草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

人命軽視の菅政権が避難決定で飯舘村に丸投げ

2011年04月06日 | 災害

 菅直人首相や枝野幸男官房長官は、人間の命をどれだけ軽んじるつもりなのだろう。飯舘村では、国が責任を放棄した無政府状態に業を煮やして、妊婦や乳児を村外に出すことを決定したのだという。小さな村に丸投げするというのは、とんでもないことである。さらに、あろうことか、枝野は、住民の被曝限度量を引き上げようとしている。年間一ミリシーベルトを超えるのは明らかになってきたので、それを大幅に引き上げようというのだから、常軌を逸している。枝野は東京になどいないで、飯舘村に常駐して、自分の身体をモルモットにすればよいのである。自分は安全な所にいて、国民を危険にさらしても平気だという根性が気に食わない。菅も枝野も自分たちの立場の維持ばかりを考えているせいか、本当のことを口にした原子力安全保安員の中村幸一郎審議官を更迭したともいわれる。福島第一原発一号機の炉心のなかの燃料が溶けていることに言及したのが、癪に障ったようだ。隠蔽工作ばかりしている菅と枝野は、指導者としては最悪の部類に属する。今か今かと飯舘村は国や県の動きを待っていたが、先延ばしされるだけなので、村としての苦渋の選択をしたのである。こんなデタラメな政権が許されてよいわけがない。

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大津波の危険性を説いておられた地理学者山口弥一郎先生

2011年04月06日 | 思想家

 今回の東日本大震災の大津波は千年に一回のことであるといわれるが、それをもっとも恐れていたのは、亜細亜大学、創価大学で教鞭をとられ、地理、民俗学者であった、故山口弥一郎先生である。山口先生は三陸海岸が津波の常習地帯であることを重視して、絶対防災のための集落の移転を訴えていた。東北日本の東側に太平洋底に、日本海溝があり、それに沿うプレートが西漸して、日本列島の下にもぐるこみつつあり、それが原因で地震が起き、津波が発生することが裏付けられている。それだけに、山口先生は「三陸海岸の津波災害地域には、絶対に集落を再建させないように」と主張していた。しかし、そこは同時に漁村地帯であり、海岸から離れて住むことに抵抗感を持つ人が多かった。このために、晩年になって釜石を訪れた山口先生は、住宅がかつての罹災地に充満しているのに危機感を抱いていた。私は度々会津若松市山鹿町、東北地方農村生活研究所を訪ね、山口先生からじかに話を聞くことができた。とくに嘆いておられたのは、津波の経験者がいなくなると、悲惨は事実が風化してしまうということであった。いかに想定外のことであっても、それを予言した人がいたことを、私たちは忘れるべきではないだろう。山口先生の助言に従わなかったことは、天災ではなく、人災であるわけだから。

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