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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のみわざであることが分かる / 福井 誠

2017年01月19日 | Weblog
2017/1/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神のみわざであることが分かる」です。それでは伝道者の書8章16節、17節から読んでみましょう。

 「私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行なわれる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。

  どうでしょうか、自分自身の人生を振り返って、今の自分だったらあんな風にはしなかったし、ならなかっただろう、そんなふうに思うことはありませんか? どうも知恵がなかったというか人間として未熟だったというか、そういうことがあるものですね。そういう意味で、伝道者の書は知恵を求めること、知恵あることを良しとしています。

 でも単純に知恵礼賛というわけではないのですね。もっと複雑に人生を捉えていますねえ。というのも、今日取り上げた伝道者の書8章の後半は、人生には知恵も思慮深さも役に立たない不条理性があることを認めています。人間の知恵と思慮深さを欺くような実に虚しい現実が社会にはあります。著者は言います。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある(、と)。何と真面目に生きることがバカバカしいと思うことがあるものです。

 しかし伝道者は既に、あれもこれも神のなさること、と語っていますし(参照 伝道者の書 7章14節)、ここでも「すべては神のみわざである」と繰り返します。どんなに物事が不条理に動いているように見えようともそれで終わることはない。時があるのだ。神が正しくすべてのことを導いてくださる時が来る、というのが著者の確信です。

 人には限界があり、物事を見通せないからこそ物事を不条理に感じている部分もあります。「人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。」 物事にはそんなところがありますねえ。だから不条理と思われる事柄があっても、そこで腐ってしまうのではなくて、むしろ謙虚に神の働きを信頼しつつ、なすべきことをなす歩みをさせていただきたいものです。

 神は信頼に値するお方です。ぜひ教会へ行って、聖書の話に耳を傾けていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2017.1.19放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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■悪人の天幕から離れよ / 板倉邦雄

2017年01月18日 | Weblog
207/1/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「悪人の天幕から離れよ」という題でお話ししましょう。

 目の不自由だった私の母は私たち兄弟三人が遊びに行く時、必ずこう言いました。「悪い人が近づいて来たら、黙って逃げるんですよ。」 

 さて、民数記16章の続きです。ところで指導者モーセと祭司アロンに逆らったコラというレビ族出身の人がいましたねえ。その首謀者コラと手を組んだのがルベン族のダタンとアブラムの二人でした。モーセは立ってダタンとアビラムのもとにイスラエルの長老たちと一緒に出かけました。二人の天幕の周りには会衆が集まっていました。モーセは全会衆に向かって言いました。「どうぞあなたがたはこれら悪い人々の天幕を離れてください。彼らの物には何も触れてはなりません。彼らの様々な罪悪によってあなたがたも滅ぼされてはいけないからです。」

 新約聖書にも次のように勧められています。
  「だから、『彼ら(悪人)の間から出て行き、彼らと分離せよ、・・・』」(2コリント6章17節 口語訳聖書)
  「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。」(ヨハネの黙示録18章4節 口語訳聖書)
 コリント人への第二の手紙の6章の17節と黙示録の18章の4節です。

 そこで人々はコラとダタンとアビラム3人の住まいである天幕の周囲から離れ去って行きました。一方、反逆者ダタンとアビラムとは妻や子どもたち幼児と一緒に出てきて自分の天幕の入口に立ったのです。モーセはこれから起こることを反逆者や人々に語りかけました。「これから起こることは主なる神様がなさる事で、自分の心に従って行う者ではないことを次のことによって証明しよう。これらの反逆者たちが普通の死に方で死ぬなら主なる神様が私を遣わしたのではありません。しかし、主なる神様が、地面が口を開いて反逆者たちとそれに所属する人たちをことごとく飲み尽くし生きたまま陰府(よみ)に下らせたならば、あなたがたはこれら反逆者たちが主なる神様を侮辱したのであることを知らなければなりません。」
 
 さて、この続きは来週です。

  (PBA制作「世の光」2017.1.18放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■星に導かれて-7 / 大嶋重徳

2017年01月17日 | Weblog
2017/1/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきて博士たちの物語が記されています。しかしやっとたどり着いたエルサレムには誰もメシヤを待ち望む信仰者がいませんでした。

 しかし博士たちを導いてきた星の輝きはメシヤの所にまで彼らを導き、「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」(マタイ 2章11節)とあります。ベツレヘムの家畜小屋で、汚く動物たちのよだれのついた飼葉おけで寝かせられたキリストでした。何の力もない赤ちゃんの姿でおられたキリストは、人間の持つ根源的な弱さと人間の悪意と罪に取り囲まれながら生まれたのです。そこはエルサレムにあるヘロデ王の建てたとてつもなく美しい神殿とは対極にある場所でした。

 そこで博士たちが出会ったのは、素朴な貧しい信仰者の姿でした。「あなたはメシヤを産むよ」と天使に語りかけられた時、「おことばどおりこの身になりますように。」(ルカ 1章38節)と信仰を持って受け止めた貧しい夫婦の姿がありました。「おことばどおり」と聖書のことばに従い続ける小さな女性の信仰が目の前にあったのです。ここにはヘロデの時代の価値感に生きてはいない自由があったのです。

 そしてこの時、博士たちは知ったのです。ヘロデ王のような強大な権力を手にする所に神の救いがあるのでなく、貧しく痛みと悲しみのただ中で生まれ、神は弱さのただ中にともににいてくださる。この救い主にこそ世界の救いがあるのだと気が付いたのです。

 博士たちはその幼子を見た時に彼らはひれ伏して拝んだとあります。礼拝したのです。そして彼らは宝の箱をあけて黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。この黄金、乳香、没薬とはペルシャ地方の占いで用いるものであったと言われています。星占いを生業(なりわい)としていた博士たちの生活に必要な手段でした。しかしここで彼らは今まで自分を支配してきたものからも決別したのです。人生にとって本当に大切なもののために生きることを選びとったのです。

 今日、私たちが大切にしているものはいったい何でしょうか。本当に大切なものは美しく強いところにはないのかもしれませ。そうでなく、あなたのそばにいてくださる神様こそ、あなたの大切なものなのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.17放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■主こそ、私の受ける分 / 関根弘興

2017年01月16日 | Weblog
2017/1/16放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 まず聖書のことばをお伝えいたしましょう。
 旧約聖書の哀歌3章22節から24節のことばです。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。 主こそ、私の受ける分です。』

 この哀歌は自分の国が滅ぼされてしまうという絶望的な状況の中で書かれたものです。恵みも憐れみもあったものではない、と言い出してもおかしくないような状況ですよね。しかしこの作者は、人からみたら絶望と思える状況であっても、主の恵みと憐れみは尽きることがないと告白しているんです。

 そして何と「主こそ、私の受ける分です。」とも告白しているんです。このことばはとても不思議なことばですよね。昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時でした。モーセによってエジプトから脱出することができたんです。でも荒野で40年間さまよっていました。その後、約束の地に入ることができたんです。そしてそれぞれの部族がどこにするかという割当地が定められていきました。しかし主の宮で奉仕する祭司たちやレビ人たちには割当地が与えられませんでした。神様は彼らに、「わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」(民数記 18章20節)と言われたんですね。神様が割当地であり相続地であるというんです。この哀歌の記者は、このことを思い出したのでしょう、「主こそ、私の受ける分です。」と告白したんです。

 考えてください。今自分の国がバビロニア帝国によって滅ぼされ、すべてを失ってしまいました。しかし、この哀歌の記者は、決して失われることのない誰にも奪われることのない割当地があるではないか、ということを知ったんです。それは主ご自身が神様ご自身が私の受ける分だ、ということなんですねえ。天地を造られた偉大な神様ご自身が私の受けるべき相続財産だ、というとてつもない大胆な告白です。

 この地上の所有地は失われることがあるかもしれません。でも私には決して失われることない神様ご自身の中に生きていけるのだ、という訳です。私たちはいろんなものを失います。でも知ってください。「主こそ、私の受ける分です。」と告白し生きる、そんな幸いな人生があるんです。ですから神様を信頼し歩んで行きましょう。

 (PBA制作「世の光」2017.1.16放送でのお話しより)

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■神の民の組織作り / 羽鳥頼和

2017年01月14日 | Weblog
2017/1/14放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の申命記の1章からお話しします。

 申命記はモーセを通してイスラエルの人々に語られた神からのメッセージが記されています。まずイスラエルの歴史を振り返っています。1章はホレブの山すなわちシナイ山の麓での出来事が語られています。その時、イスラエルの民は多くなり、もめ事が多くなっていました。モーセはそれを自分一人で負うことはできないので、部族ごとに知恵があり、悟りあり、経験のある人を選んで、頭に任命し、人々がまずその頭に相談するようにさせました。人が共同で行動する時に必ずもめ事、問題が起こります。それに対する正しい対応ができるように組織作りが行われました。

 モーセは頭として立つ人々にこのようにアドバイスしています。
 「さばきをする時、人を偏って見てはならない。身分の低い人にも高い人にも皆同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとって難しすぎることは私の所に持ってきなさい。私がそれを聞こう。」

 相談事を受けたら、偏見を持たずにきちんとその人たちの話を聞きなさい、というのです。そして人を恐れてはいけない、というのです。これは人によって判断を変えてはいけない、正しい判断をしなさい、ということです。大切なことは、さばきは神のものであるということです。人を見て、あるいは自分勝手な思惑で判断をしてはいけないのです。正しい判断を神に代わって行うのです。ですから、難しい事は神の御心を知ることのできるモーセの所に持ってきなさい、というのです。モーセは頭・リーダーを立てて組織作りをしました。それは一般の組織作りとは違っていました。そこで一番大切だったのは、主権者である神の存在でした。主権者である神のもとにすべての人がいて、神の意思がすべての人に及ぶために組織が作られたのです。

 今のキリスト教会も同じです。神のもとに集められた人々が共に神の意思を知り、神の意思が実現することを期待しているのです。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.1.14放送でのお話より )
 
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■ヨセフの見た夢 / 岩井基雄

2017年01月13日 | Weblog
2017/1/13放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。昨年の第二週の金曜日は旧約聖書に登場するヤコブについて学んできましたが、今年はヤコブの子ども、特にヨセフの生涯から学びたいと願っています。

 ヤコブには12人の息子がいましたが、その中でも愛する妻ラケルの子どもヨセフとベニヤミンを特に大切にしていました。その偏った愛は他の兄弟たちの心を傷つけたのです。ヨセフを妬む兄たちにも問題がなかった訳ではありません。しかし、その兄たちの悪い噂を父に告げ口することもあったヨセフへの憎しみは兄たちの中で更に増し加わっていったのです。そんな中、ヨセフは兄たちや両親までもが自分を崇めるという夢を見ます。それを心の内にしまっておことできなかったヨセフは、あさはかにもその夢の事を彼らに告げてしまいます。その時のことを聖書はこう語っています。

 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。
 「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

    旧約聖書 創世記37章10節、11節

 なぜ神はこのように未成熟で思慮に欠けていたヨセフに夢を通して、彼が兄弟や親から崇められるようなこと、そのような夢を見させられたのでしょうか。神様の選びは本当に不思議です。しかし神様は欠けの多い者を敢えて選び、様々な試練の中で訓練し、整え、神様の憐れみの器としてお用いになることができるのです。

 父ヤコブは、その神様の恵みをよく分かっていたからでしょうか、ヨセフが見た夢のことを心に留めるのです。そしてこの後、ヨセフだけではなく兄たちも神の御手の中で整えられていきます。彼は人の思いを越えた神の恵みの御手を先に教えられていたからではないでしょうか。

 聖書のことば
 「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
     新約聖書 コリント第一の手紙1章27節

 自分の弱さを認め、神様の恵みにより、へりくだった心で歩ませていただきましょう。
   (PBA制作「世の光」2017.1.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■空の空、すべては空 / 福井 誠

2017年01月12日 | Weblog
2017/1/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「空の空、すべては空」です。それでは伝道者の書1章2節、3節から読んでみましょう。

 「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
  日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。


 今日から旧約聖書の伝道者の書に入りますねえ。皆さんも毎日聖書読んでおられるでしょうか。ぜひ毎日聖書を読み続けてみてください。三度の食事が健康な体を造るように、毎日聖書を読むことは私たちの心を健全にし、また強いものにしますねえ。

 さて今日は、伝道者の書。昔はイスラエルの王様ソロモンが作った物と言われていました。しかし、今ではその可能性は否定できないけれど著者は不明とされています。そしてこの書は開口一番に「空の空。すべては空。」と、人生の虚しさを語っていますね。何だかネガティブなものの見方だなあ、そんなに悲観的に人生を見なくても良いのに、暗いなあ、人生はもっと楽しいものだと思われる人もいることでしょうねえ。著者は言います。「日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」(1章3節) 「益」と訳されたことばはヘブルでイィツローン、会計上決算を出した時の剰余金を意味しますねえ。つまり著者は、この世での労苦には投資に見合った見返りが無い、と言っているのです。

 確かに考えてみてください。人は自ら身を削ってさんざん苦労し築き上げてきたものを何も手に持ち帰る事はできないのです。寿命の時が来たらこれまでの苦労の結果である財産を一切合切この地上に残さなければなりません。そしてそんな苦労も知らない者に後を継いでいかなければならないのです。これは実に虚しさの極地ですね。

 こう言われてみると、この著者もただ暗いのではなくて、なかなか人生の真理を突いているなあと思えてきませんか? そういう意味では、人は何も考えずに世の中に先導されるまま流されるままに感覚的に生きていることが多いのかもしれませんねえ。

 そこで改めて自分の人生を考えてみたいものです。本当に大切にすべきことは何なのか、よくよく自分の頭で考え抜いてみたいですね。そのためにも、ぜひこの著者が語る人生論に耳を傾けるだけではなく、聖書全体を学ぶためにお近くの教会にも尋ねていただきたいと思っています。

(PBA制作「世の光」2017.1.12放送でのお話より )

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■悪人から離れよ / 板倉邦雄

2017年01月11日 | Weblog
207/1/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「悪人から離れよ」という題でお話ししましょう。

 子供の頃、「不良仲間に入るな」と父親から言われていました。しかし中学生の頃になると自分が不良になっていました。高校三年生の時、主イエス様と出会って自分から回心したので助かりましたねえ。

 民数記の続きです。さて、頑固に謀反を改めないコラと仲間たちに、モーセは宣告を下しました。「あなたと仲間、そして250人は、みな大祭司アロンと一緒に明日、主なる神様の前に出なさい。」 次の日、コラとダタンとアビラム、そして250人の反乱分子たちは一人ひとり火皿を取り火をその中に入れ、それに薫香を盛り、モーセとアロンと共に神様の幕屋の入口に立ちました。その時、首謀者コラはイスラエルの全会衆を神の幕屋の入口に集めていたのです。モーセとアロンの二人に反逆させようと企てていました。

 その時です。神の幕屋を雲が覆いました。神の幕屋から主なる神様の栄光が全会衆に現れたのです。そして主なる神様はモーセとアロンに言われました。「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしは直ちに人々を滅ぼし尽くすであろう。」 二人は平伏して祈りました。「神様、すべて生きている者のいのちの神よ。この一人の人コラが反逆の罪を犯したからといってあなたは全会衆に対して怒られるのですか?」

 すると主なる神様は祈りに応えて二人に言われました。「あなたは会衆に告げなさい。レビ部族の謀反人コラとルベン部族の反乱分子ダタンとアブラム兄弟の住まいの周囲を離れ去れ。」

 モーセは立ってダタンとアビラム兄弟の元へ行きました。そこに集まってる人々に神様からの警告を語りました。
 「皆さん、悪人の住まいから離れてください。彼らの物には何にも触れてはなりません。彼らの数々の罪と悪によってあなたがたも巻き添えになって殺されてはいけないからです。」

 悪人から離れる。これこそ私たちは神によって守られる法則です。
 
  (PBA制作「世の光」2017.1.11放送でのお話より )

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■星に導かれて -6 / 大嶋重徳

2017年01月10日 | Weblog
2017/1/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
昨年から続きのクリスマスの物語をお話しします。

 聖書にはイエス・キリストの誕生の際に東の方からやってきて博士たちの物語が記されています。しかし彼らを持っていたのは誰もメシヤを待ち望んでいない信仰者たちの姿でした。

 恐らく博士たちはとても失望したでしょう。しかしそんな場所でも星は輝いていました。聖書にはこうあります。
 「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」(マタイ 2章10節)

 このことばは「大いなる喜びをひたすら喜んだ」という意味です。「喜びが爆発した」と言って良い意味のことばです。

 マタイの福音書で唯一クリスマスに「喜び」ということばが出て来るのはここだけです。実はマタイの福音書で描かれるクリスマスは暗いシーンばかりです。よくクリスマスで見かけるロマンチックな光景などどこにもなく、ヘロデ王の悪意と、2才以下の赤ちゃんが皆殺しにされるという暗く恐ろしい話ばかりです。しかし「見よ」と星の輝きを見た時、彼らに喜びの爆発が起こったのです。博士たちは、この人生を懸けた旅は無駄ではなかった、やはり救い主はこの地上に生まれたのだ、と思った時本当に嬉しかったのです。

 今日、私たちにも「この星を見よ」と聖書のことばは語ります。たとえ昨年一年間、もしこのラジオをお聴きのあなたが悲しみの中を歩いていたとしても、自分のしてきたことを誰も誉めてくれず、無駄だったんじゃないかと後悔していたとしても、この星はあなたなたの上に今日も輝くのです。またあなたがどれだけ至らないクリスチャン生活であったとしても、この星はあなたの上に輝くことをやめません。そしてこの星の輝きをもたらす神様はあなたのしてきたことをすべて目に留めて、あなたのなしたことを何一つ無駄に終わらせたりはしないのです。あなたを導く星の輝きはイエス様のもとへと連れて行くことをやめないのです。

 博士たちの心は喜びで震えました。人間の思いを越えたものが輝いている。彼らは喜びに包まれました。

 クリスマスのテーマは「喜び」です。この「喜びの爆発」があなたの人生の中にも起こる、と聖書は語ります。あなたが救い主を尋ね求め、あなたがキリストに従って歩み続けるとき、その人生は決して無駄に終わることなく喜びで満ち溢れることとなるのです。この喜びの人生をぜひ受け取っていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.1.10放送でのお話しより )

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■主の真実 / 関根弘興

2017年01月09日 | Weblog
2017/1/9放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばをお届けいたしましょう。
 旧約聖書の哀歌3章22節から23節
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。』」(哀歌 3章22、23節)

 この聖書の哀歌の中にあることばですが、この作者は目の前の現実が絶望的に見えても主の恵みは憐れみは尽きないのだ、と記しました。そして何と、「主の真実は力強い」とも記しているんですねえ。

 私たちは困難や試練に襲われると、主の恵みも憐れみもあるものか、と時には投げやりになってしまうことがあります。しかしこの作者は、主は私たちが困難の中であってもいつも真実であり誠実なのだ、と書いているんです。

 新約聖書中でパウロは、テモテに宛た手紙の中で、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」(2テモテ 2章13節) このように記しているんですね。確かに私たちの真実は時にはいい加減な時があります。しかし神様は、いつもどんな時にも真実であり、誠実なお方だと聖書は教えます。

 私たちはどうして神様を信じ生きることを選ぶのでしょう。それは神様が真実な方だからです。誰かを信じそして信頼していくとき、その人がもし嘘偽りだらけだと分かったらあなたはそんな方を信じますか? いやいやそんな方を信じていたら大きなショックを受けるでしょうね。でも私たちの神様は「いつも真実だ」というんです。それも「主の真実は力強い」と書かれているんですねえ。どんなことがあっても信頼に足るお方だ、というんです。
 新約聖書のペテロの手紙の中にはこう書かれています。
 「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」(1ペテロ 4章19節)と記しているんです。

 力強い真実な方に人生を任せて生きることができる。これは何と幸いなことことでしょう。問題を自分一人で背負い生きるのではなくて、困難にただ嘆くだけでも無く、あなたの悲しみを知り慰め励ましを与えてくださる神様に委ね、この一年を歩んで行きましょう
 (PBA制作「世の光」2017.1.9放送でのお話しより)

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