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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■エマオの途上で 2 / 大嶋重徳

2014年04月22日 | Weblog
2014/4/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
 今週はイースター・スペシャルです。イースターとはキリスト教会ではイエス様の復活をお祝いする大切な時期です。ルカ福音書24章にはエマオと言う村に行く道中でイエス・キリストの復活を信じられずに実家に戻ろうとした二人の弟子について記されています。この二人は道中、話をしながらイエス様のことを「ナザレ人イエス」と呼び、「行ないにもことばにも力のある預言者でした」と言いました(19節)。彼らは神の子イエスとは言わなくなっていたのです。また21節には「私たちは・・・望みをかけていました」とイエス様について過去形になっています。クリスチャンをやめようとしている彼らの様子が伝わってきます。更に23節、「御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。」  この二人の弟子にとって、復活は伝え聞いた話、誰かが何々と言うのです、という他人事(ひとごと)の話になっていました。

 彼らはエマオへの道程でいろんな事を話しあったり論じあったりしていながらも、復活があったエルサレムから、イエス様のおられる場所から、一歩距離を置いた所へと向かって行ったのです。エルサレムからエマオまでは11km ほどであったようです。11km とは面白い距離だと思うのです。他の弟子の仲間から呼ばれたら行かないわけではないけど、それほど熱心にもならないほどの距離と言えるかもしれません。信仰について論じ合うことがあっても基本的には教会から一歩距離を置いておく。ほどほどの所で教会やキリスト教信仰を見ているような距離をもっておく、ということは結構私たちにもあることではないかと思います。

 しかしイエス様は、私たちが第三者の立場に居続けることを許されません。この後、この二人にイエス様が近づき、話しかけられ、食事をし、泊まるために家に入られます。そこ(に至る道すがら)でイエス様は、「あなた(がた)が話していることは何ですか?」と、「あなた(がた)」、と二人称の距離で私たちに話しかけられるのです(※17節参照 「話し」という動詞が二人称複数形)。私たちがたとえ離れて行こうとしても近づいてくださるイエス様の声に、離れて行く足を留めて、イエス様と向き合う時を持っていただきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2014.4.22放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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