2022/4/8放送
「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
私たちは自分の弱さを認めることがなかなかできませんね。最後の晩餐の後、十字架に向かうキリストは、弟子たちが失望しキリストから離れつまずく、と語りました。この後起こることも自分の弱さも知らないペテロは「皆がつまずいても、私はつまずきません。」と語ります。しかし主は、ペテロが三度、キリストを否定すると預言するのです。ペテロはなお「ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と豪語し、他の弟子たちも同じように語りますが、彼らはまだ自分たちの愚かさを知らなかったのです。
弟子たちの弱さも愚かさも、この後起こるすべてをご存じのキリストは、オリーブ山にあるゲッセマネの園で祈りました。それは悲しみのあまり死ぬほどの苦しみを伴う祈りでした。
キリストはこう祈ったのです。
「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
新約聖書 マルコの福音書 14章36節
この「杯」とはキリストの十字架のことを示していました。神の御子キリストは、私たちすべての罪の裁きを身代わりに受け、父なる神から完全に見捨てられるという壮絶な苦しみを受けるために、この地上に来てくださったのです。その苦しみは、私たちの思いをはるかに超える、耐えられないほどの苦しみでした。キリストはその苦しみをすべて味わいつくし受けとめるべく、神が望まれることが行われるように、と自らを神にゆだねられたのです。
キリストは、この苦しみの祈りをともにしてほしい、と弟子たちに願っていましたが、皆眠ってしまっていました。キリストは深い孤独をも味わい尽くされ、真っ直ぐに十字架に向かってくださったのです。
キリストはあなたの弱さも愚かさもすべてご存じで、あなたを愛し、あなたの罪の赦しの道をあの十字架の上で開かれました。しかし、どれほどの孤独と苦しみをイエス・キリストが味わい尽くしてくださったことでしょうか。
そのことに心を留め、自分の弱さや愚かさ、罪と向かい合い、罪を告白する者でありたいと心から願います。
( PBA制作「世の光」 2022.4.8放送でのお話しより )
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