♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の愛によって ~留岡幸助の祈り~  / 岩井基雄

2014年12月19日 | Weblog
2014/12/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。クリスマスは家族のぬくもりや愛を感じる時でもありますが、クリスマスにこそ愛の深みを知りたいですね。
 クリスチャンとして日本の福祉の歴史に大きな礎を残し、愛を伝えた留岡幸助という人を御存知でしょうか。幸助は元治元年1864年に、備前高梁、今の岡山県に生まれ、留岡家の養子となりました。彼は士族の子たちから屈辱的な扱いを受け、当時の身分社会の現実を嫌ということ味わいます。しかし彼は16才の時にアメリカ人宣教師の「人のいのちに優劣はない。士族でも町民でも神の前では平等である。」ということばに衝撃を受け、聖書を学び、神の愛を知り、自分の罪を悔い改めて、18歳でキリストの愛と救いを信じて洗礼を受けます。その後同社大学神学校に入学した彼は在学中に遊郭と監獄という二つの暗闇の存在を知り、自分もその闇を照らす灯になりたいと願います。明治24年、27歳の時、京都で牧師をしていた幸助に北海道で囚人たちを導く教戒師となるという話が持ちかけられます。彼はすぐさま北海道へと旅立ち、当時人間扱いされていなかった受刑者たちの処遇の改善を努め、また彼らを悔い改めへと導き、そしてキリストへと導いていきます。その後アメリカで学ぶ機会を与えられた幸助はアメリカの監獄制度の愛の姿に驚きます。そして人を良い方向へと導くためには神の愛に基づく教育こそが必要であり、監獄制度の改良よりも根本的な対策として愛を注ぐ真の教育、神の愛の教育こそ急務であると悟ったのです。そして明治32年に、東京巣鴨に家庭学校を創立し、大正3年には北海道家庭学校を設立し、神の愛によって人を、人の心を育てていったのです。人を本当に変えていくのは真の愛なのですね。

 聖書のことば
 「そのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
  新約聖書ヨハネ第一の手紙4章9節

 クリスマスは神の愛の現れです。その愛によって私たちはいのちを得、生かされていくのです。あなたもこの愛に生かされていきませんか。

(PBA制作「世の光」2014.12.19放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■自分にしてもらいたいこと / 福井 誠

2014年12月18日 | Weblog
 2014/12/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「自分にしてもらいたいこと」です。それではマタイの福音書7章12節から読んでみましょう。

 「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

 先日、経営学の本を読んでいましたら、ヤマト運輸の宅配便事業のことが取り上げられていました。宅配便、便利ですよね。近くのコンビニでいつでもどこでも出せるし、すぐ届く。このシステムを考えだしたのはヤマト運輸の二代目の社長、故小倉昌男社長です。それでその経営学の本には、これが困難を乗り越えて新しい事業を創造する現代企業のモデルとして描かれていました。そして新しい事業を創造する時に、どんな経営課題を乗り越えなければいけないのかを分析しているのです。

 一つは新しいことに取り組む社内の反対を乗り越えること。小倉社長は、役員たちにアメリカの物流施設を視察させ、研究班を組織し、社内の意識改革を図ったというのです。

 また二つ目に、運輸省の規制という障壁にぶつかりました。まあ、お役所に言って、「こんな企画はだめです」と却下されたら、きっと誰もが「だめだ」と、どうにもならないで引き下がってしまうものでしょうね。けれども小倉社長は諦めませんでした。むしろ、積極的な経営を行う企業は環境そのものを創造する企業である、と運輸省と戦って、約4年がかりで運輸行政の規制を緩和させたのです。小倉社長は、大事なのは新しい行動を起こそうという意欲を経営者が持つかどうか、規制があっても宅急便はできたし、規制緩和を生かせるかどうかも経営者次第、と言っています。

 実はこの小倉社長、二代目のクリスチャン。その座右の銘は「何事でも自分にしてもらいたいことは他の人にもそのようにしなさい。」 つまりイエス・キリストのことばだったそうです。日本に新しい時代を切り開いた起業家を導いたイエス・キリスト。約2000年前貧しいナザレという町にお生まれになった方ですが、そのイエス様の誕生日をお祝いするのがクリスマスです。そしてイエス様ご自身、この世界に新しい時代を切り開かれました。

 ぜひ教会へ行ってその素晴らしいお話に耳を傾けていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2014.12.18放送でのお話より )

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■落雷で友を失い / 板倉邦雄

2014年12月17日 | Weblog
2014/12/17放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「落雷で友を失い」という題でお話ししましょう。

 今日はイエス・キリストに出会い人生の生き方が180度変わった人物を紹介しましょう。その人の名は16世紀の宗教改革者マルチン・ルターです。

 マルチン・ルターは15世紀の後半、1483年、ドイツの山と森に囲まれたアイスレーベンで生まれました。父親の期待に応え、22歳でエルフルト大学で法律学修士の称号を与えられ、将来を期待されていたのです。修士号を取ったマルチン・ルターは友人のアレクシスと一緒に故郷へ帰りました。そしてその帰り道、マルチン・ルターの生き方を変える出来事が起るのです。森の中の道を歩いていた時でした。急に森の木々がざわめき、空は曇り、ピカーっと稲妻が走りました。ピカーっ、また一つ。次の瞬間、雷鳴が森の上で爆発しました。激しい雨が滝のように降り出したのです。その時でした。「マルチーン!」という友の叫び声が聞えたと同時に、マルチンの体も飛ばされ、地面に叩きつけられたのです。友人のアレクシスは落雷の直撃を受けて息を引き取っていました。恐怖の心で体は震え、死の恐怖が彼に覆いかぶさったことでしょう。

 マルチン・ルターは雷鳴の轟く中でその場にひれ伏して祈りました。「神よ。私を罪より救い出し、神の子としてくださった主よ。どうか助けてください。神様の御心に従って、生涯、修道士として神に、人々にお仕えします。」 友人のアレクシスは死んだ。それなのに私にはいのちが与えられている。友人のいのちを受け継いで、神に仕える修道士になろう、と彼は決意したのです。

 私も17歳の時、クラスメートの友人を鉄道自殺で失いました。その友人の死を通して、人はなぜ生きるのか、人生の意味と目的は何か、を考え始めたのです。そして18歳の春、救い主イエス・キリストに出会いました。友のためにも、そして自分と同じように悩む人々のために、建築士の道から伝道師の人生へと変えられたのです。

 (PBA制作「世の光」2014.12.17放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■お言葉どおりなりますように (3)  / 大嶋重徳

2014年12月16日 | Weblog

2014/12/16放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。皆さんはイエス・キリストの母マリヤをご存知でしょうか。ルカによる福音書1章には婚約期間中に御使いによって妊娠が告げられたマリヤが「おことばどおり、この身になりますように。」と、御使いの受胎告知を受けとめます。婚約期間中に女性に起ったこの大スキャンダルをどうしてマリヤが「おことばどおりに」と言うことができたのでしょうか。

 その一つの理由は、彼女のことばの中の「おことばどおり」ということばです。

 マリヤはこのあと、「私たちの先祖におっしゃった通りにアブラハムとその子孫に対して」と話します。これは旧約聖書において神様がアブラハムとその子孫に祝福を約束して、アブラハムの子孫から救い主が与えられる、ということを約束されたことを言っているのです。

 小さな村の娘で恋もして、大工ヨセフの奥さんになることを夢見ていたマリヤ。そこに現れた御使いの語ったことばは、彼女が昔から聞いてきた聖書の救い主の預言と一つのことであったのです。自分の人生に聖書の語られていることが起ったのだと彼女は気がついたのです。そして、「ああ、私が選ばれたのか。」と彼女は受け取りました。

 マリヤには彼女の人生で少なからず聞いてきた聖書の生活がありました。この突然自分に起ったこの出来事が聖書のことばが「この身になる」ことなんだと彼女は受け取ったのです。聖書のことばを聞く生活がマリヤを既にこのことを受けとめることができるようにさせました。

 この受胎告知のシーンが描かれた絵の多くに、マリヤの手やひざの上には書物が開かれ、それは聖書が書かれています。「この身になりますように」というのは祈りのことばです。まだ彼女自身が受けとめきれない、でも震えるような思いで、「おことばがあるから聖書のおことばの通りに。」と勇気をもって祈りにしたのです。

 マリヤの信仰を産み出したのは聖書のことばでした。聖書のことばはラジオをお聴きの皆さんにも自分の人生に神の恵みを受け取ることができるような信仰を産み出してくれます。ぜひこのクリスマスに聖書をお近くの教会で読んでみていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2014.12.16放送でのお話しより )

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■苦労する者、重荷を負う者、我にきたれ  -星野富弘- / 関根弘興

2014年12月15日 | Weblog
2014/12/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 花の詩画で有名な星野富弘さんをあなたも御存知だと思います。日本中の多くの方がその葉書や、またカレンダーを利用していますよね。

 星野さんは大学を卒業し、中学校の体育の教師になりました。しかしクラブ活動の指導中、頚椎を損傷し、手足の自由を失ってしまうんです。大学病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めるようになり、そしてその後、多くの作品を描き続け、その暖かな絵と添えられていることばに多くの人が励まされ癒されています。

 そんな星野さんは1974年に大学病院に入院中の病室でキリスト教の洗礼を受けられました。そのきっかけになったのは、入院中、友達が三浦綾子さんの本を貸してくれたからだそうです。その本を読み、また三浦綾子さんの小説を次から次へと読んでいったそうです。キリスト教に興味を持つようになり、今度は聖書を読んでみようと思ったのだそうです。そして新約聖書のマタイの福音書を読んでいくと、「すべて重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11章28節参照)というイエス・キリストのことばに出会ったんですね。そして星野さんはこれを読んだ時、ひとつのことを思い出したのだそうです。

 それは星野さんの家の裏山の土手に、白い十字架が建てられている小さなお墓がありました。その十字架に墨で「労する者・重荷を負ふ者 我に来(きた)れ」と書かれていることばが、あっイエス・キリストのこのことばだ!、ということをですね思い出したのです。このことがきっかけとなって、後に洗礼を受けられクリスチャン詩画作家として現在に至るまで活躍しているんですね。

 実は星野さんが小さい頃見たこの白い十字架のお墓は、生まれつき障害を持ち、誕生してわずか八ヶ月の生涯を閉じた、神部 亮(まこと)さんさんという方のお子さんのお墓なんです。 この方はクリスチャンで、ご自分の回想録の中で星野富弘さんのことをこう綴っています。

 「月日は流れ、私たちの知らない中に、若い純粋な魂がその墓標のみことばに神の道を知りました。わが子以上にこの世のハンディを背負い、栄光の証しを立てています。」
 こう記しているんです。

 この地上には辛い悲しいことがたくさんあります。でもそんな一人ひとりにイエス・キリストは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11章28節)と招いているんですね。

 ぜひこのクリスマス、あなたもお近くのキリスト教会に出かけてみてはいかがでしょうか。


 (PBA制作「世の光」2014.12.15放送でのお話しより)

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■B-25の爆撃手 ジェコブ・ディシェイザー / 羽鳥頼和

2014年12月13日 | Weblog
2014/12/13放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 私の住まいからそれほど遠くない公園に名古屋空襲の記念碑があります。今日はその名古屋空襲の最初の爆撃をした B 25に乗っていた爆撃手 ジェコブ・ディシェスザーについてお話ししたいと思います。

 彼は真珠湾攻撃をきっかけに、日本人に復讐してやるという憎しみから陸軍航空軍に入りました。そして日本本土を空襲する作戦に参加したのです。彼は名古屋を爆撃しました。その時、彼の心は真珠湾の仕返しをしたという思いで爽快でした。しかし帰還する途中で飛行機が故障し、中国に不時着し、日本兵に捕らえられ、捕虜収容所に入れられてしまいました。その後、裁判を受け死刑判決を受けます。しかし後に無期懲役となったのですが、彼の日本に対する憎しみは今まで以上に燃え上がりました。しかしそれと同時に、子どもの頃、キリスト教会で、人間同士の憎しみをまことの兄弟愛に変えるのがイエス・キリストですと聞かされたことを思い出しました。そして不思議と聖書を読みたいと思うようになったのです。彼は一生懸命聖書を読みました。そしてイエス・キリストを信じたのです。新約聖書のローマ人への手紙10章9節のみことばが彼の心を捕えたのです。
 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

 クリスチャンとなった彼は憎んでいた日本のことを愛するようになりました。そしてアメリカに戻ると神学校で学んでキリスト教の宣教師となって日本にやってきたのです。先週お話した淵田美津雄は彼の自伝を興味深く読みました。二人は同じような道を歩み、クリスチャンとなった二人は出会い、互いに神による友情の絆を結びました。その後、ディシェスザーは1959年に名古屋で伝道を始めました。かつて爆弾を落とした名古屋にもう一度やってきた彼は、人を殺すためではなく、人に真のいのちを与えるためにやってきました。彼は謝罪の思いと名古屋の人々を愛する思いをもってイエス・キリストを宣べ伝えたのです。彼の始めた教会は今もそこにあります。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.12.13放送でのお話より )
 
