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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■挫折という恵み /山中直義

2011年03月19日 | Weblog

2011/3/19放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。
 麦踏みという農作業があります。麦がしっかりと根を張って力強く育つように、農夫は霜の張る早春にその芽を何度も踏みつけると言います。 私たち人間にも挫折の経験が大切であるということを思わされます。あなたは必要な挫折を経験しておられるでしょうか。一体どんなことで挫折を経験すべきか、聖書は神様を信じるということにおいて挫折を経験することの大切さを教えています。

 新約聖書マルコの福音書14章27節にこんなことばがあります。
 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。

 「あなたがたはみな、つまずきます。」 つまり挫折します。イエス様のこのことばを聞いた時に弟子の一人であったペテロはイエス様のことばを否定してこう言いました。

 「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」(14章29節)

 他の弟子たちも同じように言ったといいます。イエス様への熱心、イエス様への愛のゆえに彼らは本気でそう思ったのでしょう。しかしこの時の彼らはイエス様のことば、神様のことばを否定してまでも自分たちの熱心を主張していました。ちょうど羊飼いの声を聞こうとしなくなったかたくなな羊のようでした。そして実にそのかたくなさのゆえに彼らは挫折を味わう必要があったのでした。神様を信じるというとき、神様を脇に置いた独りよがりな信仰、神様のことばを無視した信仰であってはならないということを教えられます。

 神様のことばという土台にしっかりと根を張って力強く生きていく。そのことを学ばせるために神様は時に、私たちに挫折の恵みを与えてくださいます。挫折を経験するとき、どうぞ神様の語りかけ、聖書のことばに静かに耳を傾けてください。そのときに挫折は恵みとなるのです。

 聖書のことば
 「あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。
   旧約聖書 ヨブ記22章23節

     (PBA制作「世の光」2011.3.19放送でのお話しより )

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■イエス・キリストは神なのか? /岩井基雄

2011年03月18日 | Weblog
2011/3/18放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。

 多くの人がイエス・キリストは偉大な人、偉大な教師、または偉大な預言者として受け入れているようです。しかし聖書が語るようにイエス・キリストが神ご自身で人となられた独り子の神だということには抵抗を覚える方もいらっしゃるでしょうねえ。

 聖書はこう語っています。
 「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」 新約聖書ヨハネ第一の手紙 5章20節

 この聖書を記したのはイエス・キリストの弟子のヨハネです。彼はイエス・キリストと共に生活し、約3年間寝食を共にしました。そして彼はイエスの生活や歩みや言動をつぶさに見る中で「この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」と表現したのです。 イエスの誠実な言動、愛の姿、不思議なわざを見てきたヨハネは、これは人間には決してできないまことの神の姿だと告白しているのです。

 単にイエス・キリストが良い人だけであるならば、十字架で殺される必要はなかったでしょう。ユダヤ人・律法学者たちはイエスが自分を神であると主張したことのゆえに彼を、神を冒涜する者として裁き、十字架刑へと向かわせたのです。

 では自分は神とするイエス・キリストは単に嘘つきであったり、気が狂った人であったのでしょうか。 いいえ、もしそうならばユダヤ人・律法学者たちに相手にされなかったでしょう。

 彼らがイエスのいのちを狙わなければならないほどイエスの影響力は絶大であり、彼らはイエスの語る真理のことば、愛の実践をどうしても否定できなかったのです。すなわち、イエスが神であることを否定できないゆえに彼らはキリストを殺そうとしたのです。

 イエス・キリストは神であり、神が人となられました。それはあなたのためです。あなたの人生に本当のいのちと豊かさを与えるために神であるイエスはこの地上に来られました。イエス・キリストこそあなたの人生にまことのいのちを与えてくださるお方です。

   (PBA制作「世の光」2011.3.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■幸いな人ー心のきよい者 /福井 誠

2011年03月17日 | Weblog
2011/3/17放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 心のきよい者」です。

それではマタイの福音書5章8節から読んでみましょう。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(新改訳聖書 第3版)

 心のきよい者ってどんな人のことを言うのでしょうか。純粋無垢な子どものような心を持っている人のことでしょうか。

 聖書が心のきよい者と言った場合、それは一つには偽善がないということを意味します。純真な心、あるいは陰日なたのない心と言っても良いかもしれません。何事もオープンで、誠実そのものの心。

 もう一つは、きれいにされたとか穢れのないことを意味しています。嘘偽りのある心、穢れた心、きたない心の持ち主は神を見ることができませんね。つまり天の御国に入ることはできないということでしょう。

 確かに考えてみればそういう人たちが天国に入ることができるとしたら、そこは天国でも何でもありません。ただのこの世の延長ですねえ。

 ところが天国にはそういう人は一切入れないのだとなればこそ、そこはまさに天国です。

 けれども、そんな人などいるのでしょうか。心に少しも陰日なたがない、嘘偽りのない人などこの世にいるものでしょうか。実際天国に入ることのできる人など誰もいないのではないでしょうか。

 実は聖書の中にはこんな約束があります。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ 1章9節) 
 このような約束があればこそ私たちは天の御国に入って、神様とお会いする希望を持つことができるのですねえ。

 私たちには神様の罪の赦しがあります。きよめがあるのです。人間には日々神様と共に歩んで神の赦しときよめをいたただきながら神の国をめざして歩むことができるのです。心のきよい者は幸いだということがあるんですねえ。変わりたい。いつまでも嘘偽りの中には生きたくない、という人はいませんか。神様に罪を告白し、悔い改めてきよめていただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.17放送でのお話より )

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■人を導き、守り、救われる神 /羽鳥頼和

2011年03月16日 | Weblog
2011/3/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 旧約聖書の中の民数記という書物にはエジプトを脱出したイスラエルの民の荒野の旅の記録が記されています。その民数記の33章には、「イスラエル人はラメセスから旅立ってスコテに宿営し、スコテから旅立って荒野の端にあるエタムに宿営した。」(5節、6節)という調子で40以上の地名が記されています。これはイスラエルが旅の中でどこを旅立って、どこに宿営したのか、その場所の名前が一つひとつ記録されているのです。しかしこの記録はイスラエルの民の旅のコースを単に記したものではありません。この地名の記録は神様とイスラエルの係わりについて教えてくれているのです。

 その第一の点は、この記録は神様がイスラエルを導き、イスラエルが神様に従った記録だということです。神様はイスラエルに宿営する場所を教え、そこを旅立つ「時」も教えたのです。そしてその都度イスラエルの民は神様の命令に従って宿営し、そして旅立ったのです。

 そしてこの記録が教えている二つめの点は、この記録は神様がイスラエルを救ってくださった記録であるということです。この記録にはイスラエルが旅の中で困難に遭った場所も記されているのです。そしてその場所でイスラエルは神様によって救われたのです。つまり、この記録はイスラエルが経験した神様の救いの記録でもあるのです。

 このように民数記33章の地名の記録は、神様が人を導き守り、救ってくださるお方であることを教えてくれます。そして人がその神様に聞き従って歩むとき、その人の歩みは守られ、困難に遭っても必ず救われ、安心して歩むことができることを教えてくれます。

 私たちの人生はこの荒野の旅に似ています。何度も新しい場所へ出発します。引越しがまさにそうですが、それだけではありません。進学や就職も新しい場所への出発です。あと半月もすると4月です。多くの人にとって4月は新年度としての新しい歩みが始まる時です。新しい歩みを神様を信じて歩み始めましょう。皆さんの4月からの新しい歩みを神様が導き、守り、助けてくださいますように。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.16放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■共に生きるために2 - 仕える心を持とう/関根弘興

2011年03月15日 | Weblog
2011/3/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 まあ私たちはいろんな人たちとの係わりの中で生きている訳です。そこで、共に生きるというテーマで今お話をしていますが、今日は「共に生きるために、仕える心を持とう」というお話をしたいと思います。

 イエス・キリストには12人の弟子たちがいました。彼らのもっぱらの関心事は何だと思いますか? それは、誰がこの中で一番偉いのだろう、ということだったんです。そんな弟子たちにイエス・キリストは、誰でも偉くなりたいと思うなら仕える者になりなさい、と言われたんですね。

 倉敷の河野 進という牧師が書いた詩の中に、こんな詩があります。

 一人に仕えられて不満である
 十人、百人に仕えられて更に不満であり
 千人、万人に仕えられていよいよ不満であり
 ついに人生は不満である

 一人に仕えて感謝である
 十人、百人に仕えて感謝である
 千人、万人に仕えていよいよ感謝であり
 ついに人生は感謝である

 まあ人は仕えるよりも仕えられることを願うようですね。でも人間というものはどんどんどんどんエスカレートし、これで十分だという満足を得ることがなかなかできないのです。

 逆に仕えることを考えて生きるなら、人生は違ったものになります。仕えるということは、これはすべての健康の基本となっているんですね。

 身体のことを考えてみてください。それぞれの器官は互いに仕え合うことによってバランスが取れていきます。しかしどれかの器官が、例えば胃が腸が他の器官に仕えることを拒否したらどうでしょう。すぐに病としての症状が出てきます。もし一つの細胞が自己主張し始めたら、身体全体のバランスを壊し、ま、遂には死をもたらしますね。身体というものはそれぞれの器官が仕え合うことによって健康というものが維持されるんです。

 ですから、共に生きるということは互いに大切な身体の器官の一部のような存在だということをお互いが自覚して生きるということなんですね。決してお互いに比べる必要はありません、それぞれに異なった大切な役割があるんですから。決して支配するのでもなく、仕えることを考え生きること、これが大切なんです。それはイエス・キリストの姿でもあるからなんですね。

 マルコの福音書10章45節
 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

 私たちの姿は、仕えることの中に互いの調和が与えられていくんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.3.15送でのお話しより)

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■与える幸せ /村上宣道

2011年03月14日 | Weblog
2011/3/14放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、今日は3月14日、ホワイト・デーというふうに言われているんですねえ。2月14日のバレンタイン・デーにチョコレートかなんかプレゼントされた男性がお返しをする日というふうになっている訳なんですけれどねえ。まあどうしてこれをホワイト・デーと言うのとか、謂(いわ)れはあんまりはっきりしないようですけれども、なんでも今から33年前に福岡県のあるお菓子やさんが考え出したのが始まりのようなんですけれども。まあそのお返しするという日本人の義理堅さをうまくこう商業ベースに乗せたということがあるかもしれませんけど、でもあのー、気持ちを相手に伝えるプレゼントの交換・やりとりっていうのは悪くないかなあというふうに思うんですね。

 で、前に2月14日のバレンタイン・デーの時に、ちょっとお話しましたように、このバレンタイン・デーっていうのはバレンタインというそのローマの司祭がその若者たちの愛を結びつけることのために殉教した。・・・当時は富国強兵ということで若者たちの結婚を禁じた。家庭のことを気にしては強い兵隊になれないからというふうな、戦争ができないからというふうなことでね。でもそうではなくってやっぱり若者たちのその愛を結びつけていくべきだということをやったその司祭が国の方針に反するということでまあ殺されてしまって殉教した。それが2月の14日でバレンタイン・デーになったというふうなことですね。ある意味においては愛のゆえに殉教した、命を賭けた日というふうに言うことができる訳で、そのことにちなんでまあチョコレートとどういう関係があるか分かりませんけれども、いつもお世話になってますよ、ってあなたのことが好きですよ、ということをこう表すような形になって。

 しかしそれを今度はこちらもじゃあその気持ちにお返ししようというふうな意味でホワイト・デーが生まれたということですけれども。確かに貰うことはうれしいことですが、聖書の中には「受けるよりは与えるほうが幸いだ」(使徒 20章35節参照)っていうふうにイエスがおっしゃったことばがありますけれども、やっぱり貰うほうも嬉しいですけど、あげる時、何をあげようかなあって、あの人喜んでくれるかなあっていうふうな思いであげるっていうことは嬉しいことですよね。

 大体このバレンタインは自分のいのちを投げ出してその愛のために犠牲になったというふうなこと。私はイエス様が私のために十字架にかかって命を投げ出してくださった。そして与えられた愛。その愛に対してどうやってお返ししようかというふうなそういう生き方をするということ、とても大切なことではないかなあと思うんですね。

(PBA制作「世の光」2011.3.14放送でのお話しより)


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■受け取りなさい /山中直義

2011年03月12日 | Weblog
2011/3/12放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 もし誰かから何かを受け取ることができるとすれば、あなたは誰から何を受け取ることを願われるでしょうか。聖書はイエス・キリストから罪の赦しを受け取り続けることが何よりも大切であると教えています。

 新約聖書マルコの福音書14章にはイエス様が十字架にかかられる前夜の出来事、あの最後の晩餐の出来事が描かれています。22節からお読みします。

 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」


 イエス様は十字架の上で裂かれるご自分の肉とそこで流されるご自分の血を当時の人が毎日口にしていたパンとぶどう液とに重ね合わされました。そのようにして弟子たちに、ご自分の十字架によってなし遂げられる罪の赦しを日々受け取り続けるように、と語られたのです。
 
 私たちは神様の深い愛から目を離し、日々神様の心を悲しませる罪を犯し続けるものだと言えます。そういう意味では誰一人として罪の赦しを受け取る資格など持ってはいません。しかし、だからこそ私たちが罪を犯してしまうからこそ、イエス様は私たちに日々罪の赦しを受け取るようにと呼びかけていてくださるのです。

 肉を裂き、血を流し、いのちを与え尽くしてまでも私たちに罪の赦しを与えようとしてくださる。このイエス様が「受け取りなさい」と与えていてくださる恵みをしっかりと受け取りたいと思わされます。 あなたにもイエス・キリストによる罪の赦しが差し出されています。どうかその赦しを受け取り、罪赦されて生きる喜びを味わってください。

 聖書のことば
 「取りなさい。これはわたしのからだ・・・わたしの契約の血です。
  マルコの福音書 14章22節、24節

     (PBA制作「世の光」2011.3.12放送でのお話しより )

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■ことばや口先だけでなく・・・ /岩井基雄

2011年03月11日 | Weblog
2011/3/11放送

 世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。

 二月と三月はバレンタイン・デーやホワイト・デーがあって、寒い日が続いていても少しうきうきするような気分になる方も多いでしょうねえ。愛ということについて考える良い機会がこの二月、三月なのかもしれません。

 マザー・テレサの祈りのような詩の一部にこういうことばがあります。

  慰められることを求めるよりは 慰めることを
  理解されるよりは 理解することを
  愛されることよりは 愛することを求める心をお与えください。

  私たちは自分を忘れ去ることによって自分を見出し
  赦すことによって赦され
  死ぬことによって永遠のいのちをいただくのですから。

 愛を考えるとき、私たちは自分のことだけを考えてしまいがちです。愛されることだけを求め、自分中心の思いの中で相手に要求し続け悩み、そして相手を悩ませてしまいやすいのです。しかしこの詩でマザー・テレサは、「受けるよりも与えるほうが幸いです」(使徒 20章35節参照)と語られたイエス・キリストのことばのように、愛されることよりも真実に人を愛することを、と私たちにチャレンジしています。
 
 聖書には次のようなことばがあります。
 「私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」 新約聖書ヨハネ第一の手紙 3章18節

 私たちの愛は、いかに表面的でそして自己中心なのでしょうか。行いと真実が伴わない愛しか持っていないように思います。 しかし聖書が語る愛、神の愛はまさに行動を伴う真実の愛です。 神の独り子イエス・キリストが自らの命を与え尽くし、私たちにまことの愛を教えてくださいました。

 この神の愛、イエス・キリストの愛で愛され生かされるとき、私たちも、愛されることよりも愛する人へと変えられていくのです。

 あなたを無条件で心から愛し、受け入れ、支えてくださっている神様の愛をあなたはもうご存知でしょうか。その愛に生かされ続けたマザー・テレサさんのように私たちもまことの愛に生かされ、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって人を愛する者、人を慰め、励まし、理解する者へと変えられていきたいですね。

   (PBA制作「世の光」2011.3.11放送でのお話しより)

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■幸いな人-あわれみ深い者 /福井 誠

2011年03月10日 | Weblog
2011/3/10放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「幸いな人-あわれみ深い者」です。それではマタイの福音書5章7節から読んでみましょう。

 「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」(新改訳聖書 第3版)

 「あわれみ深い」ってどういうことでしょうか。それは、ただ優しいということではありません。 簡単に言えば、悲しんでいる人々に対して何かをしてあげる心を持つことですが、身内だからあるいは愛しているからというのではなくて、自分に対して敵であるような人に対しても示されるのが「あわれみ深さ」です。

 例えば、あなたに悪事を働く人、あなたが悲しむようなことをする人がいるとします。立場が逆転してその人があなたの手の内にある、つまりその人を意のままどうにでもできるという状況になったらどうでしょうか。人によっては、いよいよ機会到来と、復讐心を燃やす人がいるかもしれません。

 しかしあわれみ深い人は、そこで困っている敵に同情心を示すのです。たとえ敵と思われるような人であっても、苦しんでいる時には深い同情を持って実際に親切にすることができる人です。

 そういう意味でイエスは、私たちに対するあわれみ深さを示された方です。イエスはまさに自分に対して憎しみを燃やし、十字架につけて殺そうとする人々のために「父よ。彼らをお赦しください。」と祈られました。それは私たちに対するあわれみ深さの模範です。

 しかし、あわれみ深さが何であるかが分かったとしても、私たちがそのように生きるのはなかなか難しいものですねえ。イエスのあわれみ深さが分かって私たちも同じようにあわれみ深く生きることを考えるようになるものですが、それによって実は自分にはあわれみも何もない者であることを認めさせられるようになるものです。あわれみ深くある人は幸いです。自分にあわれみ深い所など何も無いことが分かって、謙遜にさせられて、逆に神のあわれみを求めて生きるようになるからです。

 あなたにも神のあわれみを受ける幸いを知っていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.10放送でのお話より )

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■神の約束と人の判断 /羽鳥頼和

2011年03月09日 | Weblog
2011/3/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 今日は「神様の約束と人の判断」というタイトルでお話をします。

 旧約聖書の出エジプト記に神様の約束が記されています。イスラエルの民はエジプトで奴隷としてこき使われ、非常に苦しんでいました。そんなイスラエルの叫びを聞かれた神様は、「わたしがイスラエルの民をエジプトから助け出し、広くてとても良い土地に導き入れよう。」と約束されました。そして神様はその約束のとおり、イスラエルの民をエジプトから脱出させ、荒野の40年の旅を守り、約束の土地まで導いてくださいました。

 旧約聖書の民数記32章に、その時に起こった出来事が記されています。約束の土地に入る直前、イスラエルの民の中のガド族とルベン族が、約束の土地ではない別の土地を欲しいと指導者であるモーセに申し出ました。彼らは自分の判断で自分たちの住む所を決めようとしたのです。彼らは自分たちの願い通りにその土地に住むことになりました。ところがこの土地は外国からの影響を受けやすい所でした。外国がイスラエルを攻める時、真っ先に攻撃に晒(さら)されるような危険な土地だったのです。神様はとても良い土地を与えると約束しておられたのに、彼らは自分たちの判断を優先したのです。そして危険に晒される生活を送ることになってしまったのです。

 私たちも気をつけなければいけません。この世には見た目に素晴らしいものがたくさんあります。しかしそこには危険が潜んでいます。神様はイスラエルと同じように私たちにも素晴らしい計画を持っておられます。それは安心と希望のある人生を与えるという約束です。私たちはまず、神様の約束しておられるその人生に入ることが大切です。あなたも神様の約束しておられる素晴らしい人生に入るためにぜひキリスト教会にいらしてください。

 最後に聖書にある神様のことばをお読みします。
 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ書 29章11節

  ( PBA制作「世の光」2011.3.9放送でのお話より )

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