草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

詩人大木惇夫が疎開した浪江町にヒロシマと同じ死の灰が!

2011年04月19日 | 災害

 福島第一原発のトラブルで、避難指示と屋内退避の区域に含まれている浪江町は、詩人大木惇夫(明治28年~昭和52年)が疎開した地であり、そこで終戦を迎えたのである。県立自然公園の高瀬川渓谷には、彼の石碑が立っている。大木が生まれたのは広島市であり、昭和20年8月6日には原子爆弾が落とされた。そして、今回の福島第一原発の事故である。北原白秋の門下生で、風、光、土を好んで詩にしただけに、人の気配もない浪江町の惨状を目にしたならば、その場に倒れ伏したに違いない。大木が後世に名をとどめることになったのは「戦友別盃の歌」によってであった。「言ふなかれ、君よわかれを」で始まるその詩は、大東亜戦争がアジア解放の戦争であったことを教えてくれる。しかし、その一方で大木は、昭和47年に世に出た「土の歌」を作詩し、悲惨な目に遭った広島への思いを詩に綴った。とくに第三章の「死の灰」では「文明の不安よ 人知の愚かさよ 科学の恥辱よ」 「ヒロシマのまた長崎の 地の下に泣く いけにえの霊を偲べば」というように、地の底からの人間の叫びを詩にした。そして今、浪江町がヒロシマと同じような運命に翻弄されている。大木の愛した日本が、音を立てて崩れ落ちようとしているのである。  

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原発のトラブルで福島県は破局を迎えているのではないか?

2011年04月19日 | 災害

 この国には今、嫌な空気がたちこめている。本当のことを口にすれば、福島県が破局を迎えていることを認めてしまう。それが恐いから、ついつい言葉を選んでしまってはいないか。このままでは浜通りだけでなく、福島市や郡山市のある中通りまでも、住むことが難しくなるのではないか。福島第一原発からの放射能漏れが続いていることで、事態は日に日に深刻になっている。誰もそのことを言わず、今日の生活が明日も続くかのように振舞っている。福島県東部といわれるそれらの地域に住む人の数は、約180万人にも達する。その人たちが、学校に通い、職場に出かけ、いつもの通りの生活をしているのだ。それによって、健康被害が出てくる可能性があるのに、そうした現実を直視することなく、政府や東電の発表を信じているのである。ここまできたならば、危機であるのか、それとも破局であるのか、白黒をつけるべきだろう。危機であれば、人間の英知で局面を打開することもできる。しかし、破局であれば、その場から逃げ出すしかないのである。民主党政権はその点をはっきりさせるべきだ。福島県民を大移動させて、一人でも多くの命を救うのが、政治の責任なわけだから。

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