goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■愛が目覚めたいと思うときまで / 福井 誠

2017年01月26日 | Weblog
2017/1/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「愛が目覚めたいと思うときまで」です。それでは雅歌の3章5節から読んでみましょう。

 「エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。

 今日は雅歌を取り上げます。雅歌は端的に言えば恋愛詩です。しかし聖書のこの恋愛詩は世俗的なものではなく、むしろ神と人の愛の関係を歌うものとして読まれてきました。
 少し全体の流れが分からないと雅歌は構成が複雑で理解しにくいところがありますねえ。いろいろな説がありますが、私は登場人物は主として二人、ソロモンとシュラムの女で、そこに合唱隊としてのエルサレムの娘たちが加わって進む歌劇の台本と理解すれば読みやすいと思っています。そして繰り返し出て来るフレーズがありますね。今日読んだフレーズ、「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。」(2章7節、3章5節、8章4節)がそれで、恋愛感情を抑えながら二人の愛の成就を導くようにストーリーの塊を展開させていく極めて重要なフレーズです。

 そしてこの3章は心のすれ違った二人がお互いに必要を認め、関係が深められ、最後に婚姻へと導かれ、二人の愛が実を結ぶ場面ですね。

 ここから何を学んでいくのか。先程も言いましたように、単なる世俗の恋愛詩ではなく、やはり私たちと神の愛について語っているものであるとすれば、ここでシュラムの女の姿に重ねて、私たちを愛される神を積極的に探し出していく、求めていくことが勧められていると言えるでしょう。

 神はいつでも私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられるのですが、私たちはなかなかその愛の尊さを理解できず、自らそれを探し求めることもなかったりします。愛は一方通行ではありません。相互に求め合い、満たし合うものです。そして求め合う時に更にその深さが分るものでしょう。神の私たちに対する愛も同じです。神を信じるというのは、信者になること以上のものです。神は私たちを愛の対象として考えておられます。私たちは神に愛され神を愛することができるのです。ぜひ聖書を読み続けて神の愛の深さを知り、神を愛することを学んでいただきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.1.26放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする