goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■背負い抱いてこられた/福井 誠

2016年04月07日 | Weblog
2016/4/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「背負い抱いてこられた」です。それではイザヤ書63章9節から読んでみましょう。
 「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
 
 イザヤは神の救いについて語っていますね。救い主が現れて私たちの人生に介入されることが語られています。その神の語りかけにイザヤは、「私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、」感謝の祈りを捧げています(イザヤ書 63章7節)。確かに神様が私たちを救ってくださるのは、「ありがたい。感謝だ。早くそういうことが起こってほしいものだ。」と心が開きますね。けれども神様は重ねて次のように言います。「主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」と(イザヤ書 63章9節)。

 ある人が子ども時代の思い出話をしてくれたことがありました。戦後まだ間もない頃のことでした。外でやんちゃに遊んでいて足を捻挫したそうです。しかし捻挫しても戦後のこと、田舎には駆け込む診療所も医者も薬もなかったそうです。とにかく痛くて泣いていましたら、祖母が近くの川から取ってきた鱒をさばいて足の裏にぺったり貼り付けてくれたそうです。そして「『足が痛い』と泣きわめく自分を背中に背負って、子守歌を歌いながら慰めてくれた。」と言います。「腫れあがった足に貼り付けられて乾燥した鱒の臭い匂いを今でも覚えている。」と言いました。「それは何もできない中で最善を尽くしてくれた祖母の愛の匂いであった。」と言います。

 私たちは神がいれば何でもすぐに物事が好転する。奇跡的に何かが動いて救われる、と考えがちです。そして何も起こらないと神様なんているのかどうか分からない、と思ったりします。けれどもそうではありません。実は物事が好転する時を私たちと一緒に待ちながら、私たちの苦しみを共に感じ、背負い、抱いておられる神がいるのです。痛みを共に痛んでくださる神がおられることを覚えて、常に物事の先に期待をもって人生を歩んで参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.4.7放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする