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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■忍耐/関根弘興

2016年04月25日 | Weblog
2016/4/25放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 今日も新約聖書の中のパウロが記したエペソ人への手紙のことばを紹介しましょう。エペソ4章2節(、3節)。
 「 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

パウロは「謙遜、柔和、寛容を示して生きていきなさい」と勧めています。そして更に、「愛をもって互いに忍び合いなさい、つまり愛をもって忍耐しなさい。」とも勧めているんですねえ。

 この手紙が書かれたエペソ教会の中には、お互いに忍耐し我慢しなくてはならないようなことがあったようですね。時にはとても失礼なことや無礼なこと、気の利かないこともあったのかもしれません。しかしそれはいつの時代でもどこにでもあるようなことだと思うんですねえ。

 あなたは教会ということに対してどんな印象をお持ちですか? 教会は自分の好みや同じ背景の人たちだけが集まって来る訳ではありませんね。皆違う場所ですから、違う背景、年齢も性別も性格も違うわけです。ですから時には教会の中で人間関係の軋轢でつまずいたり、ということが起こることもあります。それは昔もあったことでした。ですからパウロはこの手紙の中で、「愛をもって互いに忍び合いなさい。」と記していくんですね。
 しかしそうは書かれていても、愛をもって忍耐することなど、そんなあ、できませんと考える人もいるかもしれませんねえ。ですからパウロはこの手紙の前半部分で、「あなたがたが人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」(エペソ 3章19節 参照)と祈っているんです。つまり私たちはこのイエス・キリストの比べることのできないほどの大きな愛を知ることがなければ、互いに愛し忍耐し合うことなんてなかなかできない、ということなんですね。

 でも人知をはるかに超えたキリストの愛を知るときに、愛されているからこそ愛に生きというそんな行動原則が生まれて来るんです。

 聖書には「神は愛です」(1ヨハネ 4章16節)と書かれています。それはつまり、神様ほど忍耐深い方は居ないという意味でもあるんです。私たちに対する神様の忍耐をあなたは考えたことがありますか? 神様は忍耐深く私たちを支え導き成長を期待しいつも愛をもって接してくださっているんです。その神様の愛を受け取ってくときに、私たちも愛をもって互いに忍び合うことのできる者へと少しずつ変えられていくのです。

  (PBA制作「世の光」2016.4.25送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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