世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

まわりより低いところにある小諸城跡の懐古園は地の底に入っていく感じがします

2017-10-15 08:00:00 | 日本の町並み
 大磯は、吉田茂の別荘や大磯ロングビーチだけでなく、西行の庵跡や島崎藤村の終焉の地など文学の香りのする場所でもありました。島崎藤村と言えば「小諸なる古城のほとり・・」の文章で始まる千曲川旅情の歌を思い浮かべますが、島崎藤村つながりで、大磯町とj小諸市とは姉妹都市を結んでいます。今回は、懐古園周辺と小諸から伸びる小海線沿線の中込学校も紹介します。

 
 小諸市は長野県東部に位置し、最寄り駅は小海線としなの鉄道の接続点の小諸駅です。このしなの鉄道は、北陸新幹線のために、信越線が三セクに転落したもので、新幹線と路線がダブルとの理由です。本来は客層が異なる路線のはずですが、乗客が減るからと、乗車料金を高くできる三セクにしてしまったわけです。そもそも、北陸新幹線じたい費用対効果の悪い政治路線のように思います。さて、島崎藤の歌に詠まれた小諸城跡の懐古園は、小諸駅の西側のすぐそばにありますが、駅の出口が北東側のために跨線橋を越えることになります。跨線橋を降りるとすぐに懐古園の入り口の三の門で、観光写真によくあらわれる門です。小諸城が周りの地形より低いところにあるため、この三の門も埋もれているような感じがします。

 
 
 
 小諸城の遺構は三の門と石垣のみで、動物園や藤村記念館それに博物館、美術館などがあります。この懐古園の土地は、園内の懐古神社の所有で、小諸市が乖離受けて、懐古園として公開しているのだそうです。また、園内には小諸市立小諸義塾記念館があります。これは、明治期にキリスト教の牧師が建てた私塾で、島崎藤村も英語講師として教壇に立ったそうです。神社の所有する土地のそばに、キリスト教の私塾があるのもちょっと不思議な感じです。

 
 
 小諸駅から、三セクのしなの鉄道ではないJR小海線に乗るとやがてJRの標高最高地点や最高所駅に至りますが、その前の滑津(なめりづ)駅で下車をして、西に400mほど行った所にあるのが旧中込学校の校舎です。旧中込学校は明治の初期に長野県で最初の本格的な洋風校舎です。1919年まで現役の校舎として使われ、その後は役所などに再利用され1969年に重文に指定され現在の姿になりました。木造の2階建てで、外観は下見板張りの洋風で、色ガラスをはめた窓など、他の疑似洋館とは一味違います。東南アジアで見るコロニアル建築のイメージです。

 小海線というと、我が国で唯一のハイブリッドの車両が走っていますが、このハイブリッド車は、我が国で走る自動車のハイブリッドとは種気味が違うようです。自動車の方は車輪を回す主役はエンジンでモータは補助的ですが、小海線の車両は車輪を回すのはモータのみで、このモータに電力を供給するのがエンジンということです。これでは、電気式のディーゼル機関車と同じように見えますが、はいぶりっと車両では発電機とモータの間に大容量蓄電池を挟むことで、エンジンの効率化と小型化が可能になったのだそうです。エンジンとモーターとは独立に電子制御によって高効率な状態に保てるからでしょうか。ただ、効率が高くなったと言え、エネルギーの元は石油なんですね。