♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■最初の日本語聖書翻訳を手伝った音吉 / 羽鳥頼和

2014年12月20日 | Weblog
2014/12/20放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 名古屋の南、知多半島の美浜町に聖書和訳頌徳碑という記念碑が建っています。これは聖書の最初の日本語訳であるギュッツラフ訳の翻訳を手伝った人たちがこの町の船乗りだったからです。その三人とは音吉(乙吉)・岩吉・久吉と言います。今日はこの3三人の内の一人、音吉のことを話したいと思います。

 音吉は14才の時、宝順丸という船に乗って江戸に向けて出港しました。ところが途中で嵐に遭い、難破し漂流してしまいます。14ヶ月間も太平洋を漂流した後、アメリカの西海岸に漂着した時には生存者は音吉たち三人だけでした。そんな彼らのことを知ったイギリスの貿易会社が彼らを日本に連れ帰ろうとします。アメリカからイギリスに渡りマカオへ。そして沖縄の那覇を経由して江戸の近海にやってきました。漂流してからおよそ7年が過ぎていました。もうすぐ国に帰れるというその時、音吉たちの乗っていた船(※モリソン号)は砲撃を受けます。音吉は日本の地を目の前にして引き返さなければなりませんでした。その後彼はシンガポールに移住してイギリス国籍を取り、ジョン・マシュー・オトソンと名乗ります。その後、音吉はシンガポールで病死します。49才でした。音吉が洗礼を受けたという記録はありませんが、彼はイエス・キリストのことをよく理解していたと私は思います。江戸に行く途中、マニラで音吉はギュッツラフを手伝って聖書の日本語訳を行いました。このことはイエスを理解する助けとなったに違いないのです。彼らは新約聖書のヨハネの福音書を翻訳しました。そのヨハネの1章1節は現代の訳では「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」となっています。この「ことば」とはイエス・キリストのことです。ギュッツラフはこのイエス・キリストを意味する「ことば」について丁寧に説明したのだと思います。そして音吉たちはこれを「賢い者」と訳しました。音吉はイエスを「賢い者」と理解したのです。それはイエスが人を救い、人にいのちを与え、人を生かす方だからです。

 もうすぐクリスマスです。明日、キリスト教会では救い主イエス・キリストを覚えてクリスマスの礼拝を行います。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2014.12.20放送でのお話より )
 
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