2014/4/7放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストが十字架につけられたことは聖書に記されている出来事ですが、それはとても理不尽なものでした。当時のユダヤ当局者たちはイエス様を捕らえるのですが、いい加減な審問を行い、ついにはローマから送られた総督ピラトのもとにイエス様を訴えていくんですねえ。
ピラトは彼らがイエス様への妬みによってこのようなことをしたことを見抜いていました。そこでピラトは過ぎ越し祭りの時に囚人の一人に恩赦を与える、ま、そういう釈放をする習慣があったので、イエスをその恩赦の対象にすればよいのではないかと考えたんです。
しかしどうでしょうか。ユダヤの当局者たちはイエスではなくて、強盗であり人殺しであった極悪人のバラバを釈放しろと要求してきたんですね。ピラトの計画通りにはいかなかった訳です。
そこでヨハネの福音書を読みますと、ピラトが次に考えたことは、イエス・キリストを傷めつけてその惨めな姿を見せれば訴えに来た者たちも満足して無理な要求を引っ込めるのではないかと考えたようでした。
そこで弟子たちに命じて、イエス様を鞭打たせたんです。その後、兵士たちは長く鋭いとげのあるいばらで編んだ冠をイエス様の頭に突き刺し、紫の着物を着せてあざけったんですねえ。
さてピラトはその血まみれの無残な姿となったイエス様を官邸の外にいるユダヤの当局者たちの前に引き出し、「さあ、この人だ」と示したんです。ピラトにしてみれば、ここまで傷め付けこんな惨めな姿をさらしているのだから彼らも納得するだろうと考えたのでしょう。
しかし当時の当局者たちはイエス様を見ると「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と激しく叫び続けたんです。
さてピラトがイエス様を鞭打ちにして人々の前に引き出し、「さあ、この人です」と言ったこのことばはラテン語では「エッケ・ホモ」、直訳では「見よ、この人を」と訳されることはです。キリスト教の絵画の中でいばらの冠をかぶせられ裁判を受けているイエス・キリストの姿を描いた作品を「エッケ・ホモ」と呼びますねえ。でも私たちはこのイエス様を見るとき何が見えて来るでしょう。
讃美歌121番にはこんな讃美歌の歌詞があります。
「この人を見よ。この人にぞ こよなき愛は現れたる。」
私たちは私たちのために鞭打たれ、いばらの冠をかぶせられて一人ひとりの罪を背負い、十字架につけられ、赦しを与えてくださるイエス様の溢れる恵みと真実を見ることができるのです。「この人を見よ。この人にぞ こよなき愛は現れたる。」とある通りなんですね。
(PBA制作「世の光」2014.4.7放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
郵便貯金 12470-8050581
郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストが十字架につけられたことは聖書に記されている出来事ですが、それはとても理不尽なものでした。当時のユダヤ当局者たちはイエス様を捕らえるのですが、いい加減な審問を行い、ついにはローマから送られた総督ピラトのもとにイエス様を訴えていくんですねえ。
ピラトは彼らがイエス様への妬みによってこのようなことをしたことを見抜いていました。そこでピラトは過ぎ越し祭りの時に囚人の一人に恩赦を与える、ま、そういう釈放をする習慣があったので、イエスをその恩赦の対象にすればよいのではないかと考えたんです。
しかしどうでしょうか。ユダヤの当局者たちはイエスではなくて、強盗であり人殺しであった極悪人のバラバを釈放しろと要求してきたんですね。ピラトの計画通りにはいかなかった訳です。
そこでヨハネの福音書を読みますと、ピラトが次に考えたことは、イエス・キリストを傷めつけてその惨めな姿を見せれば訴えに来た者たちも満足して無理な要求を引っ込めるのではないかと考えたようでした。
そこで弟子たちに命じて、イエス様を鞭打たせたんです。その後、兵士たちは長く鋭いとげのあるいばらで編んだ冠をイエス様の頭に突き刺し、紫の着物を着せてあざけったんですねえ。
さてピラトはその血まみれの無残な姿となったイエス様を官邸の外にいるユダヤの当局者たちの前に引き出し、「さあ、この人だ」と示したんです。ピラトにしてみれば、ここまで傷め付けこんな惨めな姿をさらしているのだから彼らも納得するだろうと考えたのでしょう。
しかし当時の当局者たちはイエス様を見ると「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と激しく叫び続けたんです。
さてピラトがイエス様を鞭打ちにして人々の前に引き出し、「さあ、この人です」と言ったこのことばはラテン語では「エッケ・ホモ」、直訳では「見よ、この人を」と訳されることはです。キリスト教の絵画の中でいばらの冠をかぶせられ裁判を受けているイエス・キリストの姿を描いた作品を「エッケ・ホモ」と呼びますねえ。でも私たちはこのイエス様を見るとき何が見えて来るでしょう。
讃美歌121番にはこんな讃美歌の歌詞があります。
「この人を見よ。この人にぞ こよなき愛は現れたる。」
私たちは私たちのために鞭打たれ、いばらの冠をかぶせられて一人ひとりの罪を背負い、十字架につけられ、赦しを与えてくださるイエス様の溢れる恵みと真実を見ることができるのです。「この人を見よ。この人にぞ こよなき愛は現れたる。」とある通りなんですね。
(PBA制作「世の光」2014.4.7放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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