2013/7/22放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストがユダヤの大きな祭りである仮庵(かりいお)の祭りに行かれた時のことでした。ま、このお祭りは、人々は木の枝で作った仮小屋で生活をするんですねえ。それは昔イスラエルの人たちが奴隷生活を強いられていたエジプトから約束の地へと旅した荒野での生活を記念するためでした。またこの祭りは水を求める祭りでもあったんですね。そしてもう一つはこの祭りの間、神殿の外庭には大きな燭台が立てられ火がともされました。夜になるとその光は神殿全体だけではなくエルサレムの街々も照らし出したと言われるんです。しかしその燭台の光も祭りが終われば消えてしまうわけですね。そんな時にイエス・キリストはこう言われました。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書 8章12節) それはつまり、「世」、この世界というのはイエス・キリストがいなければ暗闇のままだという大胆な宣言だった訳ですね。
世の光と言われるこの「世」とは一体何でしょう。世とはこの世界のこと。世とは神様抜きの世界という意味もありますし、また世とは私たち一人ひとりのことでもあると言って良いと思うんですねえ。
光とは一体何でしょうね。光がなけれ私たちは生きてことができません。昔小学生の集まりで、「もし太陽が無くなったらどうなると思いますか?」、そんな質問をした事がありました。「いやみんな凍えて死んでしまう。」とか、「何も見えなくなってしまう。」とか、中には、「洗濯物が乾かない。」という子どももいましたけれど、とにかく光が失われたら誰一人生きていくことができません。私たちは光なくしてこの人生を歩むことはできないんですね。
私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光がどうしても必要です。聖書はこのように語っています。
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネの福音書 1章9節)
イエス・キリストがこの地上に来てくださったということはすべての人を照らす光として来てくださったんだと聖書は教えます。夜あなたが車を走らせる時、もし灯りをつけていなければどうでしょう。先が見えませんから事故に遭ってしまいます。私たちの人生には何が必要ですか。私たちの道筋を照らす光が必要です。イエス・キリストは、あなたの、私の世の光であると宣言なさったんですね。この方の愛の光に照らされ恵みの光に照らされ人生を歩んで行くことは何と幸いでしょう。あなたを照らすまことの光として来てくださったイエス様を人生の光なる方として受け入れ歩んで行きましょう。
(PBA制作「世の光」2013.7.22放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
***
世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストがユダヤの大きな祭りである仮庵(かりいお)の祭りに行かれた時のことでした。ま、このお祭りは、人々は木の枝で作った仮小屋で生活をするんですねえ。それは昔イスラエルの人たちが奴隷生活を強いられていたエジプトから約束の地へと旅した荒野での生活を記念するためでした。またこの祭りは水を求める祭りでもあったんですね。そしてもう一つはこの祭りの間、神殿の外庭には大きな燭台が立てられ火がともされました。夜になるとその光は神殿全体だけではなくエルサレムの街々も照らし出したと言われるんです。しかしその燭台の光も祭りが終われば消えてしまうわけですね。そんな時にイエス・キリストはこう言われました。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書 8章12節) それはつまり、「世」、この世界というのはイエス・キリストがいなければ暗闇のままだという大胆な宣言だった訳ですね。
世の光と言われるこの「世」とは一体何でしょう。世とはこの世界のこと。世とは神様抜きの世界という意味もありますし、また世とは私たち一人ひとりのことでもあると言って良いと思うんですねえ。
光とは一体何でしょうね。光がなけれ私たちは生きてことができません。昔小学生の集まりで、「もし太陽が無くなったらどうなると思いますか?」、そんな質問をした事がありました。「いやみんな凍えて死んでしまう。」とか、「何も見えなくなってしまう。」とか、中には、「洗濯物が乾かない。」という子どももいましたけれど、とにかく光が失われたら誰一人生きていくことができません。私たちは光なくしてこの人生を歩むことはできないんですね。
私たちの人生の道を照らし、行くべき方向を示す光がどうしても必要です。聖書はこのように語っています。
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(ヨハネの福音書 1章9節)
イエス・キリストがこの地上に来てくださったということはすべての人を照らす光として来てくださったんだと聖書は教えます。夜あなたが車を走らせる時、もし灯りをつけていなければどうでしょう。先が見えませんから事故に遭ってしまいます。私たちの人生には何が必要ですか。私たちの道筋を照らす光が必要です。イエス・キリストは、あなたの、私の世の光であると宣言なさったんですね。この方の愛の光に照らされ恵みの光に照らされ人生を歩んで行くことは何と幸いでしょう。あなたを照らすまことの光として来てくださったイエス様を人生の光なる方として受け入れ歩んで行きましょう。
(PBA制作「世の光」2013.7.22放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
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郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