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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■強い欲心 / 板倉邦雄

2016年09月07日 | Weblog
2016/9/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「強い欲心」という題でお話ししましょう。

 聖書において主なる神さまは私たちに三つの欲心をお与えになったと書いてあります。食欲と性欲とそして所有欲です。私たちはこの三つの欲心がなければこの人生を生き続けていくことはできないでしょうねえ。しかし神様は強い欲心を戒めているのです。

 さてシナイ山を出発したイスラエルの内にいた多くの人々は強い欲心を起こし、泣きわめいたのです。「ああ、肉が食べたい。思い起こせばエジプトは良かった。ただで魚は食べたし、きゅうりもニラもネギも食べた。スイカそれにニンニクも食べたなあ。しかし今私たちは精も根も尽き果てたよ。私たちの目の前にある食べ物と言えば、このマナの他、何もないじゃないか。」

 これらの人々はエジプトでの奴隷生活を忘れてしまったのでしょうか。主なる神様を自由に心から礼拝することができなかった束縛を忘れてしまったのでしょうか。エジプト脱出は何の目的だったのでしょうか。人はパンだけでは生きられない事を、そして神のことばによって生きることを知っていたのではないでしょうか。

 モーセは人々が家ごとにその天幕の入口で泣く声を聞いたのです。「主なる神様はそのことに対して激しく怒られた」と聖書は書いています。モーセは非常な不快感に襲われました。そしてモーセは主なる神様に申し上げたのです。「あなたはなぜしもべに悪い仕打ちをなさるのですか。どうして私はあなたの前に恵みを得ないで、このすべての民の重荷を負わせるのですか。」

 私たちの欲心がどんなに自分と人々を苦しめることでしょう。特に身近な人々の心を傷つけてゆくのです。強い欲心は私たち人間の恐るべき罪の中の一つだと言うことを忘れないようにしましょう。

 聖書のことばです。
 「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
   第一ヨハネの手紙2章の16節と17節

  (PBA制作「世の光」2016.9.7放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■本当に必要なたった一つのもの 6 / 大嶋重徳

2016年09月06日 | Weblog
2016/9/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
 新約聖書ルカの福音書には、イエス様の足元にじっと座りこんでイエス様のことばを聞き入る妹マリヤに、自分の手伝いをしない、と腹を立てたマルタという姉妹の物語が出てきます。

 周囲から見ると、一見常軌を逸しているように見えるマリヤの行為でしたが、イエス様はこのマリヤの行為をきちんと位置付けてくださいました。時に、イエス様のことばを熱心に聞いて生み出される行為は周りから見ると風変りに見えてしまうかもしれません。また妹のマリヤは、イエス様に非常に高価なナルドの香油つまり香り高い油を注ぎかけたことがありました。この時も弟子たちの無理解と反感の対象になりました。「なぜそんな無駄なことをするんだろう。」 そう思われたのです。しかしマリヤのたった一つのものを大切にするからこそ生まれた行動を、イエス様を愛する思いで夢中に行なった行為をイエス様は、「必要なたった一つのことを彼女はしたのだ。誰もそれを彼女から奪い取ってはならない。」(ルカ 10章42節参照)と、マリアの行為を認めてくださったのです。

 私たちもイエス様のためにと思い、始めたことがあるでしょう。
  忙しい中、朝早く起きて聖書を読むこと。
  家族の中にクリスチャンが全然いない中で礼拝に出ること。
  周りの友だちに職場の人に自分が「クリスチャンで教会に行っている」と言うこと。
  家庭を開いて誰かを迎えもてなすこと。
  誰も見ていない所での教会の小さな奉仕の数々。
  困ってる人の家を尋ね食事を届け、病気の人を尋ねてお見舞いをすること。

 疲れ切った一週間の中で、その一つ一つが時に周りから見ると、空気の読めていない非常識で浮いていることなんじゃないかな、と思う。忙しい毎日の中で、いろいろとある中で、もっと他にやるべきことがあるだろう、信仰なんて時間のある日にやるぐらいでいいんじゃない? 自分じゃなくても良いかなあ、と。

 でもイエス様に出会いイエス様のことばに出会い、自分なりに一所懸命始めようとした聖書のことばに聞いて生きる生活の一つ一つをイエス様は、「あなたはたった一つのことをしている。誰もあなたからそれを奪い取ってはならない。」と言ってくださるのです(ルカ 10章42節参照)。

 今朝もあなたがこのラジオを聴き続け、聖書のことばに励まされ、一所懸命してきたことをイエス様は、「よくやったね。あなたは本当に必要なたった一つの事をしているんだよ。」 そう誉めてくださっているのです。

  ( PBA制作「世の光」2016.9.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■神にならう者 / 関根弘興

2016年09月05日 | Weblog
2016/9/5放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も聖書のことばを最初に紹介いたしましょう。

 新約聖書エペソ人への手紙5章1節
 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

 「神にならう者になる」と一体どういうことなのでしょう。ここで「ならう者」と訳されていることばは、「見倣う者」とか「模倣する」というような意味なんですねえ。でもこれは神のように振る舞うということではありません。特別な宗教の教祖になるとか、特別な人間離れした人になる、という意味でもないんですね。ではどういう意味で神にならう者になれと言ってるのでしょう。

 この箇所には「愛されている子どもらしく、神にならう者になれ」と書かれていますね。私たちは神様に愛されている子どもです。ですから私たちは神様に愛されてることを知ることによって、その神様の愛に応え、そして神様の愛や真実さを見倣いながら歩んでいく者とされているんですよ、それを喜んで生きて行きなさい、と勧められている訳ですね。

 でも神様を見倣えと言ってもね、目に見えない神様をどのように見倣うことができるでしょう。二つのものが私たちには与えられているんです。

 一つは、私たちが神様はどのようなお方で、神様を見倣うことができるようになるのか、聖書を通して私たちはそれを知ることができるんです。つまり、聖書は私たちが愛されている者として歩んで行くための道しるべなんですね。

 そして二つ目は、人が人として生きていくために、イエス・キリストが私たちの素晴らし模範となってくださっているっていう事なんです。新約聖書の第一ペテロの手紙2章21節には、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」とあります。 イエス・キリストは私たちの模範となってくださるお方です。

 私たちは聖書から、神様がどのような方であるかを知ることができ、そしてイエス・キリストの歩まれたその姿を見ることによって、私たちがどう生きていくのかを知ることができるんです。そればかりか、このイエス・キリストは、私たちと一緒にいてくださる模範として、今日も一人ひとりと歩んでくださると語られるんですねえ。ですからイエス・キリストから学びながら私たちは人生を歩んで行くものでありたいですね。

  (PBA制作「世の光」2016.9.5放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神に忠実であった王ヨタム / 羽鳥頼和

2016年09月03日 | Weblog
2016/9/3放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は南王国ユダの王ヨタムについてお話しします。ヨタムは25歳で王となって16年間、国を治めました。

 彼の行なったことについて聖書は、「彼はすべて、主の目にかなうことを行なった。」(歴代誌第二 27章2節)と語っています。これは彼が神に忠実で正しい政治を行なったことを意味しています。

 ヨタムの父ウジヤも良い王でした。ところがウジヤは傲慢になり、神の教えに反して祭司しかできない神殿の中の祭壇で香を焚くことをしたのです。

 ヨタムは同じ過ちをしませんでした。ヨタムは神に対して忠実だったのです。また民衆は不信仰の中にありましたが、ヨタムは彼らの影響を受けず、神に忠実であり続けました。ヨタムの神への忠実さは、神殿に関わる施設を整える事に現れています。彼は神殿の門と神殿の近くに新しい城壁を造りました。国の防衛のために森林地帯に城塞と櫓を建てました。これらのことは功を奏し、実際にアモン人との戦いに勝つことができました。

 聖書は、ヨタムのことをこのように語っています。
「このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」(歴代誌第二 27章6節)

 このヨタムの姿を見ると、イエスの教えられたある例え話を思い出します。(マタイ 25章参照)

 主人がしもべたちを呼んで自分の財産を預け、旅に出て行きました。主人は各々その能力に応じてしもべたちに財産を分け与えたのです。しもべたちはそれぞれ工夫して主人から預かったお金を増やしました。帰ってきた主人は彼らの忠実な働きを見て言いました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたにもっと多くのものを任せよう。共に喜んでくれ。」

 このたとえの主人と同じように神はヨタム王を喜ばれました。そしてヨタムに多くのことを任されたのです。

 神は人に良いものを与えてくださいます。人がその良いものを用いて良いことを行うとき、神は喜んでくださり、更に良いものを与えてくださいます。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。
 神はあなたが教会に来られるのを待っておられます。

