くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ごはんのことばかり100話とちょっと」よしもとばなな その②

2010-01-15 05:25:32 | エッセイ・ルポルタージュ
その土地でなければ味わえない「空気」についても、場所を変えて何度か出てきます。台湾、ネパール、名古屋、ハワイ……。あー、どこも行ったことのない土地だわー。
でも、ちょっと共感できることがありました。料理を作り慣れる過程です。この本によれば、自分なりにアレンジができる(材料が足りないときなどに)ようになるまでには、いくつかのステップがある。
まず、全く料理できない状態。「てきとうなことできなかった。一品作るのもどきどきしたし、つらかった」
決まったものなら作れるようになると、「自分の味」で似たようなものを量産する。そして、「ある時期が来ると突然に『普遍的な味』を求めるようになる」というのですね。
これは、文章と同じじゃない? 知人でどうしても村上春樹みたいな文章を書きたがる人がいて、「文体は平淡な方が中身が活きる」と考えるわたしと、多少論争になったことがあって。(もう十五年くらい前でしょうか……)
そんなことを考えていたら、「あるものでなんとかする」ができるようになって振り返ってみると、「小説を書くこと」と「とてもよく似ている」と書いてある。
うん……。文章を書いていくことに限らず、いろいろなことがそうなのかも知れないけど、やっぱり自分が何を大切にしているかって、自然に出てくるものだよね。だから、意図して特徴のある文章を書かなくても、自分らしさが出てくると思う。(知人は、任意の文を読んで自分だと分かるような文体にしたいと言ってました)
その点からいくと、今後よしもとばななの小説を読むようには多分、ならないのではないか、と。切り取られる断面はいい部分があるのですが、やっぱりわたしには合わないような気がしたので。
あ、でも、お姉さんには興味があります。コロッケもおいしそう。わたしはじゃがいもを茹でるのですが、ハルノさんはレンジなのねー。生クリームを入れるというのが新鮮。わたしは粉チーズとパセリ入れますよ。
この中で真似して作ってみたいのは、「にんにくのみじん切りと、レモンと、塩を入れたカップに熱湯を注ぐ」ブラジルの風邪薬と、「刻んだきゅうりを馬路村のぽん酢しょうゆでもみ、しその千切りを加えて、ごま油を少しかけてまたもむ、という簡単サラダ」かな。
ほかには作れそうなものがない、というのが事実ですが。だってポンデケージョ作るのにキャッサバがほしいんでしょ。売ってないもん。
多分、この本を読んで、彼女の感性に感動する人や納得する人は多いんだろうけど。
やっぱり違う世界の人だな、と感じるのでした。