伊勢街道(横大路)と中街道(下ッ道)とが交わる札の辻を中心に、隣の今井町にも劣らない古い町並みが広がるのが八木町でした。伊勢街道は、伊勢神宮の参道として、大阪から伊勢までの本街道の他に、数多くの側道がありました。横大路も元は難波宮と飛鳥とを結ぶ官道でしたが、江戸時代には伊勢街道として使われました。今回は、この横大路のもっと伊勢寄り、伊勢本街道の宿場町(萩原と呼ばれた)として発展した榛原町を紹介します。
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榛原町は、前回紹介の八木町から東へ15kmほど、近鉄大坂線で6駅という距離です。以前に紹介した、大宇陀の最寄り駅で、現在の行政単位は、この大宇陀んどと合併して宇陀市となっています。榛原は、伊勢本街道と初瀬街道の分岐点の宿場町で、その分岐点には八木町と同様に札の辻が存在します。この札の辻のそばには、これまた八木町と同様に旧旅籠の遺構の「あぶらや」の建物が残されていて、この旅籠は江戸時代に本居宣長も宿泊したそうです。
江戸時代には、60年周期で伊勢参宮の波があり、お蔭参りと呼ばれました。日本の総人口が現在の1/4しかなかったの頃に、1日の参詣客が23万にも達したことがあるそうです。当然、ここ萩原宿も数多くの人が通り抜け、または宿泊したのでしょう。ただ、現在の榛原は、人影も少なく、眠ったような雰囲気の町並みが続いています。かつての賑わいを取り戻すということでしょうか、毎年6月には「あいさこいさ祭り、春の伊勢街道、おかげ祭り」が催されているようです。
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八木町の町並みは、碁盤のような直交した道路が町並みを区切っていましたが、榛原は起伏のせいでしょうか、曲がりくねった道ばかりです。先まで見通せないので、曲がった先にどんな町並みがあるかと期待を持たせます。土蔵造りに虫籠窓、それに格子のある町家の家並ですが、栗漆喰も目立ちます。また、京都の町家でも少なくなった犬矢来のある家もあります。また、小さな川に沿った板塀に、屋敷専用の屋根付きの橋が架けられてる家も見かけました。
江戸時代の伊勢参宮などは、現在とは比べ物にならないほど費用がかかったようで、講と呼ばれる集団で費用を積み立て、その中からくじ引きで当たった者が代表して参詣しました。現在のツアコンの役割を果たしたのが御師と呼ばれる集団で、現地の宿泊場所も提供したそうです。現在のように、旅行情報がネットから簡単に手に入るわけではなかったものの、伊勢参宮のガイド本はかなり詳しいものが出回っていたそうです。参拝客の数が半端では無かったわけですから、需要も半端では無かったのでしょう。ネットから簡単に旅行情報は手に入りますが、意外とほんとに欲しい情報を手に入れるのは難しいようにも思います。行ってみたら、こんなはずでは無かった・・・
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榛原町は、前回紹介の八木町から東へ15kmほど、近鉄大坂線で6駅という距離です。以前に紹介した、大宇陀の最寄り駅で、現在の行政単位は、この大宇陀んどと合併して宇陀市となっています。榛原は、伊勢本街道と初瀬街道の分岐点の宿場町で、その分岐点には八木町と同様に札の辻が存在します。この札の辻のそばには、これまた八木町と同様に旧旅籠の遺構の「あぶらや」の建物が残されていて、この旅籠は江戸時代に本居宣長も宿泊したそうです。
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八木町の町並みは、碁盤のような直交した道路が町並みを区切っていましたが、榛原は起伏のせいでしょうか、曲がりくねった道ばかりです。先まで見通せないので、曲がった先にどんな町並みがあるかと期待を持たせます。土蔵造りに虫籠窓、それに格子のある町家の家並ですが、栗漆喰も目立ちます。また、京都の町家でも少なくなった犬矢来のある家もあります。また、小さな川に沿った板塀に、屋敷専用の屋根付きの橋が架けられてる家も見かけました。
江戸時代の伊勢参宮などは、現在とは比べ物にならないほど費用がかかったようで、講と呼ばれる集団で費用を積み立て、その中からくじ引きで当たった者が代表して参詣しました。現在のツアコンの役割を果たしたのが御師と呼ばれる集団で、現地の宿泊場所も提供したそうです。現在のように、旅行情報がネットから簡単に手に入るわけではなかったものの、伊勢参宮のガイド本はかなり詳しいものが出回っていたそうです。参拝客の数が半端では無かったわけですから、需要も半端では無かったのでしょう。ネットから簡単に旅行情報は手に入りますが、意外とほんとに欲しい情報を手に入れるのは難しいようにも思います。行ってみたら、こんなはずでは無かった・・・