 (PBA制作「世の光」 2016.9.3放送でのお話より )
 
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■創造主なる神とともに / 岩井基雄

2016年09月02日 | Weblog
2016/9/2放送

世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日は旧約聖書の詩篇100篇の前半から、「創造主なる神と共に」と題して神様の恵みに生かされる幸いな人生を共に考えてみましょう。

 聖書が語る神様は、すべてを創造された神様です。この地上に存在するすべてのものは意味や目的なく存在しているのではなく、愛なる神様によって目的をもって創造された、と聖書は語っています。ですからどのような悲しみを抱えたまま生まれてきたとしても、たとえその誕生が誰からも望まれず歓迎されていないと感じるようなものであったとしても、すべての人は神様の素晴らしい作品なのです。

 詩篇100篇の前半、1節から3節をお読みします。

 「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
   知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。
   私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。

             旧約聖書 詩篇100篇1節から3節

 この詩篇に歌われているように、あなたを創造された神様は、あなたをご自身のものとして抱きしめていらっしゃいます。そしてあなたは主の牧場の羊であり、神様があなたを導き育ててくださるのです。

 羊は弱く臆病な動物で、近くの物しか見えず、迷い易いそうです。倒れてしまうと自分で起き上がれず、起こされないと死に至ることもあるようです。弱く臆病な羊には、羊を養い守り導く牧者がどうしても必要であり、その牧者である羊飼いは必要とあらば命がけで羊を守ってくれるのです。そして愛なる神様は自分勝手に迷い出た羊である私たちが、創造主である神様のもとに帰り、神様に守られ導かれ養われる平安な人生を歩むようにと待っていてくださるのです。

 あなたも創造主なる神様の愛の中に戻るとき、あなたの存在を喜び慈しみ支えてくださる神様の愛によって癒され生かされ、賛美と喜びの生涯を歩み出すことができるのです。神様の愛と平安に満ちた聖書のことばを読み、あなたも創造主なる神様を賛美し、喜びと輝きの人生を歩み出しませんか?

  (PBA制作「世の光」2016.9.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主が共におられた / 福井 誠

2016年09月01日 | Weblog
2016/9/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が共におられた」です。それでは第一サムエル記18章12節から読んでみましょう。

 「サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。

 ゴリアテを倒したダビデは一躍英雄となりました。イスラエルの女たちの人気者となり、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」(サムエル記第一 18章7節 )と誉めそやされるようになります。

 そのことばはサウル王の耳にも入りました。するとサウルは激しく嫉妬し、ダビデに怒りを燃やすのです。そしてダビデを殺そうと考えるようになりました。ダビデの隙を狙って、彼を槍で突き刺そうとしたり、娘を妻にしようと持ちかけて難題をふきかけ、ペリシテ人との争いに巻き込まれて滅びるように謀ったりもしました。

 しかしそうした試みはことごとく失敗していきます。神がダビデと共におられ、守り続けてくださったからです。サウルのそんな姿は何とも卑しくあさましくも見えますね。

 しかし実は程度の差はあっても私はそこに自分自身の姿を見る思いもするのです。サウルの姿はこの私の姿でもあるな、と。一度自尊心が傷つけられて怒りが燃え上がってしまったり、嫉妬心が燃えてしまったりすると、もう穏やかでは居られない。実際に自分がどの程度の人間であるかは分かっていても、不当な評価には我慢できず、そのように評価した人を赦せないし、ありもしない力を見せ付けたくなってしまう。結果、相手のみならず自らをも破滅させる行動に駆り立てられていく。何とも人間というのは不自由なものですね。大切なのはそんな人間の不自由さを神は御存知であると言うことです。

 実は私たちは神様をそのようには見てはいません。神様など私から去って行って当然だと思ってしまいます。つまり、神が見捨てるのではなくて私たちが神を諦めてしまう現実がありますね。神が去られるのではなくて、私たちが神を去らせてしまうのです。「神は愛なり」(1ヨハネ 4章8節、16節参照)と言うでありませんか。神はご自身にすがり続ける者を決して見捨てられません。神の愛を信じて、こんな私をも祝福してください、と願う者でありたいですね。

(PBA制作「世の光」2016.9.1放送でのお話より )

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