やることなすこと頼りにならない民主党政権は、渋々ながら福島第一原発のトラブルを処理するのに、時間がかかることを認めるようになった。放射能漏れがあったとしても、それが短期間であれば問題は少ないだろうが、それが長引けば深刻な影響があるはずだ。避難指示の出ている福島第一原発から20キロ圏内でも、アメリカに言われてようやく放射能を測定するようになった。ここまでくれば頬かむりができなくなってきたのである。今日、福島県に民主党の岡田克也幹事長が入ったようだが、そこでの発言も、福島県民を見くびってはいないか。一兆円の金が捻出できるから、それで対策費にあてたい、と述べたのだそうだ。そんなことよりも、福島県民は、まずは放射能漏れを止めて欲しいのである。それが解決しなければ、全てが始まらないからだ。さらに腹に据えかねるのは、岡田幹事長がトマトを食べたことだ。それこそ出荷停止になったホウレンソウをなぜ食べなかったのだろう。風評被害に遭っているからというので、わざわざトマトを選んだそうだが、ホウレンソウを食べても問題ないとか言っていたくせに、それも嘘だったのだろうか。民主党政権のやっていることは、あまりにもいい加減過ぎる。
今の日本は戦争をしているのと同じである。シビリアンで物事を進められれうほど甘くはない。民主党と自民党との大連立の話が持ち上がっているが、そんなことに時間を割いてはいられないのだ。とくに政治は最悪のことを想定して、それへの備えをしなければならない。菅直人首相は国家安全保障会議を招集し、警察、自衛隊を中心にしたスタッフを動員して、米軍と連携をとりながら、福島第一原発のトラブルを収束させるべきなのである。ことここにいたっては、シビリアンコントロールというきれいごとではすまなくなっている。事態が一刻の猶予も遅延も許されないほどに急迫しており、民主的な方法にこだわっていられないのである。まかり間違えば、日本全体が放射能汚染にさらされる危険性すらあるからだ。政治的な天才であったローマ人は、そうした状況下では独裁官を選出し、既成の法律に縛られない権限を与えた。そして、国民は独裁官を一致協力して支えることになっていた。菅首相がすぐにでもできることは、自衛隊の統合幕僚長をトップとした組織をつくり、大きな権限を与えることである。自衛隊の制服組を顎で使うのではなく、彼らに危機突破の主役になってもらうのだ。危機感なきシビリアンでは、もはやこの国を救う力量はないからだ。