♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■真珠湾攻撃総隊長淵田美津雄  /  羽鳥頼和

2014年12月06日 | Weblog
2014/12/6放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は、イエス・キリストに出会い、生き方が大きく変わった人についてお話しします。

 その人の名前は淵田美津雄と言います。今から73年前の12月8日、真珠湾攻撃に加わった淵田美津雄は戦後クリスチャンになりました。真珠湾攻撃の(空襲部隊)総指揮官であった淵田は「トラトラトラ」、我奇襲ニ成功セリ、の電文を打ちました。彼は英雄になったのです。そんな彼は広島に原爆が投下されるとその翌日に広島に入り、そして被爆してしまいました。敗戦後アメリカを憎んだ淵田はアメリカが日本人捕虜にひどいことしたに違いないと独自に調査を始めました。ところが調査をしているうちに日本人捕虜たちから親身になって面倒を見てくれたアメリカ人のクリスチャン女性の話を聞きます。その女性は宣教師だった両親を日本兵に処刑されたのだそうです。なぜ憎い敵にそんなに親切にできるのだろう・・・。不思議に思った淵田はキリスト教に興味を持ち、自分で聖書を調べました。そして十字架の上でイエスが「父よ、彼らをお赦しください。」と言ったことばを知りました。淵田は自分の罪のために十字架にかかってくださったイエスが、自分が赦されるために祈ってくださったことを知ったのです。こうして淵田は洗礼を受けてクリスチャンになりました。淵田は戦後8年目にアメリカに渡り、アメリカ中で自分がクリスチャンなったことを話しました。まだ日本人に対する憎しみが多い時です。ある集会後、一人の女性が小さな男の子を連れてやってきました。そしてその女の人は言いました。「この子は真珠湾攻撃の日に生まれたのです。そして主人はその日に戦死しました。」 淵田は困惑しました。しかしその女の人は言ったのです。「今日、私はあなたがイエス様を信じたことを知りました。ぜひこの子のために祈ってください。」 内田は救われる思いでした。そしてその子のために心から祈ったのです。それから十年近くが過ぎ、淵田がアメリカに行くと、一人の青年がやってきました。彼はあの時の男の子でした。憎しみの連鎖は絶たれ、本当の和解がもたらされました。

 イエス・キリストはあなたにも素晴らしい救いを与えてくださいます。明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.12.6放送でのお話より )
 
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