世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

商業で栄えた堺ですが北部には多くの寺が軒を接し古民家も残る町並みがあります

2019-11-10 08:00:00 | 日本の町並み
 数多くのレンガ造りの銀行の建物を設計した辰野金吾の作品の一つが大分銀行レンガ館でした。この大分の発展は戦国時代にこの地を支配した大友宗麟の功績が大きく、そのこともあってJR大分駅前には宗麟の銅像もたっています。日本初の病院をはじめ南蛮文化を吸収して栄えました。宗麟をはじめ九州は多くのキリシタン大名を輩出し、信仰だけでなくキリスト教とともに入ってきた西欧文明で潤った町が多くあります。一方、京都に近く古くから中国トンの交易で栄え、やがて南蛮貿易で豪商を輩出したのが堺です。今回は、その堺市の北部で今年に世界遺産に登録された仁徳天皇陵に近い南海の堺東駅から多くの寺々が立ち並ぶ町並みを通って阪堺電車の綾ノ町電停までを紹介します。

 
 
 
 
 スタートは、堺東駅に近い堺市役所です。最上階が展望室になっており、2kmほど先の仁徳稜を見ることができますが、おなじみの前方後円墳としての形を見るには高さが足りません。市役所の北の道を西に阪神高速の下を緑道に沿ってきたに行くと、左手に数多くの寺が現れます。最初に立ち寄ったのは対面に建つ妙国寺と宝珠院で、土佐藩十一烈士墓があります。幕末に堺に上陸したフランス兵を堺を警護していた土佐藩士が殺傷し、フランスの講義に屈服して警護の藩士が切腹したのが妙国寺で墓があるのが宝珠院です。その先に蓮華寺というお寺があり、門のそばの石柱に「本尊歯吹如来」と書かれてあり、調べてみると口を少し開いて歯を見せる技法で作られた如来のようです。この辺りは、お寺だけでなく格子や白壁の美しい民家が残っている町並みが続きます。



 蓮華寺のj角を右に曲がって突き当りが本願寺堺別院で周辺には子院と思われる多くの寺々があります。本願寺堺別院は北の御坊と呼ばれ堺市最大の木造建築で、明治の廃仏毀釈の時には10年ほど県庁舎として使われたのだそうです。本願寺を通り抜けて突き当たると覚王寺と十輪院が並んで建っています。覚園寺は、与謝野鉄幹と晶子を取り持ったお寺として有名ですが、道路からは古民家のようなたたずまいです。十輪院には14世紀に造られた板状塔婆があり、中央に地蔵菩薩が彫られ梵字には阿弥陀と書かれ、14世紀に流行した2つの仏を同体とする表れと言われています。



 しばらく北に行って西に入ると山口家住宅があります。江戸初期の町家で、10年ほど前に整備されて堺市立町家歴史館として公開されています。土間の上の吹き抜けには巨大な梁が何本もあり、台所にはたくさんのj釜を載せられるかまどがあります。座敷の隅には箱階段もありました。最後は西に出てチンチン電車の阪堺電車で天王寺に戻ります。
 
堺というとわび茶の千利休を思い起こします。利休の茶室は極端に狭く暗いのが特徴ですが、これは亭主や客との距離を縮めて茶の湯に集中できるようにとの配慮があったと思います。江戸期に入ると、あまりにも暗い茶室よりも外界の自然の移ろいを感じられる明るい茶室が好まれるようになったようです。窓などの開口部を広くしたり数を多く設けて明るい茶室が作られるようになり、極端なものでは10を超える窓を持つ茶室も存在しました。当時の明かりは行灯や蝋燭だったでしょうから、むしろ暗いことが日常であったのかもしれません。LEDをはじめ昼間をしのぐ明るい人工照明が発達した現代では、暗さは非日常で、ミステリアスなもの、茶室も暗いものが見直されるのかもしれません。