2011/3/15放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
まあ私たちはいろんな人たちとの係わりの中で生きている訳です。そこで、共に生きるというテーマで今お話をしていますが、今日は「共に生きるために、仕える心を持とう」というお話をしたいと思います。
イエス・キリストには12人の弟子たちがいました。彼らのもっぱらの関心事は何だと思いますか? それは、誰がこの中で一番偉いのだろう、ということだったんです。そんな弟子たちにイエス・キリストは、誰でも偉くなりたいと思うなら仕える者になりなさい、と言われたんですね。
倉敷の河野 進という牧師が書いた詩の中に、こんな詩があります。
一人に仕えられて不満である
十人、百人に仕えられて更に不満であり
千人、万人に仕えられていよいよ不満であり
ついに人生は不満である
一人に仕えて感謝である
十人、百人に仕えて感謝である
千人、万人に仕えていよいよ感謝であり
ついに人生は感謝である
まあ人は仕えるよりも仕えられることを願うようですね。でも人間というものはどんどんどんどんエスカレートし、これで十分だという満足を得ることがなかなかできないのです。
逆に仕えることを考えて生きるなら、人生は違ったものになります。仕えるということは、これはすべての健康の基本となっているんですね。
身体のことを考えてみてください。それぞれの器官は互いに仕え合うことによってバランスが取れていきます。しかしどれかの器官が、例えば胃が腸が他の器官に仕えることを拒否したらどうでしょう。すぐに病としての症状が出てきます。もし一つの細胞が自己主張し始めたら、身体全体のバランスを壊し、ま、遂には死をもたらしますね。身体というものはそれぞれの器官が仕え合うことによって健康というものが維持されるんです。
ですから、共に生きるということは互いに大切な身体の器官の一部のような存在だということをお互いが自覚して生きるということなんですね。決してお互いに比べる必要はありません、それぞれに異なった大切な役割があるんですから。決して支配するのでもなく、仕えることを考え生きること、これが大切なんです。それはイエス・キリストの姿でもあるからなんですね。
マルコの福音書10章45節
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
私たちの姿は、仕えることの中に互いの調和が与えられていくんですね。
(PBA制作「世の光」2011.3.15送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
まあ私たちはいろんな人たちとの係わりの中で生きている訳です。そこで、共に生きるというテーマで今お話をしていますが、今日は「共に生きるために、仕える心を持とう」というお話をしたいと思います。
イエス・キリストには12人の弟子たちがいました。彼らのもっぱらの関心事は何だと思いますか? それは、誰がこの中で一番偉いのだろう、ということだったんです。そんな弟子たちにイエス・キリストは、誰でも偉くなりたいと思うなら仕える者になりなさい、と言われたんですね。
倉敷の河野 進という牧師が書いた詩の中に、こんな詩があります。
一人に仕えられて不満である
十人、百人に仕えられて更に不満であり
千人、万人に仕えられていよいよ不満であり
ついに人生は不満である
一人に仕えて感謝である
十人、百人に仕えて感謝である
千人、万人に仕えていよいよ感謝であり
ついに人生は感謝である
まあ人は仕えるよりも仕えられることを願うようですね。でも人間というものはどんどんどんどんエスカレートし、これで十分だという満足を得ることがなかなかできないのです。
逆に仕えることを考えて生きるなら、人生は違ったものになります。仕えるということは、これはすべての健康の基本となっているんですね。
身体のことを考えてみてください。それぞれの器官は互いに仕え合うことによってバランスが取れていきます。しかしどれかの器官が、例えば胃が腸が他の器官に仕えることを拒否したらどうでしょう。すぐに病としての症状が出てきます。もし一つの細胞が自己主張し始めたら、身体全体のバランスを壊し、ま、遂には死をもたらしますね。身体というものはそれぞれの器官が仕え合うことによって健康というものが維持されるんです。
ですから、共に生きるということは互いに大切な身体の器官の一部のような存在だということをお互いが自覚して生きるということなんですね。決してお互いに比べる必要はありません、それぞれに異なった大切な役割があるんですから。決して支配するのでもなく、仕えることを考え生きること、これが大切なんです。それはイエス・キリストの姿でもあるからなんですね。
マルコの福音書10章45節
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
私たちの姿は、仕えることの中に互いの調和が与えられていくんですね。
(PBA制作「世の光」2011.3.15送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。