♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■費用もかけずに / 福井 誠

2014年04月17日 | Weblog
2014/4/17放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「費用もかけずに」です。それでは第二サムエル記24章24節から読んでみましょう。

 しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。

 24章、サムエル記最後の章です。ダビデはここで人口調査をしています。国家が安定し繁栄するようになってダビデは何か自分の力を誇示する思いになったのでしょう。ダビデはイスラエルの戦力を数え始めました。国家の政策を考えようとする客観的な統計調査ではありませんでした。神はこれに激しい怒りを燃やします。イスラエルが神の選びの民、神の栄光を証しする民であるとしたら理解できることですね。ダビデも良心の咎めを感じて悔い改め、神の裁きに身を委ねました。

 サムエル記の最後の章はサムエル記に記されたダビデのあらゆる輝かしい業績は全く神に依存していることを教えています。どんな人間的な成功も勝利も神の祝福なくしてはありえないということです。それを忘れて人間がおごり、自分の力を誇り始めるときに神はこれを罰し低くされるのですね。

 さてダビデは神に罪を赦していただくためにいけにえを捧げています。それは自分の罪を赦すための身代わりの犠牲ですね。しかし同時に、「費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」  ダビデは自らも犠牲を払って神への従順と信頼を示そうとしました。

 今週は受難週です。思い浮かべるのはキリストの十字架ですね。十字架は私たちの罪の罰をイエスが身代わりになって受けてくださった、いわゆる罪の赦しのための犠牲であると語られます。私たちの罪の赦しのために犠牲が払われているのですね。私たちは赦されています。それは感謝なことです。しかしそれだけではなく犠牲に対して応答する心、私も何かを、という気持ちが大切ではないでしょうか。ダビデは「費用もかけずに、・・・全焼のいけにえをささげたくありません。」と考えました。十字架のイエスに応答する気持ちを持っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.4.17放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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