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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主こそ、私の受ける分 / 関根弘興

2017年01月16日 | Weblog
2017/1/16放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 まず聖書のことばをお伝えいたしましょう。
 旧約聖書の哀歌3章22節から24節のことばです。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。 主こそ、私の受ける分です。』

 この哀歌は自分の国が滅ぼされてしまうという絶望的な状況の中で書かれたものです。恵みも憐れみもあったものではない、と言い出してもおかしくないような状況ですよね。しかしこの作者は、人からみたら絶望と思える状況であっても、主の恵みと憐れみは尽きることがないと告白しているんです。

 そして何と「主こそ、私の受ける分です。」とも告白しているんです。このことばはとても不思議なことばですよね。昔イスラエルの民がエジプトで奴隷生活を強いられていた時でした。モーセによってエジプトから脱出することができたんです。でも荒野で40年間さまよっていました。その後、約束の地に入ることができたんです。そしてそれぞれの部族がどこにするかという割当地が定められていきました。しかし主の宮で奉仕する祭司たちやレビ人たちには割当地が与えられませんでした。神様は彼らに、「わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」(民数記 18章20節)と言われたんですね。神様が割当地であり相続地であるというんです。この哀歌の記者は、このことを思い出したのでしょう、「主こそ、私の受ける分です。」と告白したんです。

 考えてください。今自分の国がバビロニア帝国によって滅ぼされ、すべてを失ってしまいました。しかし、この哀歌の記者は、決して失われることのない誰にも奪われることのない割当地があるではないか、ということを知ったんです。それは主ご自身が神様ご自身が私の受ける分だ、ということなんですねえ。天地を造られた偉大な神様ご自身が私の受けるべき相続財産だ、というとてつもない大胆な告白です。

 この地上の所有地は失われることがあるかもしれません。でも私には決して失われることない神様ご自身の中に生きていけるのだ、という訳です。私たちはいろんなものを失います。でも知ってください。「主こそ、私の受ける分です。」と告白し生きる、そんな幸いな人生があるんです。ですから神様を信頼し歩んで行きましょう。

 (PBA制作「世の光」2017.1.16放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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