草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本が目指すべきは禁欲の精神を踏まえた協同社会だ!

2014年04月11日 | 思想家

 人が困っているときに手を差し伸べるのが保守である。助け合うことの大切さを自覚しているからだ。日本語で哲学を語った者たちとして、西田幾太郎を始めとする京都学派の著作に目を通すことができる。そのなかでも私がすぐに取り上げるのは、高山岩男である。小中学校の教師になろうとする若者に向って、懇切丁寧に説いた哲学は、私たちに考える材料を提供してくれる。とくに私が高山に魅了されるのは、助け合うことの意味を掘り下げた「協同主義の哲学」である。利益を追い求めるだけの結合社会ではなく、協同社会は「自己一身の私益を自ら制御する禁欲の精神を蔵している社会」である。禁欲を通った利益につて、高山は「単なる利益と言うものではなくて、福祉と言うべきものである」と定義する。そして、「福祉というときにはそこに既に道徳性が含まれている」と主張する。そこで持ち出されるのは、快楽と幸福との違いだ。「快楽の特徴はその反対の苦痛と共に、肉体的であり局所的であり、肉体が異なる以上は共感できないというところにある」のに対して、幸福はまったく別なのであり、「肉体的局所的のものではなく、他人と共感できるものである。幸福は家族全体が頒ち合うことができるし、不幸な民族全体がこれを味わい悲しむことができる。幸福はすなわち精神的なもの、協同的なものである」と解説している。その部分の文章だけでも、かなりの説得力がある。私たちが目指すべきは、結合社会ではなく協同社会なのである。

 

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私たちの子孫のために守り育てるべきは日本の国柄だ!

2014年04月11日 | 思想家

 なぜ日本派保守がサヨクや新自由主義と真っ向から対決するのか。それらの勢力は日本という国柄を否定するために、改革を至上命題としているからだ。日本派保守が改革そのものを拒否するわけではない。しかし、それは日本の国柄を守り育てるためでなければならない。今生きている者たちが、傲慢な決定を下すべきではないのである。そのことをとくに強調したのがエドモンド・バークであった。「国家や法を聖別するに当って則るべき第一重要の原理の一つは、それら国家や法を一時的乃至終身で所有している人々が、祖先から受け取ったものや本来子孫に属すべきものを忘れて、恰も自分達こそ完全な主人であるかの如く行為する、といったことがあってはならないということです。即ち、自らの社会の根源的な構造全体を恣意的に破壊し、それによって限嗣相続の制限を解除したり相続財産を浪費したりしても、それは自分達の権利の内なのだ、などと思わせてはならないということです。もしもそうしたことが行われれば、彼らは、後に続く者に対して、住まいとする所どころか廃墟を残すことになるでしょうし、彼らが自らの諸制度を殆ど尊重しなかったのと同じく、彼らの考案物もまた大した尊重しないように教えることになるでしょう」(『フランス革命の省察』・半澤孝麿訳)。人間の一生はたかだか知れている。にもかかわらず、その時々の風潮に流されて、尊い先人の知恵を顧みなくなれば、混乱をもたらすだけである。安倍政権が肝に銘じるべきはその一点であり、新自由主義とは距離を置くべきなのである。

 

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