2017/1/30放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
聖書の世界というのは神様がどのような方かをはっきりと教えているんです。聖書の書き出しは、「初めに、神が天と地を創造した。」、この一文をもって始まります。
ちょうど新聞の大見出しのようなものですね。この世界を創造された神様がまず紹介されるわけです。
そしてこの一文によって分ることが二つあります。
一つは、聖書の神様はすべてを造られたのだから、すべてのことを一番よく知っているということです。そして二つ目は、私たち一人ひとりは神様によって造られた者。だから造られた者としての大切な意味と目的があるということ。これが分るわけですね。そして聖書を読んで行きますと、聖書は神様は愛であると教えるんです。つまり神様に愛される者として生きるということが私たち一人ひとりの目的でもあるということを教えるんですねえ。
聖書にこう書かれています。
第一ヨハネ4章9節
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
実は神様の愛が私たちにはっきりと分る形で表わされたのは、イエス・キリストを通してなんです、と聖書は教えます。ご承知の通りイエス・キリストは十字架について死なれました。でもイエス・キリストは十字架につけられるような罪を犯した訳ではありません。でも十字架によって愛が示されたということは、その十字架が私たちにとって特別な意味があるということでもあるわけですよね。
私たちは皆自分の姿を見たら、正しい神様の前に立つことのできる人など誰もいないと思います。聖書は、「罪から来る報酬は死である」(ローマ6章23節参照)と書かれていますから。ですから本来私たちは、自分の罪のゆえにみな十字架につけられても仕方のない、神様の前ではみな罪人の一人です。でも、愛はいつも生かし、生きることを願うんです。イエス様が私たちの罪とその罰を、すべてを身代わりに引き受けてくださったんです。それはあなたが罪が赦され生きるための壮絶な出来事でした。そればかりかイエス様は三日目に復活され、今も生きておられるんです。このイエス様によって私たちは愛されていることを知り、今も生きておられるこのキリストと共に歩むことができるんですね。
(PBA制作「世の光」2017.1.30放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
聖書の世界というのは神様がどのような方かをはっきりと教えているんです。聖書の書き出しは、「初めに、神が天と地を創造した。」、この一文をもって始まります。
ちょうど新聞の大見出しのようなものですね。この世界を創造された神様がまず紹介されるわけです。
そしてこの一文によって分ることが二つあります。
一つは、聖書の神様はすべてを造られたのだから、すべてのことを一番よく知っているということです。そして二つ目は、私たち一人ひとりは神様によって造られた者。だから造られた者としての大切な意味と目的があるということ。これが分るわけですね。そして聖書を読んで行きますと、聖書は神様は愛であると教えるんです。つまり神様に愛される者として生きるということが私たち一人ひとりの目的でもあるということを教えるんですねえ。
聖書にこう書かれています。
第一ヨハネ4章9節
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
実は神様の愛が私たちにはっきりと分る形で表わされたのは、イエス・キリストを通してなんです、と聖書は教えます。ご承知の通りイエス・キリストは十字架について死なれました。でもイエス・キリストは十字架につけられるような罪を犯した訳ではありません。でも十字架によって愛が示されたということは、その十字架が私たちにとって特別な意味があるということでもあるわけですよね。
私たちは皆自分の姿を見たら、正しい神様の前に立つことのできる人など誰もいないと思います。聖書は、「罪から来る報酬は死である」(ローマ6章23節参照)と書かれていますから。ですから本来私たちは、自分の罪のゆえにみな十字架につけられても仕方のない、神様の前ではみな罪人の一人です。でも、愛はいつも生かし、生きることを願うんです。イエス様が私たちの罪とその罰を、すべてを身代わりに引き受けてくださったんです。それはあなたが罪が赦され生きるための壮絶な出来事でした。そればかりかイエス様は三日目に復活され、今も生きておられるんです。このイエス様によって私たちは愛されていることを知り、今も生きておられるこのキリストと共に歩むことができるんですね。
(PBA制作「世の光」2017.1.30放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。