goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主は心を見る / 福井 誠

2013年07月18日 | Weblog
2013/7/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主は心を見る」です。それでは第一サムエル記16章7節から読んでみましょう。

  しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 今日取り上げるエピソードはサムエルが神様に導かれて二代目の王様を選ぼうとエッサイという人の家に来た時のものです。サムエルはエッサイの家に着くと子どもたちを見て真っ先に長男のエリアブこそ王にふさわしいと考えました。彼のルックスや背の高さはまさに人の上に立つ良き印象を与えるものだったのでしょうね。しかし神はそんなサムエルに言うのです。「わたしは人が見るようには見ない」と。

 エッサイが連れてきた七人の息子に神様はOKを出しません。サムエルが言いました。「これで子どもは全部ですか?」 するとエッサイは「確かにまだ末の子がいます。」と。実は末の子という言い方は単に年少であるというのではなく、最も小さな者つまり数に入らない者という意味もあります。エッサイはダビデなどこの人選には入らないと思っていたということです。

 しかし神様はそのように人がつまらないと思う存在、見向きもしない存在の価値を理解しておられるお方なんですねえ。皆さんはそういう神様を身近に感じてこられているでしょうか。神様を漠然と理解し何か良いことをしてくださるお方と考えているだけということはないでしょうか。

 新約聖書の使徒パウロは
神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。」(1コリント 1章27節、28節)
と言っています。

 この神様を信じていくときに「私なんか」といういじけた心を持つことはありません。神様はどんな人も心に留めておられその価値を見抜き、用いてくださるお方なのです。神に期待して歩んで参りたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.7.18放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする