現在の保守派の文化人に対する違和感はどこからくるのだろう。戦後を代表する保守派の論客の多くは、若いときにアナーキストに親近感を抱いていた。浅羽通明の『アナーキスズムー名著でたどる日本思想入門』では、田中美知太郎、猪木正道、勝田吉太郎を挙げているが、それらのアカデミズムとは別に、葦津珍彦がアナーキストの影響を受けたことはよく知られている▼田中は北風会なるアナーキストの勉強会に顔を出していた。猪木は若き日に帝政ロシア時代の女性テロリストに心酔した。勝田の感動の一書はクロポトキンの『一革命家の思い出』(大杉栄)である。葦津は「私の情感は、バクーニン、クロポトキンのアナーキズムに強くひかれた」(「老兵始末記」)と書いている▼浅羽は保守主義とアナーキズムの一致点を指摘している。「あらゆる権力は自己目的化し腐敗するという知的認識を、自らが仕切る権力だけには適応せず、マルクス主義国家のプロレタリア独裁権力だけは、いずれ死滅すると厚顔にも力説するダブル・スタンダード、欺瞞にして偽善…。あらゆる権力への不信を投げつけるアナーキストと、人間悪を冷徹に見据えて臆しない保守主義のシニズムが、これをいち早く見破ったのである」▼徹底したシニズムがあっての保守主義であり、それがすっぽりと抜け落ちているのは、単なるファッションだからだろう。暗い情念に突き動かされた経験がなければ、本当の保守主義者になるのは無理なのである。
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