世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

忠臣蔵で有名な赤穂には城下町より歴史の古い坂越の町並みがあり「忠臣蔵」のお酒もありました

2018-02-04 08:00:00 | 日本の町並み
 無電柱の本通には土蔵づくりや格子の家並、格子に掛けられた竹筒の花も風情のある街並みが竹原でした。この保存された町並みは都市景観百選に選ばれています。この都市景観百選は古い町並みに限らず、訪れたくなるような景観の都市の景観が選ばれています。例えば札幌の大通り公園や大坂の御堂筋なども選ばれています。今回は、この百選の中から、竹原の町並みと似た土蔵と格子の家並の続く坂越を紹介します。どちらも、瀬戸内海に面した風待ち港の一つで、という共通点もあります。

 
 
 
 
 
 坂越は兵庫県の南西部、赤穂市の一部で、姫路からJR赤穂線で30分ほど赤穂駅の一つ手前の坂越駅で下車をします。坂越は城下町の赤穂より歴史が古く、漁業や製塩業そして中継港として栄えたようで大きな商家の町並みはその遺構です。古い町並みは、坂越駅から南東に千種川を渡って1kmほどの所から、海に向かって600mほどの大道沿いに続いています。古い町並みの起点あたりには木戸門跡があり広場になっています。江戸時代には、木戸番が居て、町の治安を守っていたようです。この木戸門跡あたりから、だらだらと坂を下る道の両側は土蔵造りや格子のある町並みがびっしりと続きます。少し道が弓なりになるところも、その先がどうなっているかを期待させます。

 
 
 
 まち並み館として公開されている建物は、旧奥藤銀行の建物を利用したもので、内部にはかつて使われていた金庫もあります。その先には奥藤酒蔵の建物連なり郷土館として公開されています。赤穂に因んだ忠臣蔵という銘柄の地酒を造り続けています。この奥藤家は、桃山時代から続く、廻船業で栄えた庄屋で、お酒づくりは江戸初期に始めたようです。本業の方の廻船業では、主な荷物が塩でしたが、日露戦争を機に専売制が導入されたため、廻船業をやめて銀行を始めたのだそうです。

 
 
 
 大道がT字に突き当たり海沿いに両側に200mほどの町並みが続きます。このT字の場所に建つのが旧坂越浦会所で、2階のにある藩主専用の部屋である観海楼からは、低い窓越しに坂越湾に浮かぶ生島がよく見えます。この浦会所の建物は昭和初期から公会堂として使われていまましたが、江戸末期に行政や商業をつかさどる浦会所として建てられ、同時に赤穂藩の茶屋として使われたようです。このため、庭には石灯籠や蹲などもあって、単なる集会所とは一味違います。窓から見える生島には、大避神社の御旅所があり、10月に行われる舟祭りではご神体などを乗せた多くの和船が島までを往復します。一方、大避神社は、浦会所から海岸沿いに左手方向の丘のふもとにあります。

 赤穂と聞くと塩を思い浮かべます、忠臣蔵の事件も、塩にまつわる藩と藩との争いが原因の一つとも言われています。しかし、現在は赤穂を含めて塩田は全廃され、90%近くの塩は輸入に頼っています。海水を原料とする塩は、太陽の力ではなく、電気とイオン交換膜を組み合わせて濃縮をし煮詰めて塩にしています。電気と言っても電気分解ではなく、陽イオンだけしか通さない膜と陰イオンだけしか通さない膜とを交互に並べて、膜と膜の間に塩分濃度が高い部分と低い部分とを作る手法だそうです。塩田で作られた」「にがり」を含む塩を再現するため、わざわざ「にがり」を加えて再結晶させ天然塩と称して高価な塩が売られていますが、むしろ、旨味や香辛料で塩を使わないで美味しさを作り出すかに努力したほうが良いように思います。