くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「海馬が耳から駆けてゆく」⑤

2010-01-11 06:32:51 | エッセイ・ルポルタージュ
会津から帰ってきたら気になってならなくて、「海馬」の⑤を読んじゃいました。
④のラストで触れられていたけど、菅野さんの愛猫ニャン太の最期が綴られています。
猫を飼ったことはありませんが、わたしも犬の死には何度かあっていて、気持ち、とてもわかります。動物というのは、一緒に暮らすなかで他のものに変えられない「ひとり」になるのですね。
本文途中からは不定期連載になっているため、短時間に早くも三年が経っていて、月夜野さんの誕生パーティーとかこたにさんのご結婚とかいろいろなことがテンコ盛りになっているのですが。
あれ、ニャン太は? と思う瞬間がふとあるのです。もういないのは分かっているけど、どの段階のことなのか……と思っていたら、あとがきで当時の文章を整理したものが紹介されていました。
やっぱり、菅野さんは文章の人なのだな、と思ったのは、「最後の記憶が曖昧なので、消えてしまわないようにと、早いうちに書き付けておきました」という記述。わかります。言葉で残しておかなければ、と思うのですよね。話すだけではどこかに行ってしまう。戻ってこない思い出にはしたくないのです。
本文を書いている菅野さんはかなり客観的に意識して、「ニャン太」を見つめているような気がします。
その状況を悟らせないように。連載エッセイの性格を考えてなのでしょうね。
この巻がとりあえずの最終巻なんだとか。えぇーっ、もっと読みたいよこの文体!
そりゃ「不健全な魂だって健全な肉体に宿りたいのだ」もあることは分かってますよ。というより、「海馬」より前に①と③は買って読んだし、②もこの前発見して本棚に並べてありますよ。でも、「海馬」が好きなのー。
今回は車事故の話題が印象的でした。しかし菅野さん、どうして次から次へとこんなネタにぶつかるんですかね。横断歩道を通行しているときにすぐ後ろに脚立が崩れ落ちる。暴言を吐く店員に注意する女性を見る。皮膚科や耳鼻科の先生に圧倒される。
ところで、自分が四十を迎えるときには、「一人でサントリーニ島で過ごす」とおっしゃるのですが、もうじきでしょ? あと一ヶ月、計画は進行中ですか?