2014/4/28放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
先日、番組にこんな質問が寄せられました。
「キリスト教のお話しを聞いていると『霊的』とか『霊性』ということばが出て来るんですが、これはどういう意味でしょうか。」
こんな質問でした。
何か「霊的」ということばを聞くと神秘的な意味があるのかと勘違いすることがあるかもしませんね。
イエス・キリストはヨハネの福音書4章24節で、
「神は霊ですから、神を礼拝する者は霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
と言われました。つまり、神様は霊なる方ですから、見たり手で触ったりすることはできないわけですねえ。ですから真心こめて礼拝することが大切だと言われているわけです。
「霊的」ということは自分と神様との関わりの中で私たちが心を込めて神様を礼拝するという生き方、そうした人生のスタイルが霊的な生き方なんだというんですね。
そしてパウロという人が書いたローマ人への手紙12章1節には
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」
このように記されているんですね。
神様に人生を委ね神様を礼拝することは霊的なことなんだ、そしてここで「霊的」と訳されことばはギリシャ語ではロギコスということばなんですね。これは「論理的な」とか、「理にかなった」という意味です。つまり霊的ということは特別な神秘的なことではなく人間にとってとても理にかなったこと。神様を礼拝することは人間とって最も理にかなった行為なんですよ。そしてそれが霊的な生き方なんですよ、と教えているんです。
そして別の箇所にはこのようにも書かれています。ローマ人への手紙14章19節
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」
このように書かれているんです。
ここでは、お互いの霊的成長に役立つことを求めていきましょう、とありますよねえ。これはそうですねえ、互いの徳を高めながら互いを大切にしながら生きていきましょう、ということでもあるんです。夫婦であれば神様を見上げながら互いに愛しあっている姿の中に霊的な姿があるわけです。社会人であるならば神様に与えられた能力を誠実に社会に生かしていくことも霊的な姿がそこにあるわけですねえ。子育て真っ最中のお母さんなら神様に与えられた子どもを大切に育んでいく事のなかに霊的な姿があるんです。
私たちはいろんな失敗や挫折もあります。でも神様を礼拝し、祈り、聖書からの慰めを受けながら歩んで行く、これが一番理にかなった、つまり霊的な人生の生き方なんですね。これを聖書は勧めているんです。
(PBA制作「世の光」2014.4.28放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
***
世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
郵便貯金 12470-8050581
郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
先日、番組にこんな質問が寄せられました。
「キリスト教のお話しを聞いていると『霊的』とか『霊性』ということばが出て来るんですが、これはどういう意味でしょうか。」
こんな質問でした。
何か「霊的」ということばを聞くと神秘的な意味があるのかと勘違いすることがあるかもしませんね。
イエス・キリストはヨハネの福音書4章24節で、
「神は霊ですから、神を礼拝する者は霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
と言われました。つまり、神様は霊なる方ですから、見たり手で触ったりすることはできないわけですねえ。ですから真心こめて礼拝することが大切だと言われているわけです。
「霊的」ということは自分と神様との関わりの中で私たちが心を込めて神様を礼拝するという生き方、そうした人生のスタイルが霊的な生き方なんだというんですね。
そしてパウロという人が書いたローマ人への手紙12章1節には
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」
このように記されているんですね。
神様に人生を委ね神様を礼拝することは霊的なことなんだ、そしてここで「霊的」と訳されことばはギリシャ語ではロギコスということばなんですね。これは「論理的な」とか、「理にかなった」という意味です。つまり霊的ということは特別な神秘的なことではなく人間にとってとても理にかなったこと。神様を礼拝することは人間とって最も理にかなった行為なんですよ。そしてそれが霊的な生き方なんですよ、と教えているんです。
そして別の箇所にはこのようにも書かれています。ローマ人への手紙14章19節
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」
このように書かれているんです。
ここでは、お互いの霊的成長に役立つことを求めていきましょう、とありますよねえ。これはそうですねえ、互いの徳を高めながら互いを大切にしながら生きていきましょう、ということでもあるんです。夫婦であれば神様を見上げながら互いに愛しあっている姿の中に霊的な姿があるわけです。社会人であるならば神様に与えられた能力を誠実に社会に生かしていくことも霊的な姿がそこにあるわけですねえ。子育て真っ最中のお母さんなら神様に与えられた子どもを大切に育んでいく事のなかに霊的な姿があるんです。
私たちはいろんな失敗や挫折もあります。でも神様を礼拝し、祈り、聖書からの慰めを受けながら歩んで行く、これが一番理にかなった、つまり霊的な人生の生き方なんですね。これを聖書は勧めているんです。
(PBA制作「世の光」2014.4.28放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
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お問い合わせは、
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