草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

戦後いち早く日本派の結集を訴えたのは林房雄だ!

2014年04月18日 | 思想家

 私たちの先人は今日の事態を予想していたのである。林房雄の『大東亜戦争肯定論』を手に取って、それを確認することができた。林が生きていた頃、彼はナショナリズムを容認しながらも、日本国民に軽挙妄動を慎むことを呼びかけた。我慢をしろというのだ。しかし、そこでは「日本がアメリカに縛られて半身不随であり、ソ連に狙われている。中共は膨張主義に転化する恐れがある」といったことが指摘されていた。とくに警戒を呼びかけているのは、覇権を求めてくる中共に対してであった。また、林は日本の政界の現状をつぶさに観察して「現在の日本の思想界と政界は四分五裂の状態だ。最も強力なのは親米派であるが、親ソ派もまた多く、親中共派も急速に勢力を増しはじめた。非武装中立という空想派もあり、最も微力なのが親日派であるかのような奇観を呈している」と分析していた。昭和40年のことである。その構図はほぼ現在も変わっていない。違うところがあるとすれば、ようやく時が熟してきたことだ。「親日派」が徐々に増えてきていることだ。安倍政権に揺さぶりをかける力を持つにいたった。日本人であれば、間違ってもアメリカやロシア、中共の手先になるべきではない。林が期待したのは西尾幹二や江藤淳であった。息子の世代であっただけに、「日本の息子たちは『歴史の呼び声』を待っている。正確に勉強し、健康に成長しつつ、静かに待っている。息子たちは決して日本民族の歴史と父祖の理想と苦闘をうらぎらないであろう」とまで書いた。その親日派イコール日本派の流れがようやく日本を動かしつつあるのだ。

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韓国旅客船の悲惨な事故を他山の石とすべきだ!

2014年04月18日 | 国際問題

 沈没した韓国の旅客船はかつて日本で運航していた。鹿児島と沖縄を結ぶ定期フェリーとして活躍していたもので、平成24年に韓国側に売却され、昨年3月から再就航した。定期フェリーの時には一度も事故などを起こしたことはなかった。産経新聞によると、定員を804人から921人に、細分化された客室が大部屋に変えられたのだった。このためにバランスが悪くなるとともに、一挙に水が流れ込みやすくなったようだ。さらに、操船にも問題があったようだ。急に進路を変更した可能性が指摘されている。考えられないのは、船長や乗員が乗客を置いて、さっさと逃げ出したことだ。そこに使命感の欠如を見るのは私だけだろうか。命あっても物種であっても、乗客を避難させるために努力すれば、もっともっと尊い命が救われたのである。死者2名、不明者293名というのは、あまりにも悲惨過ぎる。韓国の日本への嫌がらせは目に余るものがある。しかし、いかなることがあったとしても、それは別なことであり、心から哀悼の意を表したい。そして、私たち日本人も他山の石とすべきだろう。経済合理性ばかり考慮すると、むやみやたらに定員を増やしたくなる。手間を省くのには大部屋にした方が楽である。そこに落とし穴があったのだ。乗務員の責任感も当然のごとく求められる。船と運命を共にする必要はないが、最善を尽くしたかどうかなのである。大事故をもたらすのは気の緩みである。緊張感を持ち続けなければ、人の命を預かることはできないのだ。それを肝に銘じなくては。

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