草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

終戦の御製に昭和天皇の御遺徳を偲ぶ!

2014年04月28日 | 歴史

 明日は「昭和の日」である。昭和の御代には「天皇誕生日」として祝われた。昭和天皇が崩御されたことを受けて、一時は「みどりの日」と命名されていたが、平成19年からは「昭和の日」として祝日になった。昭和は国の年号としても最長を記録しただけでなく、欧米列強を敵にして戦争した激動の時代であった。昭和天皇は87年の生涯で、公にされただけで869首の御歌を御残しになられた。とくに注目されるべきは、昭和3年から昭和16年の米英との開戦の日まで、陛下が御作りになられた歌は、一貫して平和を念じてのものであったことだ。戦争を待望されておられたわけではなかった。それがストレートに表現されたのが、終戦のときの4首の御製であった。「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」「国柄をただ守らんといばら道すすむゆくともいくさとめけり」「外国と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただ祈るなり」。陛下の御心に導かれて、日本人は銃を捨てたのだ。四面楚歌になっていた我国は、決死の思いで大東亜戦争に突入した。一億火の玉となったのである。しかし、国民の窮状を目の当たりにされた陛下は「身はいかなるとも」と御聖談を下されたのである。さらに、その後陛下は戦後復興のために全国を御歩きになられ「戦のわざはひうけし国民をおもふ心いでたちて来ぬ」と御励ましになられたのであり、「昭和の日」とは昭和天皇の遺徳を偲ぶ日なのである。

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「反鎖国状態」から日本が脱するには自分の国は自分で護ることだ!

2014年04月28日 | 安全保障

 朝日新聞などは赤塚富士夫の漫画が使われている憲法の本まで持ち出して、お花畑の維持に必死になっている。そこまで頑固だと手の施しがない重病である。江藤淳がすごかったのは、昭和44年の段階で、平成の世の日本を予言していたことだ。宮沢喜一との対談「その次にくるもの」のなかで、日本は昭和20年8月15日の敗戦から「反鎖国状態に入っている」と指摘。そこで江藤は「ミズリー号が第二の黒船だとしても、ペリーの黒船とちがうところは、攻めて来たとたんにこちらを守りだしたということだと思います。アメリカの武力に守られている以上は、日本人は完全に国際的になりえないと少なくとも思っているわけですよね。アメリカの安全保障上の助力というものが全くなくなって世間の冷たい雨風にさらされてしまえば、私は突然わかるかもしれないと思うんです」と語った。そして、変化が顕在化する一つの目安して昭和50年頃を想定した。昭和50年頃を境にして、日本の自主防衛の声が高まってきた。そして、平成18年の北朝鮮による核実験、さらには、尖閣諸島をめぐって、中共が領有権を主張し出したのは昭和45年頃からである。それが一時的に棚上げされたこともあったが、ここにきて中共は軍事力で奪い取ろうとしている。「世間の冷たい雨風」にさらされる事態になって、日本人はようやく目覚めたのである。アメリカとの関係においても、一体ではなく隙間風があるというのも。国を守る気概を持てば、国際社会もそれなりに遇してくれるのであり、いよいよ日本人に決断のときが迫っているのである。

 

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