世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

工場が建ち並ぶイメージの強い尼崎ですが寺町周辺は別世界が広がっています

2012-04-01 08:00:00 | 日本の町並み
 平等院の参道には老舗のお茶屋さんが店舗を連ねているのが宇治でしたが、その宇治の産業はお茶だけではなく、ユニチカのメインの工場の一つがあります。ユニチカは、かつては尼崎紡績という綿糸の製造メーカーで、名前の通り発祥の地は、尼崎なのです。発祥の地には、登記上の本店が置かれており記念館があるのみですが、今回はユニチカ発祥の最寄り駅である大物駅の隣の阪神尼崎駅周辺を紹介します。

 尼崎は、兵庫県の南東端に位置しますが、市外番号は'06'つまり府県を跨った大阪市内と同じなのです。何故、06となったかの理由は諸説あるようですが、尼崎紡績が当時は電話が無かった尼崎に、大阪から自費で電話回線を引いたからと言う説もあるようです。日紡発祥の地と言うことからも判るように、工業地帯というイメージの強い土地柄です。しかしながら、市域の北の阪急沿線は高級住宅街もあって、東京の大田区が、町工場の顔と田園調布とい2つの顔を持つのと似ているかも知れません。ここで紹介する阪神尼崎駅は海よりの工業地帯の色彩が強いような場所ですが、尼崎城の遺構や寺町など意外な顔をも見せる界隈です。

 
 阪神尼崎の駅を降り南に出ると、レンガ造りの建物が目に入ります。由緒ありげな建物ですが、阪神電鉄の専用発電所だったもので、現在は資材倉庫に使っているそうです。JR東日本が信濃川の水力発電や川崎の火力発電所を持っているのと同じ考え方です。窓がふさがれて、ちょっと無粋ですが、遠くから見ると教会と見まがう建物です。この旧発電所を南に行くと尼崎城の遺構があり、現在は公園になっています。さらに南に行くと、国学者の契沖生誕の地の碑があります。




 
 
 
 ここから、橋を渡って西に行くと寺町が広がります。ここが尼崎かと、目を疑うような大小の寺寺が、国の重要文化財の建物だけでも5棟もあり、軒を接するように並んでいます。それぞれのお寺の境内には、石造りの塔などもあって、丁寧に見ていくと色々な由緒があるようです。場所によっては、寺の前の道路も石畳にされていて、風景の後方ににょっきりそびえるマンションが無ければ、京都か奈良にいるのではないかと思ってしまいます。


 この寺町界隈に七福神が祭られていて、お正月などは七福神巡りで賑わうようです。の七福神は、お寺や神社を巡らなくても、駅の北西にある四番街商店街には七福神ドームというのがあって、それぞれの神様が入れストで描かれて、買い物客を見下ろしています。




 この寺町の南に、尼崎信用金庫の本店別館があり、その中に日本で唯一の貯金箱博物館があります。世界中からコレクションをした貯金箱を常時2,500個も常時展示しているそうですが、訪れた時には休館で残念ながら中を見ることはできませんでした。ただ、隣接する尼信記念館のレンガ造りの建物が、なかなかしゃれていました。阪神電鉄の旧発電所、尼信の記念館それに寺町のレンガ造りの塀など、尼崎にはレンガ造りのものが意外と多く残されていました。

 ユニチカといえば、かつての日紡ですが、東京五輪でバレーボルで金メダルを獲得した東洋の魔女の中心メンバーは日紡貝塚の選手でした。日本中が試合の中継を見るためにTVに釘付けになったものでした。日本のテレビは、現在の天皇のご成婚の時に白黒テレビが、東京五輪の時にカラーテレビの普及が進んだと言われています。地デジはしかし、取り立ててエポックとなるようなイヴェントは無かったように思います。アナログで時代では、視聴者の欲求から供給が進んだのですが、地デジは、どうも上からの意思で導入された感じがしてなりません。