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■神と人の前に整えられて…  / 岩井基雄

2014年12月12日 | Weblog
2014/12/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。私たちは人生の様々なターニングポイントでどちらの道を選ぶか、それによってその先の人生が大きく違って来ることがありますね。聖書が語る創造主である神を信じ信頼するクリスチャンは人生のターニングポイントで何よりもまず神様のご計画を求め祈ります。しかし時には自分の思いや願いを神様に委ねることができないこともあるんですね。なかなか道が開かれず出口が見えないときは特に私たちは焦って選択を間違えてしまいます。慌ただしい日々の中でも私たちは静まって判断することが必要ですね。

 旧約聖書の時代も結婚のことすなわち配偶者選びは大切な問題でした。夫婦が同じ信仰や基盤に立ち、創造主である神を信頼する家庭を築くために、親が中心となってその子の結婚を導いたのです。信仰の父と呼ばれたアブラハムが自分の息子イサクの結婚の相手選びを自分のしもべに委ねました。それは何よりも自分の思いや願いを神様に委ね、神様の導きの中ですべてを決定して行きたいという彼の信仰の表れだったのかもしれませんね。委ねられたしもべもまた信仰によってその使命を受けとめ神様の導きに従います。そして一つの条件を神に祈りました。それは彼だけではなく彼のラクダにも水を提供して来れる女性という条件でした。動物たちへの配慮もできる優しい女性であるリベカはその条件の通り行い、イサクの妻として導かれます。神様に信頼して委ねていたイサクと、神と人との前に整えられていたリベカは時が満ちた時に、神様の不思議な導きの中で出会ったのですね。

 私たちは神様の導きを待ち望むだけではなくて、その前に自らが神と人との前に整えられていく必要があります。そしてその整えられていくという歩みをも神様は不思議に導いてくださるのです。あなたも今与えられている試練を感謝を持って受けとめ、神の導きに従うものとされて行きませんか? 

 聖書のことば
 「神と人との前に好意と聡明を得よ。心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
 旧約聖書 箴言3章4節から6節

(PBA制作「世の光」2014.12.12放送でのお話しより)

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■終わりの日 / 福井 誠

2014年12月11日 | Weblog
 2014/12/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「終わりの日」です。 それではイザヤ書2章2節から読んでみましょう。

 「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。

 先月まで黙示録を読んでおりましたが、皆さんは覚えておられでしょうか、黙示録は1世紀の迫害下にあったクリスチャンに希望と励ましを与えようとして書かれていましたね。しかしそれだけではなく、未来のこと、人類の終末的なことも書かれていました。実は終末つまり世界の終わりについて語っているのは黙示録だけではありません。聖書には至るところにそういうメッセージがあって、このイザヤ書2章もそうなのです。

 イザヤは言います。「終わりの日に」、つまり世界の終わりの時のことを言っていますが、その時どんなことが起こるのか。その時に「主の家の山」、具体的にはどこなのかは分りませんが、そこに「すべての国々が流れて来る」と言いますねえ。

 実はこれは黙示録7章に描かれたイメージと同じです。ヨハネはあらゆる国民、部族、民族、国語の内から誰にも数え切れぬほどの大勢の群集が神のみ前に集まってきた様子を描いていますが、それと同じことを言っているのです。その日、すべての国々から、また多くの民が集められて平和に暮らすことが約束されているのです。

 先週は変えられた人生を歩むべきことをお話ししました。あなたの人生がどんなに緋色のように穢れた人生であっても、変わりたいと主に向かうなら雪のように白くなる。そのようになれるとイザヤは語っていましたね。続く2章では、やがて私たちは神の前にみな集められ、平和な時を過ごすのだと終末的なイメージが語られ、だからそれにふさわしく今を生きようではないかと勧められています。

 イザヤは言います。「来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」(2章5節) お金や物を頼りにし、とらわれてしまう暗闇の人生ではなく、心のきよさを愛し互いに分かち合い、支え合いながら光の中に生きることが大事ですね。

 神は生きておられるのです。その神の前に歩ませていただきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.12.11放送でのお話より )

