会津藩の子孫の願いは、自分たちの先祖の汚名をそそぐことであった。それなくして、死者を弔うことはできないからだ。それは苦難の歴史でもあったが、それを成し遂げたのである。その一途さは、会津人だけのものであろうか。大東亜戦争を戦い抜いた者たちの子や孫もまた、父祖たちの悔しい思いを忘れるべきではないだろう。戦争には負けたとしても、アメリカなどに一方的に断罪されるものではなかった。広島や長崎の原爆や、東京空襲などのように、無差別に無辜な民衆を殺戮するのを正当化するものではなかった。会津藩の子孫たちは、孝明天皇の死と「倒幕の密勅」に疑問を抱き、それを公然と口にした。どこで歴史の歯車が狂ったかを検証するなかで、それも問題視したのである。会津の郷土史家宮崎十三八は『会津人の書く戊辰戦争』において、あえて「私の曽祖父は戊辰戦争の敗戦で生涯苦しみ、その実弟二人は賊軍として非業の最期を遂げた。少なくともこの二つが確証された今、会津藩と私たちの祖先の名誉は何らかの形で回復されねばならない」と書いたのである。それと同じ気持ちに、平成の日本人はなってきているのではないだろうか。真珠湾攻撃が日本の奇襲ではなく、事前にアメリカが知っていたのは有名な話である。さらに、アメリカが戦争前から中国に肩入れしていたことも事実である。かつての会津人がそうであったように、平成の世の日本人は、父祖の汚名をそそぐべきなのである。
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