそうで、こちらも登録文化財になっているようです。

 ハリオと言えばコーヒードリッパーを思い出します。全自動の機械式コーヒーメーカに比べて、少し手間はかかりますが、ドリップ式の香り高いおいしいコーヒーが作れることで、広く普及しました。の日本人は、おいしいコーヒーを飲むために多大の努力を惜しまない数少ない人種だとも言われています。機械式のコーヒーメーカは、名人が入れる時のノウハウをプログラムに置き換えて、それに近い味が出せるようにした、異臭のロボットだと思います。大田区などにある町工場では、後継ぎが見つからず、その工場でしか作れないような高度な技術が廃れてしまう危険があるようです。中小企業を潰そうとした特命大臣もいましたが、日本の生命線を脅かすけしからん話だと思います。ただ、後継ぎをどうするかは、それこそ生命線を脅かすわけで、ノウハウを持つ町工場の人たちが存命のうちに、ロボットにこれらのノウハウを移植しようといった動きもあるようです。