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■尻込み / 板倉邦雄

2014年12月10日 | Weblog
2014/12/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「尻込み」という題でお話ししましょう。 神様は私たちにできないことはさせない、とよく言われます。しかし私たちは人を恐れたり、目の前の障害に尻込みをしてしまうことがありますねえ。

 さて、モーセは神様からの召命、お招きに尻込みをして言いました。
 「神様、同胞のヘブル人たちは私を信じないでしょう。また、私のことばを聞いても従わないでしょう。むしろ、主なる神は本当にあなたに現れたのか、と食い下がるでしょう。」 

 無理もありません。ヘブル人は奴隷生活に飼い慣らされていました。神様を礼拝することも許されていませんでした。しかもモーセはかつてエジプト王宮に暮らしていた体制派の人物でした。そして今は殺人者として逃亡生活をしていました。そんな人物の言うことを誰が信じ従うでしょう。

 ところが尻込みをするモーセに神である主は言われました。「あなたの手にあるものは何か。」 
 「はい。羊飼いの杖です。」 
 「その杖を地に投げてみなさい。」

 モーセが投げると、杖は蛇になったのでモーセは驚いて飛びのきました。
 神である主は言われた。「あなたの手を伸ばしてその尻尾をとりなさい。」 そこで手を伸ばして蛇を取ると、手の中で杖になっていました。

 私も中学生の頃は青大将の蛇の尻尾を掴んで杖のように棒にしたことがありますのでよく分ります。

 さて神である主はまたモーセに言われました。
 「あなたの手を懐に入れなさい。」 モーセが手を懐に入れ、手を出すと、手は皮膚病にかかり雪のように白くなっていました。
 「手を懐に戻しなさい。」 彼は手を懐に戻し、手を出してみると回復して元の手になっていました。

 以上、二つのしるしはヘブル人の先祖の神である主がモーセに現れたことをヘブル人たちが信じるためでした。モーセの言うことを信じて従うためだったのです。これでもか、これでもかと尻込みをするモーセに対して、神である主は目に見えるしるしと証拠をもって、モーセと一緒にいることを示しているのです。

 神である主の私たちへの忍耐と配慮を強く感じる場面ではないでしょうか。

 (PBA制作「世の光」2014.12.10放送でのお話より )

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■お言葉どおりなりますように (2)  / 大嶋重徳

2014年12月09日 | Weblog
2014/12/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。 新約聖書のルカによる福音書1章には、イエス・キリストの母となったマリヤの受胎告知の箇所が出て参ります。ヨセフとの結婚を待ち焦がれているマリヤに天使が現れ、「おめでとう。恵まれた方。あなたは神からの恵みを受けたのです。」と伝えられました。しかし結婚前の女性の妊娠はマリヤにとって到底受けとめることのできない事態でした。当然ヨセフに婚約破棄されるだろう。同じ村の人たちは大きなお腹になっていく自分をどんなに冷たい目で見るだろうか。親の失望はどれほどだろうか。・・・ しかしそのような状況になったマリヤに御使いは平気で、「あなたは神から恵みを受けたのです。」と言うのです。ここにキリスト教信仰の独特の性格が表れています。つまり恵みとは何か、私たちが最悪の事態だと思って当たり前のことの中に、悲痛な叫び声をあげる事態の中で、神の恵みがあなたにあるのだ、と聖書は語るのです。

 もしここで御使いが、「おめでとう。恵まれた方。新婚のお二人には新しい車が当たりました!」と言われたら、それは本当に良かったね、と思うでしょう。これが私たちが恵みを受けたと思えるような話です。しかし聖書は、私たちが人間的に見て最悪な事態だと思えることの中に神の恵みがある、と言うのです。

 ここで私たちは神の恵みを見つめる目が変わってきます。クリスマスは1年が終わる時期でもあります。私たちは自分の1年を振り返る時、余りにも突然自分の身に振りかかった受けとめきれない事態があったかもしれません。しかし神様は今日、この年の終わりを迎える私たちに、おめでとう恵まれた方、と声をかけられるのです。そこに神の恵みがあるからそれを探してみて欲しいと言われるのです。

 このあとマリアは自分に起こった出来事を「どうぞおことば通り、この身になりますように。」と受けとめます。彼女が受け取った神の恵みとは一体何であったのでしょうか。彼女が探した神の恵み、来週から一つ一つそれを見ていきたいと思います。

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