♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神を恐れる人 / 板倉邦雄

2014年04月09日 | Weblog
2014/4/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神を恐れる人」という題でお話ししましょう。

 「神を恐れる人」とはどのような人を言うのでしょうか? 今日はヨセフのことばからその事を考えたいのです。

 さてヨセフは牢にいる兄弟たちに言いました。「私は神様を恐れる人間だ。もしお前たちが潔白ならそれを証明する機会を与えてやろう。一人だけここに残れば後の者は穀物を持って帰ってよい。但し末の弟を連れて来るのだ。お前たちが正直かどうか確かめなければならないかな。」(創世記42章15-20節参照)

 彼らは言われる通りにすることにしました。兄たちは互いに言いました。「昔ヨセフにひどいことをしたからなあ。こんなことになったのも罰(ばち)が当たったんだよ。あいつが必死に助けを求めたのに、俺たちはまるで知らん顔をしていたからなあ。」(創世記42章21-22節参照)

 「神を恐れる人」とは自分の手で復習や仕返しをしないで自ら自分の罪や過ちを気づかせることのできる人ではないでしょうか。

 ヨセフは兄達のやりとりを聞いていました。兄たちが昔の悪事を思い出し心から悔いているのを知った時、そこに居ることができませんでした。部屋を出て一人きりになる場所を探し、そこで泣きました。ひとしきり泣くとまた戻り、長男のシメオンを選んで、みんなの見ている前で縛り上げました。それから召使いたちに一同の袋に穀物をいっぱい詰めさせ、支払った代金を袋の口の所にこっそりと戻しておくように指示したのです。(創世記42章23-25節参照)

 「神を恐れる人」とは陰では涙し、憐れみと同情とに溢れている人ではないでしょうか。

 「私は神を恐れる人間だ。」(創世記42章18節参照)

 このヨセフのことばの意味する所は、何でしょう。ヨセフの17歳から始まった苦難の生涯から出てきたことばでしょう。苦難の日々の中で神様の恵みと憐れみの手を見い出すことができたからでしょう。神様の憐れみなくして今日の私はないと確信していたからです。一切の出来事の背後に深い神様の目的と計画が隠されていることをヨセフは経験してきました。ですから「私は神を恐れる人間だ。」と言い得たのです。
 聖書のことばです。

 「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」 箴言29章25節

(PBA制作「世の光」2014.4.9放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする