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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神様のことばを聞くことの飢饉 /羽鳥頼和

2011年03月23日 | Weblog
2011/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 神様は人に語りかけられるお方です。聖書には「神は言われた。」というように、神が人に語られている所がたくさん出てきます。申命記30章14節には、神様のことばは「あなたのごく身近に」あると語られています。

 本当にそうでしょうか。その通りなのです。私たちは聖書を読むことによって神様のことばを聞くことができるのです。聖書は神様のことばです。ですから私たちは聖書を神様のことばと信じて読むとき、聖書によって神様のことぱを聞き、心に留めることができるのです。

 その聖書が神様のことばの素晴らしさを教えています。聖書の始めの書物である創世記1章を読むと、神様がことばによって世界を造られたことが分かります。神様のことばには素晴らしい力があるのです。

 詩篇119篇には神様のことばの素晴らしさが幾つも語られています。例えば50節には、神様のことばは悩みのときの慰めであると記されています。そして105節には、神様のことばは人生を歩むときの足元を照らす灯りであり道の光であると語られています。神様のことばは人の人生を確かなものとし、その歩みを守り、導くものなのです。

 ヤコブの手紙1章21節には神様のことばが人の魂を救うと教えています。 神様のことばは人を救ういのちのことばなのです。

 ところが旧約聖書のアモス書8章11節には、このような素晴らしい神様のことばを聞くことができなくなる時が来ると教えているのです。そのことを「主のことばを聞くことのききん」と言っています。飢饉とは食べるものがなくなる状態です。神様のことばはいのちを与え、いのちを保つ大切な食べ物です。それがなくなってしまうのです。 いつまでも神様のことばを聞ける訳ではないのです。いつか聞くことができなくなる時が来るのです。

 イザヤ書55章3節で、神様は言われています。
 「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。

 神様のことばを聞くために、ぜひキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.23放送でのお話より )

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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